“昨年12月8日付本欄「乗車中のスマホやめた」を読みました。バスと電車を使っての通学は大変ですよね。座らせてあげたいと思う人がいたのに、自分が座っていなかったから席を譲れなかったことを気にするあなたの優しさが身に染みました。私はとてもうれしくなりました。この先、一人でも多くの人が座れるように、バスや電車で座らないでおこうというすてきな決意を示されたことも立派です。
若い投稿者は、少し肩の力を緩めてみたらどうでしょう。「私が座る席は思いやりの席」と考えてみては。優しい心を持つあなたなら、そこに座っていさえすればいつでも必要と感じた人に譲ることができるのです。日々席を譲ろうとするあなたが車内にいて、それに気づく人がいて、それを目にした他の人も譲ろうと思ったら・・・。登下校はきっとあなたにとってもっと楽しい時間になるような気がします。”(2月7日付け中日新聞)
三重県川越町の太田さん(男・70)の投稿文です。ボクも太田さんの意見に賛成です。と言うより、この考え方はもう何回もこの「話・話」 で書いたと思います。若い人も席が空いていれば座ればいいのです。優先席でも座ればいいのです。ただ座ったら、席を譲った方がいい人がいないか、気にすればいいのです。「私が座る席は思いやりの席」、こういう言い方があるのか、と感心しました。まさにこれです。座っていなければ譲ることもできません。誰かが譲ってあげる人はいないのかな、気にすることもないです。自分が譲れるからです。
いろいろなところで無関心な人が増えています。まわりの人に関心を待つ、これは電車の中ばかりでなく、どんな場所でも必要なことでしょう。
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