”わが家では秋の彼岸におはぎを作ります。小豆と砂糖を煮て、家族で味見しながらあんをこしらえます。普段の食事ではあまり会話がありませんが、おはぎを作るときは皆自己主張するから不思議です。完成するとまず仏壇に供えます。そして親戚や知人に持っていきますが、今や待っていてくれる家庭もあります。
「スーパーに行けば何でも手に入る時代なのだから購入すればもっと楽だろうに・・・」と思うこともありますが、家族からは「今まで元気に過ごせたのはご先祖様のおかげ。感謝の気持ちで作ろう」との声が上がりました。この先も日本の良き習慣を続けたいと強く思いました。”(10月10日付け中日新聞)
三重県松阪市の会社員・山本さん(男・64)の投稿文です。お彼岸に団子やおはぎを作る習慣はまだ残っているのだろうか。またお彼岸にこうしたものを供える習慣も残っているのだろうか。ボクの家も父母がいた時代は、芋名月と言って里芋を供えたものだ。それも随分昔のことだったと思う。
山本さんの家はまだしておられる。おはぎを作って配られる。昔はこうして手作りしたものをやり取りしたものだが、最近はどうだろうか。買えばたやすく手に入るので、随分減ったのではなかろうか。またそれ程量も作らなくなった。また好みも様々になって、あげることが喜ばれるかどうかも分からない。
山本さんがされる理由は、「今あるのはご先祖様のおかげ。感謝の気持」と言われる。お彼岸は先祖供養である。そして先祖供養は今の自分達のためにあるものである。先回の「話・話」 のお墓と同じである。形は違えども、この気持ちが大切と思う。