岩切天平の甍

親愛なる友へ

そして

2007年08月31日 | Weblog

  初めてアメリカへやって来た頃、よく一緒に仕事をしていたディレクターのエイジさん(当時、彼は日本から出張していた)が僕の友人のヒデ君にルームメイトを紹介してもらってアトランタに住み着いてからもう十年以上経つ。その間にエイジさんも何回か引っ越ししたらしくて、いつの間にか連絡先が分からなくなっていた。

ちょっと捜してみようとホワイトページやウェブ検索を試してみたけど見つからない。もう日本へ帰ってしまったかなと半ばあきらめながら、ウェブで見つけた地元の旅行会社に「もしエイジさんを御存知でしたら云々」とメールを打ってみた。すると三十分もしないうちに本人から連絡が来た。「いい人にメールしましたね。あの人はとても親切なんですよ。」と、懐かしい声。今日は問題の試合撮影が控えていて、気がもめるので、明日会いましょうということになった。

  試合の撮影は惨敗。やっぱり一夜漬けじゃあどうにもならない。
大体フィールドに三十人位もいる選手に紛れた小柄な日本人選手を見失わないだけでも難しいのに、試合がどうなってるかなんて見ているヒマもない。

大汗かいて必死で走り回って、からからと大から回り。
雇った方もそれを予想していたのか、ちゃんとNFL Filmという会社に依頼して、アメフト専門カメラマンをもう一人雇っていた。これが僕が入れないエリアにも入れるパスを持っているので選手の間近でいい絵を撮るし、もちろん試合も手慣れたものでアメフトの見本みたいなテープを上げて来た。
「しょうがないよね。」と慰めだか何だか分からない言葉をかけられて・・・。



アメフト

2007年08月30日 | Weblog

  NFL、アメフトのキャンプに日本人選手が参加しているというので、アトランタへやって来た。ファルコンズの木下選手だ。練習とインタビューを撮る。

練習場には専属のビデオチームが二クルーついている。クレーンの上から随時撮影しては、5分ごとにテープを回収して走って行く。すぐに分析して選手たちの問題を指摘するのに使うのだそうだ。試合の真最中にも写真班がスタンドの上から撮ってはすぐに分析、監督に伝えられ、ヘルメットに仕込まれた無線を通じてプレイ中のクォーター・バックに指令が飛ぶ。
三回わざと同じ傾向のプレイを見せて、四回目にウラをかくと言ったような事もするそうだ。
へーえ、何だか戦争みたい、アメリカ人が好きなわけだ・・・。

仕事の依頼があった時に、
「アメフトなんて何も知らないけど、大丈夫ですか?試合なんて撮れないよ。」と言う僕に「なーに、ヘーキ、ヘーキ。」と調子良く答えていたのに、案の定、「明日の夜、試合を撮ります。」と宣言され、青くなる。

ホテルに入って、ウェブで関係サイトを検索、ルールなど情報を一夜漬けする。テレビをつけ、E-Spanでカレッジ・フットボールの試合を見て、研究するにはしてみた・・・が。



ニッポン人

2007年08月29日 | Weblog

 昨日、今日とヤンキースタジアムに来ている。
ヤンキース・レッドソックスの三連戦だ。
スポーツ番組のために松井・松坂のインタビューを撮る予定。

松井は難なく撮れたが、珍しく松坂の機嫌が悪い。連敗中で、しかたないか。申し込みを断られたと言うのに無理にインタビューしようとして最悪の雰囲気に・・・。

記者会見室で監督のインタビューに出遅れた新聞社のカメラマンがあわてて列の後ろにイスを持って来た。で、キチンと靴を脱いで上る。

美しいなぁ、ニッポン人は。



シアター80

2007年08月28日 | Weblog


イーストビレッジにあった名画座、シアター80
二十代の後半、毎日のようにここに通って映画を観た。
フェリーニもチャップリンもトリュフォーも黒沢も小津もウッディ・アレンもキューブリックもアントニオーニもヴィスコンティもフリッツ・ラングもブレッソンもゴダールもベルイマンもタルコフスキーもヒッチコックもビリー・ワイルダーもベルトリッチもマルセル・カルネもブニュエルも・・・
みんなみんなここで観た。

英語が良く分からないから、よけいに映像に集中できたかもしれない。
プログラムは少しずつ変わりながらも一定の期間をおいて大体同じ映画が繰り返し上映される。“Masters of Lights” と言う映画カメラマン達にインタビューした本を読んでは彼らの撮った映画を繰り返し繰り返し見た。
向かいのピザ・スタンドで一枚1ドルのピザを食べて、
異臭の漂う狭い映画館の一番うしろの席に座る。
二本立て七ドル、シニア・シチズン三ドル。
観客はいつも決まった顔ぶれで、昔をなつかしみながらすぐにイビキをかいて寝てしまう老人たちとNYUの映画学生。
ニューヨークの三鷹オスカーだった。

頭にスカーフを巻いたおばあちゃんが切符を売っていた。
映画の時間が来ると、おばあちゃんが座席の背もたれに足をのせている観客一人一人に「足を下ろしてください。」と言って回り、足がみんな下りると天井からぶらさがった裸電球がゆっくりと消えて行き、映画がはじまる。その儀式が大好きだった。

おばあちゃんのだんなさんが映画館のオーナーで、プログラムを組んでいた。
おじいさんの具合が悪くなって、ある日、ついに映画館を閉めることになった。常連客に宛てた手紙には「夫のプログラムが続けられなくなった以上、この劇場も閉めざるおえません。」と書かれていた。
最終日、演目は“シェーン”。
淋しくてべそをかいたような笑顔の初老の常連達は一人一人おばあちゃんを抱きしめて、「シェーン、カムバーック!」の声を聞きながら名画座は閉まった。

たまに日本へ行き、そしてまたニューヨークへ帰って来て、シアター
80の暗闇に身を沈めるとやっと帰って来たという実感が湧いたものだった。
あそこは僕の大学で、ニューヨークでのふるさとだった。今はもう無い。



映画館

2007年08月27日 | Weblog

  テレビの仕事をしているのに、実を言うとテレビを見ない。
仕事の参考にするために必要に迫られてビデオを見る事はあるけど、
それでもテレビをつけているのは一月に三時間もない。
良くない事かもしれないけど。

一瞬ごとに絵を切って行かなければならない撮影の仕事では、感性を頭で整理していたのでは間に合わないので、肌に擦り込んでおかなければならない。
おかしなものに触れたときに、体の具合が悪くなるくらいでなければならない。日常的にレベルの低い物に触れていたのでは、感性が麻痺してしまうので、テレビは見ない。だからたまに見るとモノによっては吐き気をもよおす事もままある(スバラシイ番組もございます、ハイ)。

そのかわりと言うわけでもないが、毎週一本は映画を見ることにしている。
その気になりやすい単純な僕は映画を観るとふにゃりと柔らかくなる。
ジェームス・スチュワートとグレース・ケリーの会話を聴きながら、前に座った二人が寄り添う。映画は始まったばかりなのに、もう今しがた口げんかして出て来たカミさんに会いたくて帰りたいような気持ちになる。
仕事先で嫌なやつだと思った誰かに、明日はもう少しやさしくしようかと、一瞬だけど、思う。

音楽を聴きに行くのもいい。気持ちが溶けて行く。
百々徹のピアノが、いくたび僕が壊しかけた人間関係を繕ってくれたか、本人は知らない。酒のせいだったかもしれないけれど。そうして次の朝、新しい気持ちででかけて、やっぱり打ちのめされて帰って来ては、また映画館の暗闇の中へ逃げ込んで行く・・・。



The Wrong Man

2007年08月26日 | Weblog

フィルム・フォーラムでヒッチコックの“The Wrong Man”(間違えられた男)。

他人のそら似で目撃者達に強盗犯人と信じられ、逮捕された男の話。実話をベースにしている。

厳格で緻密な撮影と演技。巨匠の圧倒的な映画話法に、普段はうるさい週末の映画館が、息をあえいで緊張している。
脳みそをわしづかみにされてぐいぐい揺さぶられているような気持ち、
社会派映画の名作だ。

誤審や冤罪は常に起こる。
犯罪を裁く法律や人の価値観というものは時代と共に変わるものであり、今日正しかった事が明日正しいとは限らない。
ましてや誰かを死刑に出来るほど我々は立派なのか。法律がそうなっていないだけで、ひょっとしたらある意味自分の方が罪深い生き物であるかもしれない。
殺してしまったらおしまいなのだ。永遠に取り返しがつかない。
だから死刑制度には賛成できない。

幼稚園児を炎天下の車に残して死亡させたニュースを見た友人が、
「ひとでなし」だと怒った。
それはそうだろう。
それはそうだろうが、「ひとでなし」も「おやごろし」もやはりひとであり、そういった者をどうすくいあげるかがロックでありアートであって、切り捨ててしまったのではそこから一歩も進めない。



Rear Window

2007年08月25日 | Weblog

フィルム・フォーラムでヒッチコックの“Rear Window”(裏窓)。

完璧な映画だ!
ジェームス・スチュワートのたるんだ体以外は。
いや、完璧以上マッチモアだ。あらためて“すげー映画!”
裏窓の住民の一人、ミス・ロンリーハートのエピソードが泣かせる。

 以前、ウチのアパートの二階にもミス・ロンリーハートが住んでいた。
歳の頃は40過ぎ位の独身女性で、ホリデーシーズンに世間が賑やかになる頃に決まって様子がおかしくなった。一晩中独り言、泣いたりわめいたりが続く。眠れたもんじゃない。

ある日、来客があるらしく、楽しそうな話し声がしていた。高く低く、会話は続く。笑ったり、とがめるような調子だったり、そのうちカミさんが「ねぇ、ちょっとヘンじゃない?あれ。」と言う。
「何が?」「あれ、一人でやってるみたいよ。」「えー?」
良く聞くとたしかに一人二役でしゃべっているようだ。笑いながら床を叩いている。「落語家みたいだなー。」 そのうち話しながら階段を降りて来て、玄関で見送っているらしい会話・・・でも足音は一人分しか聞こえない。

ミス・ロンリーハート、「ニューヨークはきついからフロリダに引っ越すわ。静かになっていいでしょ。」と言って出て行った。今頃どうしているかしら。


Keith Haring Room

2007年08月24日 | Weblog

 懲りもせずカメラを担いでキース・ヘリング散歩、彼の本拠地ビレッジへ。

かすかな記憶に残っていたハウストン・ストリートとFDRハイウェイにあった壁画もボーイズ・クラブの壁画も数多く描かれたと言われるアベニュー・Dのキャンディー・ストアもみんなきれいに無くなっている。

西十三丁目のレズビアン&ゲイ・コミュニティセンターにたどり着いた。
受付にはいかにもそれ風の黒人のお兄(姉)さまが座っている。

 「あのー、ちょっと聞きたいんですけど。」
 「ハーイ、いらっしゃーい。なーに?」
 「キース・へリングの絵を探しているんですが・・・。」
 「ハイハイ、あれね、二階にあるわよー。205号室ね。」
 「勝手に入っていいんですか?」
 「あなたいいわよー、さあさどうぞー。」

 週末のセンターはあっち系の方々で賑やかだ。部屋はすぐに見つかった。ドアに“Keith Haring Room”とある。以前バス・ルームででもあったのか、小さなタイルばりの部屋は、壁の上半分が絵で埋められている。子供向けの絵と違って、ここのはハードだ。ポ×チ×だらけ。ド迫力にしばし唖然と眺めていたら、さっきのお兄(姉)さまがドアから覗いた。
「あら、ちゃんと見つけたわね。よろしい、よろしい。楽しんでねー。」

 壁のタイルには「この部屋を出る前に手を洗いましょう。」というサインがはめ込まれていた。



だけど

2007年08月23日 | Weblog

 国連で中国とアメリカのトップビジネスマン達の親睦会?の撮影。
ニューヨーク証券取引所のマネージャーのあいさつ。

中国は日本そっちのけでアメリカとどんどんビジネスを進めているらしい。
中国十三億の人達がアメリカ人の暮らしをしたらオゾン層なんかいっぺんに無くなってしまうだろうなぁ。でも、誰にもそれを止める権利なんか無いだろうし・・・。

僕としては、もし、石油、電気が配給制になって、一人一日一定量しか使えないことになってもそれはそれで構わないし、仕事に支障をきたすと言う人にはそれなりの量をあてがえば良いと思う。

もとより建築物のライトアップやネオンサインなども全く必要なし。それで食って行けなくなる人が出るとか、経済が立ち行かなくなると言うのなら、我々の経済とは何なのか?実体の無い上に無理矢理成り立たせているのか?ちょっと恐い気がする。

自動車も飛行機も液晶テレビもコンピューターもましてや兵器など尚更、地球の営みとはほど遠い、無くても一向に構わない物だ。世界がそういった産業に牛耳られるのは、いかに我々があるべきところから遠く離れて来てしまったかと考えさせられる。

なんて言ったところでこの流れが変わる筈も無く、アタマは混乱に陥る・・・。だけど、だけど、だけど・・・。



アルファベット・シティ

2007年08月22日 | Weblog

 イースト・ビレッジ、アルファベットシティと呼ばれるアベニューA,B,C,Dの界隈を久しぶりに訪ねた。

昔ながらの貧民街で、僕が住んだ17年位前は廃墟も多く、ナイフを持った子供達に囲まれたとか、タクシーを降りたとたんに後ろから殴られたとか言う話が後を断たず、昼間でも一人では行くなと言われていた。

不動産の高騰で、開発地の最先端になってから事情も変わったらしく、新しいマンションが次々と建っている。古くからの住宅街は高層ビルが無く、日当りは良好だ。あちこちにコミュニティー・ガーデンと呼ばれる共同の庭があって、住民が集まっては思い思いに花や野菜を育てたり、将棋を打ったりしている。

力一杯咲き乱れるひまわりとのんびり立ち話するオバサンたちを眺めていると、不思議な気分になる。
ニューヨーク中でおそらく、この決して豊かでない町が、一番たくさんひまわりの咲いている場所だろう。

お天道様はつくづく平等だ。