岩切天平の甍

親愛なる友へ

オブリガード、ブラジル!

2008年07月27日 | Weblog

午前中、サンパウロ支局でT記者とアンナさんは翻訳作業。
僕は自由時間を貰って、おのぼりさんと化す。

地下鉄に乗って地元気分を味わい、カテドラル・メトロポリターナで賛美歌を聞いて、サンパウロ美術館が開く迄の時間、蚤の市を覗く。冷やかすだけのつもりが、綺麗だったのでつい銀のケーキトングを買ってしまった。安かったし、お土産に。

美術館に入る。展数は少ないが、モネの“エプト川のボート遊び”が美しい。
ゴッホの“セントポール病院の庭の石のベンチ”がやさしくて、全速力で走り抜けたブラジル行の息がふーっと抜けた。来て良かったと思う。

アンナさんとジョナスにさよならして、夜行便でニューヨークへ。

オブリガード、ブラジル!



O do Borogodo

2008年07月26日 | Weblog

サンパウロにてブラジル撮影終了。仕事は終わって、さて、最後の夜だ。
ホテルの部屋でグーグル・サーチ。サンパウロ、音楽、クラブ。
“サンパウロレコード”と言うブログにたどり着く。
『サンパウロでは毎晩どこかで生演奏で飲めるお店が開いておりますが、ここオードボロゴドは良質なサンバ、ショーロが聴けるお店で有名でございます。「オードボロゴド!」は古いスラングで「最高!」って意味らしいです・・・。』
こ、これだぁ! 地図まで載ってる。

荷物を整理して、収録テープを整理して、えーっと、盗まれたくない物は残してと。さぁ、もう死んでもいいぞー!

フロントのお姉さんに地図を見せて、ココに行きたいんだけど、地下鉄で何分くらいかなと訊くと、泣きそうな顔で悪い事は言わないからタクシーにしなさいと言う。「ここの太い通りはいいけどこっちの路地は入っちゃダメよ・・・。」

タクシーの運ちゃんも親切で、店がちゃんと確認できるまで、僕を降ろそうとしなかった。古いレンガむき出しの壁に殺風景なテーブルと椅子が転がって、奥に5人も並べない小さなバーカウンターがぼんやり浮かんでいる。客は一人もいない。入り口のお兄さんに今日は音楽やるの?と訊くと十時からだと言う。時計を見るとまだ八時過ぎ、街をぶらつくことにする。

バス通りに沿ってぶらぶら歩く、ホテルのお姉さんに言われた路地は、薄暗くて成る程入って行く気にもなれない。

角ごとに通りに大きく間口を開いた定食屋があって、カウンターで男達がビールを飲んでいる。腹が減ったので、入ってみたけど、ガラスケースの中のお惣菜はどれも肉料理ばかり。歩き続けていると、広いバス・ターミナルに出て、その先は少々アブなそうな繁華街、赤羽駅裏。
スーパーマーケットに入ってみる。マルちゃんラーメンがある。そうめんもキッコーマンもある。パパイヤが二個一ドルくらい、安いね。
「アサヒ」と言う名の日本食堂がある。店構えからして本物らしいが、さすがにここまで来て日本食ってのも、入るのはよす。東京に住むアサヒちゃんを思い出した。元気かな。

居酒屋で食事して十時に戻ると店はすでに人で一杯で、大きなテーブルを囲むようにバンドが座っていた。カウンターでビールを買って、バンドの横に転がっていた椅子に落ち着いて、録音機を取り出す。

ギター、バンドリン、カヴァキーニョ、パンデイロにサックス。
ショーロ・バンドだな。と思ったとたんに強烈なスウィングが堰を切る。
せつなくて、情熱的なスウィング。
途端に気持ちがぶるっと震えると、黒人、白人、アジア人、そこいらで喋っていた男女が弾けたように手を廻して折れんばかりに腰を振り始める。
僕の首も百八十度回転運動が止まらない。
メンバーはテーブルに食事やビールを置いて、誰かのソロの合間に食べたり飲んだりしながら、スウィングは三時間続いた。
街角の何も無い古い店に、音楽とダンスと仲間の笑顔。
こりゃあまったく“最高!”だ

あっと言う間に閉店時間、テーブルに並べたCDを買って帰る。
バンド名は“Grupo Cochichando”
素敵な夜だった。
ホテルに帰って“サンパウロレコード”氏にお礼のメールを打つ。



サン・ルイス

2008年07月25日 | Weblog

起き抜けてホテルの前のビーチを散歩、波の音を録音。
港湾施設を取材する前に、世界遺産の旧市街を撮影。
せっかくの石畳なのに、街中にお祭りの安っぽいぴらぴらがかかっていて少々残念。
フランス風の街並よりも、つい人を撮ってしまう。店先に商品を並べる布地屋のおばちゃん。坂道の途中に椅子を置いて、座って地面を見つめる老人。ロバの荷車を引く人・・。世界遺産は建物だけじゃないみたい。
ヴァーレのおにいさんが知り合いに頼んでくれて、町役場のバルコニーに登らせてもらう。役場のおじさんにあいさつして、太西洋を四百年望む、いらかの波を撮影。

カラジャス鉄道を、鉄鉱石を積んだ列車がやって来る時間を見計らって、カメラをセットする。何食わぬ顔で、線路の真ん中に。
ヴァーレのお兄さんが絶句している。
「う~む・・・オマエ、どこまで列車が近づいたら逃げる?」
「そうね。あそこの電柱くらいかな。」
「ウム、それなら、まあ、よろし。」
うは~っ、ホントにいいのー?
にっぽんのてっちゃんたちに自慢したい気分。

ほどなく時間通りに機関車が現れる。
電柱を過ぎても当然私はどかぬ。ギリギリまで粘る。
断続した汽笛が鳴り、お兄さんが叫んでいるのが聞こえたのでカメラを三脚ごと担いで退散した。ゴメンナサイ。

ブラジル資源開発会社ヴァーレ社、世界の鉄鉱石の三割以上を供給する。

原油高騰を機に、先進工業国に代わって、発展途上国とされてきた中東や中南米の資源を持つ国々の発言力が高まっている。

「資源を持たない日本は、今後どのようにして生き残りを計るべきでしょうか?」
「いや、日本は立派ですよ。我々資源のある国は強いように見えるでしょうが、この豊かな資源に頼りきってしまって、発展しようとする努力が無いんです。安心しちゃってるんですね。ウサギとカメです。」

無けりゃ無い、有りゃあ有ったで悩みは尽きないようで・・・。

港湾施設をまたもやわがまま一杯に撮影させて頂き、空路サンパウロへ。



ブンバ・メウ・ボイ

2008年07月24日 | Weblog

夜明けと共に起床。コロニアルを散歩しながら鳥の声を録音してみる。
ホテルの窓もドアも吹き抜けのレストランでパパイア、アサイー、グアバ。

カラジャス鉱山で掘られた鉄鉱石はカラジャス鉄道の貨車に乗って北東へ、約九百キロの旅を経て、太西洋に面した古都サン・ルイスの港から積み出される。鉄鉱石を追って我々も飛行機に乗る。

ブラジルでは北が暑い。赤道直下のサン・ルイスは一年中三十度を超える。17世紀にこの国で唯一フランス人によって築かれたこの街は、ヨーロッパのタイルで飾られた美しい街並みが世界遺産に登録されている。

珍しい土地に取材に行った時には、本来の取材とは別に、必ずその地方のレストラン紹介を撮って来ると言う仕事もあって、ここでは地元で評判の海鮮料理屋を撮影させてもらう。仕事を終えてそのまま夕食。

今夜はたまたま一年でいちばん賑やかなブンバ・メウ・ボイと言うお祭りの、そのまたピークの夜だというので、ホテルに帰る前に広場に寄ってみることにした。
時計は十一時を回っている。むっと湿った熱帯の空気、会場へ続く石畳の路地、テーブルを出した店先に、薄暗い赤い電灯の下で、祭りの後のけだるい人々が座ってのんびりと話している。もう終わっちゃったらしいねと歩いていると、広場の奥の方から賑やかな太鼓の音が聞こえた。

「あっちだ!」と小走りに行くと、ステージの上で牛の被り物をかぶった人を中心に、鮮やかな衣装や羽飾りをまとった男女が数十人、男の太い民謡に合わせて手に持った打楽器を打ち鳴らし、笛を吹きながらシャッフルのリズムに跳ね踊っている。
うあぁ!と走って車にカメラを取りに行く。なんとか最後の踊りを収められた。こりゃあイパネマどころじゃないわ。



カラジャス

2008年07月23日 | Weblog

早朝、飛行機を乗り継いで、ブラジルをほぼ縦断、窓の下に赤い大地と未来都市のようなブラジリアの街を眺めながら、アマゾンの南側支流域に広がる世界最大の鉄鉱山、カラジャスへたどり着く。

ジャングルの中をバスで走っても走っても終わりの無い、広大な露天掘りの鉱山。重機が轟音を立てて山を削っている。巨大なトラックがもうもうとホコリをたてて縦横に走り回る。辺り一面鉄鉱石のサビで赤茶色の世界だ。案内してくれる人はもちろん“安全”最優先、「こちらでお撮り下さい。」と、あらかじめ決められた展望所に案内されるが、僕の方は「迫力迫力!もっと近く、もっと近く!」で、ダメだろうなと思いながらも「あの辺に行きたいんですけど。」と言ってみると、困ったナといった顔で話し合いが始まる。

あそこに行きたい、あれを撮りたいと無茶な事を言うと 最初は必ずダメだと言われるんだけど、何故か最後には必ず実現してしまう。これはアメリカでは絶対に起こらない事だ。「ダメなものはダメ、ピリオド。」なのだが、ブラジルの人は頼まれるとどうにかやらせてあげようと思ってくれるらしい。
好意につけこんで、じりじりと採掘機械の真横まで近寄ってホコリを被り、最後には調子に乗ってトラックによじ登って走り回ってもらった。

夕方、碁盤の目に美しく整備された住宅地に、ヴァーレ社が用意してくれたホテルに入る。鉱山職員専用の街で、要するにこの地には人間は鉱山関係者しかいない。フェンスに囲まれたその外側のジャングルは野生動物の世界で、まさに植民地そのもの。その奥のどこかには世界と接触の無い先住民たちが昔ながらの暮らしをしているらしいけど、コロニアル風のレストランに飾られた写真の色鮮やかな彼らを、給仕のおばちゃんはまだ見た事が無いと言っていた。

先住民の保護区はブラジル政府の治外法権となるため、そういった場所で掘られる金やダイアモンドを巡る無法な流血や搾取があるらしく、また、その資源を狙う企業の圧力で、法律が変えられ、乱開発の手が伸びつつ有るという話を聞く。

天井にゆっくり回るファン、
森に響く鳥たちの声を聴きながら眠る。



イパネマ

2008年07月22日 | Weblog

コルコバードの丘からリオの全景を撮影。
イパネマ・ビーチに降りて、(演出側のたっての希望により)お尻たちを撮影。
後でテープを見たサンパウロ支局の女性が「どうしてブラジルって言うと、こうなっちゃうのかしらねぇ。」と、ため息をついたらしい。
はしゃぐビキニ娘たちを背に、まばゆいビーチに立つ日本人記者の黒スーツ姿が味わい深い。

ヴァーレ社と取引する三井物産のリオ駐在員Sさんと会う。
これから行くアマゾン鉱山ツアーに同行して頂けるとのこと。

毎日の暮らしの事やカーニバルで踊りまくる話を聞く。
「リオの治安って、どうなんですか?」
「とても危ないです。」
「アブナいったって、例えばここには行っちゃいけないとか、この時間に歩いちゃいけないとか、ルールを守れば大丈夫なんでしょう?」
「いやー、ところがそれがここには無いんですよ。いつ何があるか分らない。この間もウチの近所の学校で子供が誰が打ったか分らない弾に当たって死にました。とても良い地域だと言われてるんですけど、それから、軍の施設から流れ弾が飛んで来たりもします。」
「でも、買い物とかどうするんですか?普通に人が歩いていますけど。」
「ええ、考えてもしようがないから、でかけます。」
「・・・・。」

T記者によると、中東で働く自衛隊員に「大変な所ですね。」と言ったら、「でも、あの僕らでも入れない前線の向こう側に日本の商社マンたちが居るんですよ。」と笑ったと言う話があったそうだ。

リオと言えば音楽。ゆったりとボサノバでも聞きたいところだ。
調べてみると、イパネマ地区にある老舗、ここが激しく良さそう・・だけど。
さっき聞いた話もあるし、いくら何でも仕事しに来たんだし、それでなくてもカバン紛失事件でひっかき回したばかりだし・・・。ホテルの部屋で開いたガイドブックの前に腕を組んで仁王立ち。ふらふらとホテルを出て、その辺りで水を買って帰る。うーん、やっぱり結構怖いわー。泣く泣くガマン。



ブラジルへ

2008年07月21日 | Weblog

記者のTさんと二人、夜行便で約八時間、夜は明けてブラジルはサンパウロに到着。

中南米にも広がりつつある資源ナショナリズムの動きを受けて、世界の鉄鉱石の三割以上を供給する資源開発会社ヴァーレ社の鉱山を取材する予定。

案内のアンナさんと僕の助手についてくれるジョナス君がにこにこと迎えてくれた。どちらもブラジル生まれの日系人、たどたどしい日本語が異国情緒をそそる。

空港からさっそく南米最大の証券取引所、“Bovespa”に向かう。
思ったよりもサンパウロは肌寒い。光る道路に歩く人々がシルエットで浮かんでいる。ああ、ブラジルの光は美しいなぁと思って、よく考えてみると南半球は冬だった。ああそうか、冬の光なんだ。

「車から降りる時は、なるべくカメラを見せないようにしてください。この辺りはひったくりが多いんです。」
お昼にはブラジル名物シュラスコ、やっぱり、いきなり肉・・、でも美味い。

取材を終えて、国内便でリオ・デ・ジャネイロに飛ぶ。日が暮れて海岸沿いのホテルにチェック・イン。
「ここ、何て言うビーチですか?」
「コパカバーナ・ビーチ。」
おお、聞いたことがあるな。
カミさんに電話して「オレ、今、コパカバーナ・ビーチのホテル!」と自慢してみる。 庶民だねぇ。




Universal Groove

2008年07月19日 | Weblog

作曲/音楽監督/キーボードプレイヤーのTOYAさんと奥さんのヨーコちゃんに愛娘さいきちゃん、四歳だっけ、に夕飯にお呼ばれ頂いてクイーンズのお宅に夫婦で出かけた。

もう随分長い知り合いなのに、売れっ子ミュージシャンのお父さんはツアーにレッスンに大忙しで、なかなか会えるチャンスが少ない。
お酒も少々頂いて・・昨日の今日で全然反省の色無しか?気分もよろしくなったあたりで一曲おねだりしてみる。

仕事部屋のグランド・ピアノで“Polka Dots & Moonbeams”と“Nearness of you” 甘いジャズ・ナンバーに夜が更ける。



モウロク

2008年07月18日 | Weblog

 一夜明け、支局のエレベーターの中で支局長のWさんに「お、ブラジル行くんだってな、よろしくなっ。」と威勢良く声をかけられ「はあ。」と生返事。隣に立っていた事情を知るプロデューサー氏がむふふ。

幸い、同業のNさんが最近ブラジルに行った時のビザが残っているので、替わってもらえるとのこと。航空券変更のタイム・リミットは今晩7時と言われた。それまでに見つからなければ、ブラジル行きは交代となる。

タクシー会社からは「見当たりません。」との返事。
そして昨日のバーへ。
金曜日にバーが休みだとは考えにくい。誰かが来るのを待って、もう一度捜させてもらおう。

日系の、通称“おねえちゃんバー”が並ぶ通り。夕方になると彼女達が出勤して来る様子が興味深い。あまり長い時間、そこに立っているので、近所のドアマンがいぶかしそうに見ている。これじゃ、いかにもおねえちゃんをつけ狙うストーカーじゃないか。

これまで物をなくした時は、どうやってなくしたのか見当がついたものだけど、今回は大して飲んでもいないのに全く心当たりがない。
一体オレはそんなにまでモウロクしたのか?
カバンを無くした事よりもそっちの方のショックが大きかった。
もう酒は一切やめたほうかいいかも・・・。

日が暮れて七時を回っても誰も現れない。仕方がないと携帯を取り出す。
「すいません、カバン出て来ないので、航空券を変更してもらえますか。」
八時、やっと従業員が来て、もういちど店の中を見せてもらうも、やはり見当たらず。もし、外から来た誰かに盗まれたのなら、そこら辺の茂みにでも捨てられていないかと、近所をうろうろ、ゴミ箱をあさる。
これを最悪と言わずして何を最悪と言おう・・いやはや情けない・・。

とぼとぼと家に帰り、黙りこくって夕飯を食べていると電話が鳴った。
「あのー、さっきのバーの者なんですけど。昨日来たアメリカ人のお客さんが『知らないカバンがウチにあった』って持って来たんですけどー。」
「オーっ、お・や・じー!!」
あわててプロデューサーに電話をすると「カバンがあっても中身があるとは限りませんよねぇ。」と冷静なお言葉。「うぇーん、ごもっともー。」

ブラジル行きは首の皮一枚で復活した。

支局ではアナウンサーのUさんが「何だか調子に乗って酒飲んでタクシーに忘れたらしいよー。」と、みんなでにやにやしてたらしい。

つまんないオチで恐縮。