岩切天平の甍

親愛なる友へ

藻から石油

2008年06月30日 | Weblog

テキサス州、エル・パソに飛ぶ。リオ・グランデ川を挟んだお隣はメキシコだ。

藻から石油ができるらしい。
あの汚い水たまりにゆらゆらしている緑色の“も”だ。

日照率90パーセントの当地で藻を育てれば、1エーカー当たり年間十万ガロンの石油を生産できるという。
トウモロコシから作るエタノールは1エーカー当たり20~30ガロンだ。

その上、砂漠地帯でも作れるため、環境に優しく、食用植物でないのでトウモロコシのように食品価格の高騰につながる事も無い、そうな。

目下最大の問題点はコスト高、それが解決されれば、夢の燃料となる?
燃料高騰に苦しむ航空会社が資本を出して開発中との事。



Waterloo sunset

2008年06月22日 | Weblog

デモインから車で二時間、ウォータールーという町の教会を訪ねる。
黒人が集中して住んでいて、アイオアでも突出して犯罪率が高い。

あまり豊かそうでない下町にある小さな教会の牧師さんは黒人で、メンバーは白人黒人混じっているけど、人口比率から考えれば黒人の多い教会らしい。

と言っても集まっているのは十人に満たない。僕の前には見るからにアル中らしき、体中にタトゥーを入れた白人のおっさんがぶつぶつとクヨクヨ座っている。

おっちゃんと障害のあるらしいその息子、おばちゃん二人から成るコーラス隊が前に出て来て、賛美歌を歌い始めた。
これがなかなかのおっぱずれぶりで、「うわー、しびれるなぁ。」なんて思いながら、でも待てよ、これが世の中じゃないか。世界はカーネギー・ホールじゃない筈だ。ここで投票があって世の中が決まるんだ。世界はここにある。物事ここに立って考えなきゃ。と思い直し、心して聞く。
「ま、オレの歌もこんなもんだなぁ。」


We judge people

2008年06月20日 | Weblog

裁判官、検察官、弁護士・・法にたずさわる参加者たちの一人が言った。
「We judge evidence.」私たちは証拠を裁くのだ、と。
それに反論する人がある。
「No,We judge people!」いや、そうじゃない、私たちは人を裁くのだ。
多くの同意者がいたらしく、うなずく様子を目の端々に感じる。
我々のプロデューサー氏も「そうだよね。」と言う。

こういった職業の人達は、法律のプロであり、問題を現行の法律に照らし合わせて、それがテクニカルにどう適応するかを判断するのが仕事であり、決して“良いか悪いか”を判断することを求められているのでは無いと考えていた。

人を裁くのではない、事実を裁く。少なくとも理想としてはそうあるべきだろう。もし法が間違っていることもあると言うのなら、裁判を曲げるのではなく、先ずその法律を改正するのでなければ、平等は保たれないだろう。

人を裁くなどと言うのは奢りであり、時代劇でよく見る“人情裁き”などと言うのもどうかなどとたまに苦々しく思うことさえある。

それは1992年にルイジアナ州で起きた日本人留学生射殺事件に関心を持ったことからそう考えるようになった。

ハロウィーンの夜に服部剛丈君を撃ち殺した犯人が陪審員による裁判で無罪となった。
法律の専門家でない陪審員たちの裁判に対する姿勢は当然主観的なものとなる。提出された証拠と法律を客観的に専門的に吟味することが一般人にどれほど出来るのか。そもそも裁判とは人を裁くものだという誤った認識を一般人から取り除くことが出来るのか。疑問はのこされたままだ。

日本でもこの陪審員制度が始まるらしい。
死刑制度といい・・・何で今更とも思うが、
滅び行かんとするアメリカ帝国を
何故にこうにも日本は追っかけたがるのか。



アメリカは黒人大統領を迎える用意が出来ているか?

2008年06月19日 | Weblog

アメリカは黒人大統領を迎える用意が出来ているか?

黒人の人口比率がわずか3パーセントのアイオワ州、州都のデモインに来た。
ここのところほとんどアイオアに住んでいるような感じだ。

なぜ南部州ではなく、黒人の少ないアイオアで人種差別問題か?
差別する必要すら無い、異人種との接触のない社会では、それだけにそういった関係の扱いに馴れていない。

この州では検挙された黒人が有罪となる確率が全国でも突出して高い。

職場の、学校の、行政の、司法の奥底に、認めることさえ困難な、イノセントで、しかし頑固な差別意識が潜んでいるのではないかと、裁判官や弁護士を集めたワークショップが開かれた。

まず、差別問題を扱った映画“クラッシュ”(ホントに良い映画でしたね)が上映され、登場人物それぞれについてのディスカッションが行われる。

その会話を通して、自分では差別などとは対極にあるつもりの、知性と倫理感にあふれた誇り高き職業人たちの心のヒダの奥に隠れた無意識の差別が指摘されて行き、参加者たちはしぶしぶそれを認めることになる。

「ああ・・なるほど、そう言われれば私もまた差別していたのかなぁ・・。」

そこまでは良いのだが、そこから黒人の司会者が“それ見たことか”とやっつけに走ってしまっては・・台無しじゃあないか、と思ってしまう。

それじゃあ、被差別者の逆差別じゃあないか。

どちらが悪いと言っている間は、何も良い方向には向かわない。
ぐっとこらえて、そこを超え、その先に進めないものか?
黒人も白人も原爆も拉致もパレスチナも・・・何もかも。



バイバイ・スティービー

2008年06月18日 | Weblog

マンハッタンから電車で一時間、さらにバスに揺られて30分。ロング・アイランドのジョーンズ・ビーチにスティービー・ワンダーを見に来た。

入り口でペットボトルを捨てさせられる。中に入ると売店にはホットドッグが$6、水がなんと一本$5!誰も買わないので売り子さんが編み物をしている。
夕立。狭い通路にすし詰めになって客達は雨宿りをしている。係員が、「消防法に違反しますから通路を空けなさい!」と怒鳴る。雨の中に出て行けと言うのか、うんざりした顔で誰も動かない・・・。
夏に夕立は付き物、毎日こんなことやってるのかしら。
ニコン・シアターと言う名前らしい。

一時間半遅れてコンサートが始まった。シートは濡れて、寒さにみんな震えている。ここまで来ると、なかなか盛り上がるのも難しいだろう。
以下、帰宅後のメモ。

歌上手い。
演奏も上手い。
ゆるい演出
冗長なおしゃべりとギャグ
神がどうのこうの・・私たちアメリカ人はどうのこうの・・
息切れ
ドライブ感の無さ
ひたむきさの無さ
偉くなると意見する人がいない?

ついチャップリンと比べてしまった。



Monsieur Verdoux Ⅱ

2008年06月17日 | Weblog

何となくもう一度見たくて“殺人狂時代”のフィルム・フォーラムへ。
暗闇の中で目を凝らすと、だんだん良く見えて来るような気がする。

チャップリン扮する殺人鬼が、街で拾った若い女に毒を飲ませようとして思いとどまる場面が、映画史に残るほども美しいと思う。

映画を見ている時間よりも一度目と二度目の間の日々や、見終わった後にあれこれと考えを巡らせる。

特にそれまで戦争など意識していた風でもない犯罪者が言うラストシーンのセリフ。
「一人を殺せば犯罪者だが百万人を殺せば英雄だ。」

不自然にも思えたけど・・・。

犯罪者が自分の罪を世の中が悪いのだと言い訳するのは世の常だよと我々は笑う。
しかしその自分たちが軽蔑する犯罪者の言い訳が、核心を突いた正論であり、実はお前さん達みんなが犯罪者なんだよと暴かれた時の矛盾と衝撃。

笑いと犯罪と優しさと哲学が混沌とする、矛盾の中をつらぬき通すあの悲しみをたたえたチャップリンの目に思い当たるフシがある。

「そんなにも、そんなにもいい人達なのに、どうしてブッシュに投票するの?」

映画は勝手に歩き出す。芸術は作者が半分、出来上がったあとは鑑賞者が完成させる。

今、この時代にこの映画を掛けようと決めた映画館の、真っ直ぐに問いかけて来る視線を感じるのも、客の勝手な思い込みか。




ああ、アイオア

2008年06月14日 | Weblog

アイオアにとんぼ返り・・・。
おとといまで撮影していた、8月に北海道の洞爺湖で開かれる主要国首脳会議の日に放映予定の番組の裏番組、これまたエタノールがテーマ。

先週仕入れたにわか知識でしたり会話に挑むも、取材者によって考えも様々。

「でも、アメリカの農地全部をエタノール生産に当てたとしても、今の石油の消費量の2パーセントにしかならないんでしょう?」
「イワキリさん、たかだか2パーセントって言いますけどね、実際量としては大変な量なんですよ。」
「ハア、そうですね・・。」

何か、同じようにトラックによじ登って、トウモロコシにうずもれて、どうしてもおんなじような絵になっちゃうなぁ・・・、まいったなぁ、同じ人間が撮ってるからなぁ。どうしよう。