岩切天平の甍

親愛なる友へ

You've Got A Friend

2007年06月30日 | Weblog

 明け方、カミさんの友人で末期がんと戦っていたアメリカ人女性が亡くなったと知らせがあった。

故人の好きだったクロードさんのフランス菓子を買って来て、フォションのお茶を入れた。
「キャロル・キングでもかけてよ、供養しましょう。」
ひさしぶりに“タペストリー”をかけた。
ヒデ君が「宝石の様な」と言ったアルバム。
今も鼻の奥をむずむずさせる。

美しき蒼きドナウ

2007年06月29日 | Weblog

Bramwell Tovey 指揮、ニューヨーク・フィルハーモニック。
ヨハン・シュトラウス二世作曲
“On the Beautiful Blue Danube”

待ちに待った夏の夜のワルツ。
実際のドナウはそれほど美しい川ではないとおっしゃる向きもありますが、そこは聴いてみれば解る。これは川の歌ではなくて、人々の命の流れを歌ったもの(なんじゃないかなー)。もともと男性コーラスの為に作曲されて、歌詞もあるそうだが、その内容を知らないので何とも言えませんがね。

席は例に依って二階中央最前列。うっしっしー!
夏の夜のクラシック・シリーズということで、リラックスした雰囲気。
マエストロもいつになく饒舌だ。
「シュトラウス二世はハンガリー語の喋れないウィーンっ子でした。え?そんなやついるのかって?いるじゃないですか、英語の喋れないジョージ・ブッシュみたいにね。」
「皆さん、ここを19世紀の舞踏会だと想像してみてください。幾千ものキャンドルの灯ったシャンデリア、着飾った紳士淑女たち。あなたもこーんな長くて真っ白なシルクの手袋でそのタトゥーを隠してね。いいですかー?それじゃ、行きますよー。」

ゆるりと船が出る。チェロのピチカートのさざ波が「あんなこともあったね、こんなこともあったね。」とささやくとホーンの大波が「そうさ、みんな一緒に生きて来たんだよ。」と包み込む。観客はゆらゆらと頭をゆらめかせ、ひらひらと手のひらを波打たせている。みんな一人一人のドナウを、それぞれのまぼろしを見ている。マリックの催眠術ショーみたいだ。一つになったうねりをマエストロが小さな指揮棒でドライブする。「ほーら、大波がきましたよー、ざんぶりこー。」

アンコールは当然ラデツキー行進曲。みなさんうっとりして家路につく。

地下鉄の駅にクラリネットでドナウを吹いている若者がいた。
サビの部分だけを繰り返し吹くと、ものすごい勢いで一ドル札が溜まっていった。いやー商売上手いね、にいちゃん。

ヒューマンライツ

2007年06月28日 | Weblog

 エンパイア・ステート・ビルディングに事務所を置くNPO“ヒューマンライツ・ウォッチ”のインタビュー。

ロビーには展望台に向かう観光客の長蛇の列が。
そう言えば数年前、ここの八十階に入居している会社に面接に来ようとしていた女性が電話してきて、真面目な声で「あのー、約束の十時に八十階に着くには、何時にあの列に並べばいいんでしょうか?」と訊いたんだって...

国連やこういったNPOには、一流企業からの高給厚遇引く手あまたを蹴ってまでも、自らのこころざしを追求する(おそろしく)優秀な人たちが働いている。
彼らに会えるのはいつでも嬉しいし、話を聞けるのはこころに油を差してもらっているような気持ちになる。

のだが... 現実はなかなか彼らの話す理想に歩み寄ってはくれない。

スーザン・ソンタグは大江健三郎との対話の中で、

「戦争という手段をとらなければ、武力による侵略をやめさせる道がないという場合に限って、正義の戦争だとみなしうる戦争もある。」

と述べている。

「私は美辞麗句に走る誘惑を振り切って、叡智の声を弁護しているのです。」

相変わらず解りにくいけど...

本当に物事を良くしようと望むのなら。
美しい理想主義を掲げるより、効果をにらんだ、現実に即した具体的な対応を追求するのがより誠実なやり方なんじゃないかといったことでしょうか。
それが原理で動いていない政治に倫理を説いてもしかたがない、か。

サンダーストーム

2007年06月27日 | Weblog

 ボストンから北へ車で3時間、ヴァモント州の田舎でインタビュー一本。
美しい山道が楽しい。北海道出身のジロー君、「うちの田舎とまったく一緒ですねー。」鹿児島出身の僕「うちの田舎ともおんなじだねー。」

 とって返してボストン空港からニューヨーク行きの便に...
悪天候の為、フライトキャンセルド...
一時間後の便に変更してもらって待つ間に、その便もキャンセル。
天候が好転したとのことでやっぱり飛ぶことになり、無事搭乗。滑走路に向かい離陸待ちの飛行機の列に並んだところで飛行機のコンピュータが正常に動作せず、引き返す。そのまま機内に二時間待たされたあげく、機体を替えますとアナウンス、乗り替えているうちにニューヨークの天候がふたたび悪化、新しい機体の中で待つこと待つこと四時間、午前一時、朦朧とする意識の中で目の寄ったスチュワーデスがくれたのが軟禁豆...なんてね。機内で大江健三郎「個人的な体験」読了。

ホワイトハウスの裏庭

2007年06月25日 | Weblog

 ホワイトハウス前を車で通りかかると、沿道に“Resign”(辞職せよ)と書いたプラカードを掲げた女性が立っていた。
仕事が終わって時間が空いたので、彼女の写真を撮らせてもらおうと戻ったけど、もう姿はなかった。

 ホワイトハウス正面の公園には核廃絶を訴え続けて二十六年間座り込んでいる女性がいる。
スペイン出身のコンセプション・ピシオットさん。
国連やスペイン領事館で働き、アメリカの軍事拡張を憂い、家財一切を売り払って、大統領への直接抗議を始めたのが八十一年。
残飯や差し入れで食べつなぐ。公園の規則でテントも寝袋も持てず、厳寒の冬もコートを着込んで立て看板にもたれて眠る。
いやがらせをうけたことも度々あったそうだ。

何度もホワイトハウスの前に来た事があったし、反戦デモの時にも会っているはずなのに、一度も話した事が無かった。
長年の風雪に耐えた風貌と、か細い声で訴える彼女を観光客たちはまるで狂人を見るように遠巻きに眺め、一言もかけずに写真を撮ってゆく。

二十六年、ああ、彼女の人生。言いたい事は増えるばかりだろう。

「世の中のすべての人が幸せにならない限り、私は本当の幸せにはなれない」と誰かが言った。
どんな贅沢な暮らしも、彼女の存在は僕を満足させてはくれないだろう。

僕は彼女と共に生きて行かなくてはならない。

しばらくとりとめもない話をした後、また来るよと抱きあって、ふらふらと立ち去った。

ピシオットさんのホームページ
http://prop1.org/conchita/



タスマニアから

2007年06月24日 | Weblog

 サンフランシスコからワシントンDCへ丸一日かけて移動。

 Pombo Brasilさんの「ブラジル大西部に惹かれた3児のパパィがお届けするサッカー写真ブログ」http://brasileiro.exblog.jp/(ポジティブな生き方そのままの“攻めの写真”が気持ちイイ)に紹介して頂き、オーストラリア在住の写真家、マナブさん(http://somashiona.exblog.jp/)からメールを頂きました。手前味噌になってしまいますが、お許しを得て、ちょっと引用を。

 オーストラリアのタスマニアで写真を撮っています。
イランでのお仕事、とても胸に響きました。
オーストラリアではアメリカの話しになると皆顔をしかめます。
一般のオーストラリア人は悪の中枢としてアメリカを捉え、
中東の国々もいまではテロリストというイメージを拭いきれないようです。

オーストラリアに移住したての頃、僕は他の移民たちと一緒に
6ヶ月ほど英語を勉強しました。
アフリカ各国の難民たちと一緒に。
旧ユーゴスラビアの難民たちと一緒に。
そこではクロアチア人の元兵士とセルビア人の元兵士が
机を並べて新しい人生のために英語を勉強しているのです。
彼らになぜ戦ったのかと聞くと、皆僕には分からない、
と答えます。

どんな国でも、その国で暮らす普通の人々の人生は
僕や友人たちのそれと何ら変わらないのだと
改めて思いました。
僕らの隣人である彼らが殺し、殺され、
失っていくのはとても悲しいことです。

僕は写真で普通の人たちの人生を語っていきたいと考えていますが、その方法を今まだ模索中です。

Pombo Brasilさん、マナブさん、ありがとうございました。



2007年06月23日 | Weblog

サンフランシスコ。路面電車。車の窓から、おとといウェブで見たキース・ヘリングの彫刻を見かけた。不思議な感じで嬉しい。

  イスラムの宗教指導者に話を聞く。
神だアッラーだと言い出せば、それがいかに価値のあることであっても話を聞いてもらえなくなる。いつになれば気がつくのだろう。
鹿児島の人が東京の人と話すときに鹿児島弁でしゃべりはしない。
諸先輩方が落としどころを探ろうと、やっとひねりだした政教分離という共通語。世界の倫理となるような日が来るかしら。

 一つの質問に答えて延々としゃべれる人の能力に舌は巻くけれども、一体本当にひと様に解ってもらいたいと思っているのか、それとも自分のエゴをゴリ押ししているだけなのか。冗長な弁舌や文章には、たいがいの人は辟易してしまう。

サンフランシスコへ

2007年06月22日 | Weblog

 ロスアンゼルスからサンフランシスコへ。
空港の搭乗口には、オーバーブッキングで飛行機に乗れない客があふれていた。この便に乗れないどころか前の便やその前の便からの人もいる。
スピーカーから「誰か次の便に変更してくれたら無料の航空券をあげます。」と繰り返し呼びかけている。近頃この光景は珍しくない。事前にチケットを買っていても、飛行機に乗れるとは限らないのが当たり前…らしい。
なんとか目的地に着いても、預けた荷物が出てこない事も増えた。
届いても中身が紛失している話もよく聞く。
航空会社は一切保証しないので、どうしてもなくしたくない物は預けられない。

 機内には満席にもかかわらず他人の座席に座り、持ち主が現れると自分の席を指差す御婦人。「私の席ですよ。」と搭乗券を見せても、私の隣は夫の席だと主張して譲らない御婦人、「あんた、航空会社の職員がそんなバカだとおもうの?」。
壊れて勝手にリクライニングしてしまう座席と15分間も延々と格闘している男性。
待たされてやっと乗って来た最後の乗客が荷物を棚に押し込もうとしているとスチュワーデスが叫ぶ「あんた、それ足もとに置いたらどうなの?そしたら私たち出発できんのよ!」
到着すると他人を押しのけ、脇目もふらずに出口に突進するアラブ人…

いやはや。

LAへ

2007年06月21日 | Weblog

 ロスアンゼルスへ。
空港で日本から来るスタッフを待つ。
到着ゲートに次々と出てくる人々、出迎える家族を眺めていた。
歓声、抱擁、はじける笑顔。

十四、五歳くらいの男の子を抱きしめる母親の、背中を叩く手が、突然僕の琴線を締め上げた。
数年振りにアメリカから帰って来た親不孝息子を、養老院で迎える母の笑顔と声と背中を叩かれる感触がフラッシュバックして、LA空港の喧噪から一人取り残された。

取り返しのつかないのが人生だ。