岩切天平の甍

親愛なる友へ

エタノール・ツアー

2008年05月30日 | Weblog

 8月に北海道の洞爺湖で開かれる主要国首脳会議に合わせた環境特番の取材が始まった。約二週間のツアー。
食料危機を招いているとかいないとか議論にぎやかなバイオエタノール・ブーム、果たして実際はどうなのか?

ワシントンDCで政府関係者の証言とホワイト・ハウスの外観を撮り、今日はニューヨーク州北部のイサカという街に住む大学教授に話を聴きに行く。
米政府の謳うCO2排出ゼロはまやかしだと主張する。トウモロコシから作るエタノールは、ブラジル等でサトウキビから作るエタノールよりも製造過程がはるかに複雑で効率が悪く、大量の石油を消費する。その上、トラクターもトラックも石油で走るしね、と・・・。

でも、そんなふうに石油を使って作ったエタノールが最終的に石油の消費全体を少しでも減らすのなら代替燃料としての意味はありそうだけど・・・
車の中で?だらけの会話が続く。

それからトウモロコシ農家のおっちゃんの話を聴く。
「商売だから高く売れる作物を作るし、高く買ってくれる人に売るよ。わるい?」
これはわかりやすい。

ディレクターのNさんとコーディネーターのショーンはアイオアに先乗りしてロケハン、我々は一旦帰って数日後に再合流する。



インディアナジョーンズ

2008年05月26日 | Weblog

近所の映画館にインディアナジョーンズの新作を見に行く。

しかし子供向け映画とは言え・・・

ロシア人、土人?の今時コレですか?といった描き方に驚く。
何一つ救いの無い悪役を、目をそむけたくなるほど執拗に殴り続けるヒーロー、何をしたいのだろう。

これがあのETを撮ったスピルバーグなのか・・・。

映画館を出ると通りを通行止めにして、アフリカン・ストリートフェアをやっていた。

工芸品や美術品、衣類、日用品に屋台がいいにおいをさせている。
日だまりの中を家族連れやカップルがゆったりと歩いて行く。

アフリカ系の多いブルックリンらしい風情で、あまり商売っ気を感じない。
マンハッタンのやくざフェアとだいぶ違うおもむきがなかなか良いかんじ。




村上隆展

2008年05月24日 | Weblog

 ブルックリン・ミュージアムに村上隆展を見に行くと、思いがけない事に、歌川派の浮世絵展もやっていた。新旧の日本美術を観ることが出来る、なかなか心憎い趣向だ。

まずは旧から、やはり初代広重がひとつ抜けて良いような気がする。
線の美しさに息を飲む。
日本ってこんなに美しかったんだとため息が出る。
消えてしまったんだな。

そして新の方は、うーん、十五分で見終わってしまった。
でもコレ、現代のピカソだったりするのかな。
なんでも彼の絵が六億円で売れたそうな。
ろくおく・・・ばかだねぇ。

美術館を出て、隣の植物園を散歩。
日本庭園で池を眺めながら、ニューヨークに住んでいた江戸っ子芸者、中村喜春さんと仲の良かったロバートさんの話を思い出した。

ロバートさんは子供の頃ブルックリンに住んでいて、ここの日本庭園によく家族で遊びに来ていた。
太平洋戦争が始まって、日本戦線に行くかイタリア戦線に行くかと訊かれ、日本庭園の想い出があったから、日本と戦いたくなくてイタリアにしたのだそうだ。
もしスパゲッティが大好きだったらずいぶん悩んだことだろう。



スローフード

2008年05月18日 | Weblog

 ベレフォンテの小さなダウンタウンに小洒落たレストランを見つけた。
スローフードと書かれたその店はシンプルで趣味の良い内装に、この田舎街に似合わないモダンジャズがかかっていて、店員の印象も味も良い。ほどなくお昼はいつもここに来るようになり、席もいつも同じ。

料理を待つ間にぼんやりと通りを眺めていたら、ちょうど店の前に一台の白い車が止まった。ドアが開いたが、誰も降りて来ない。しばらくして小柄なおじいさんが運転席の方から降りて回って来た。ゆっくりとおばあさんを降ろして歩道に立たせ、ドアを閉めると、おばあさんはおじいさんの腕にしっかりつかまって、おじいさんが肩を抱くように歩き始めたその時、僕の方を振り向いてにっこり笑った。僕もにっこり笑ってうなずくと、おじいさんもうなずいて、ただそれだけのことだったけど、嬉しかった。

スケジュールの都合で残念ながら撮影を少し残してカメラマン交代。
ケーシーちゃんにサヨナラを言って、アムトラックでニューヨークへ。





輝く命

2008年05月15日 | Weblog

朝の歯磨き、学校へ行く、お姉さんのカイリーがマニュキアを塗ってくれる。日が暮れたらキャンピング・カーで魚釣りに行く。主治医の検診に病院へ行き、注射に泣き叫ぶケーシーを押さえて一緒に泣きそうになるお父さんを撮りながら自分も泣きそうになる。ぐずる彼女にお父さんが「フレンチ・フライを買いに行こう。」と言ったとたんに満面の笑顔になった。

朝から晩まで一週間もやってくるテレビに、お母さんは嫌な顔一つせず付き合ってくれる。お姉さんは十六歳だと言うのにまるでまっすぐで、「ケーシーに出来るだけの事をしてあげたい。」と話すお父さんは、体は大きいくせに何か質問するたびにすぐに涙声になるので、インタビューするときにはティッシュの箱を置いておかなければならない。

「あたしはお日様の中に出られないのは知っているのよ。でもそれはほかの子と違うっていうだけで、悪いことじゃない。病気じゃないの。」
いつもにこにこ顔のケーシーちゃんは答える。

難病を抱えた女の子を守り育てている家族と、その周りの社会が、同時にまたケーシーちゃんに育てられているようにも思える。

恵まれた者が恵まれぬ者を助ける。
その立場に奢ることなく、恵む者もまた、それによって教わり育まれているのだと忘れずにいたい。

国と国も同じかと、また考えがあらぬ方へ飛ぶ。

はて、自分はどちらだろう。
持ち回りか・・・。




ケーシーちゃん

2008年05月12日 | Weblog

 ミッドタウンでレンタカーを借りて、ケネディ空港で日本から着いたディレクターのNさんを拾い、南西へ四時間、ペンシルバニア州山あいの小さな街、ベレフォンテへやって来た。

“輝く命”というドキュメンタリー番組の取材で一週間余り滞在する。

今回撮影するのは、ポリフォニン症と呼ばれる太陽や電球などの紫外線に触れると皮膚が焼けてしまう難病を抱えて生まれて来た女の子、ケーシーちゃん、七歳。治療法はまだ発見されていない。

光を浴びれないせいか骨がもろく、生まれた時に鎖骨、右腕を、左足はこれまで五回骨折し、そのため左足は右足より四センチ弱も長くなってしまった。

四十二歳の両親と十六歳の姉、家族四人は窓に紫外線フィルターを貼って、日よけを降ろした薄暗い家で暮らしている。電球も40ワット以上は使えない。外に出るには特別製の防護服に手袋、その上に傘を差す。スクール・バスの窓にも学校の教室の窓にもフィルターが貼ってあるという。

ハンドルを握りながら考える。
どんな風に振る舞ったら良いだろうか・・・わからない。
とにかく会って、精一杯向き合おう。うその無いように。
それが一番かんじんだろう。



女は女である

2008年05月11日 | Weblog

ダウンタウンのフィルム・フォーラムでゴダールの“女は女である”。

映画館に入って始まるのを待っていると、後ろの席にカップルが座る。
楽しそうにおしゃべりする二人に、何が悪いわけもないのに、そわそわしてきて、思わず振り返って「キミタチ、映画が始まっても喋ったりしないよネ?」などと念を押しそうな自分を妄想する・・。
隣にバケツの様なポップコーンを抱えたでぶちんが座る。映画にポップコーンは付き物・・だけど。映画が始まる前に恐怖心でげんなりする。

時にはそういう客がそばに来ると席を移って逃げ回ったこともあったけど、ほどなくムダだとあきらめた。

その昔、映画館が全盛だった頃にはワイワイと賑やかに映画を見るものだったらしい。フランスやイタリアの映画中の映画館のシーンでもそんな風景をよく見る。イランに行った時に入ったテヘランの映画館では、男女別々に座らされて、それでも皆お弁当を広げ、おしゃべりしながら映画を観ていた。

もっとゆったりと構えたらいいではないか・・・。
良い映画だったら、自然とみんな黙るさ。
なんて思いながらやがてあかりが消えて映画が始まる。
いつもの様にケータイが鳴る。
あわてて切るのかと思ったら、ばあちゃんの大声が「あーもしもしー?いまねー、えいがをみてるのよー。ごだーるのねー。」

あはは!ばーちゃんすげーな。



かっこいい!

2008年05月10日 | Weblog

「カッコいいひと」ってそうだよなー、としつこい。
それって、戦争に勝ったのと負けたのと関係あるのかしら。
端的には強者と弱者か?
ターミネーターと寅さんか・・・。

そう言えば以前ニューヨーク郊外のロングアイランドに何やら“太鼓のメディテーション”の取材に行った友人の話を聞いた。

ウォール・ストリートで働くエリート・ビジネスマン達が週末、ヨガ道場のような広い部屋にそれぞれ座布団と太鼓を持って集まって来る。
みんなで座り込んで各々太鼓を勝手に叩き始める。
そのうちチクショーと叫ぶ者、ああーっと言葉にならないうめき声を上げて、はらはらと涙を流しながら皮が破れんばかりに太鼓を打ちまくる・・・。

正気のサタデーナイト。

話を聞くと、アメリカ人男性は子供の頃から“強く”なければならないと教えられ、育てられてきたけど、自分が実は強くないことは知っている。それがどうにもたまらないストレスになって、ここで太鼓を叩いて発散させているのだということだった。

強いってたいへんなんだ。



内田光子

2008年05月09日 | Weblog

 カーネギーホールで内田光子のリサイタル。

SCHUBERT   Sonata in C Minor, D. 958
GYÖRGY KURTÁG   "Antiphone in F-Sharp Major" from Játékok, Book II
BACH   Contrapunctus No. 1, BWV 1080 from The Art of Fugue
GYÖRGY KURTÁG   "Tumble-Bunny" from Játékok, Book III
GYÖRGY KURTÁG   "Portrait 3" from Játékok, Book III
GYÖRGY KURTÁG   "Dirge 2" from Játékok, Book III
GYÖRGY KURTÁG   "Hommage à Christian Wolff (Half-Asleep)" from Játékok, Book III
BACH   Sarabande from French Suite No. 5 in G Major, BWV 816
GYÖRGY KURTÁG   "Play with Infinity" from Játékok, Book III
SCHUMANN   Symphonic Etudes, Op. 13
そしてアンコールに
SCHUBERT   Impromptu in G-flat Major, D.899, No. 3

内田光子のピアノは鮮やかだ。
どんなに小さな音一つでも音が立っている。
他の誰と比べるほどものを知らないのでどうこう言えるわけでもないけど。

ステージに出て来るだけでみんなが大喜びするほど人気があるのは、演奏の素晴らしさと相まって、楽しくてしょうがないといった風に演奏する彼女の表情を見るのがまた楽しいと言った事もあると思う。

内田光子、ヨーヨー・マ、ミドリ、ランラン、小沢征爾。皆に愛されるのは決まって表情豊かなパフォーマー達だ。内田は小沢が指揮するみたいにピアノを弾くし、小沢はミドリがバイオリンを弾くみたいに指揮をする。

何故かアジア人が多い。今迄そんな西洋人演奏家を見た事がない。何故なんだろう。きっと容姿の良い西洋人達はその格好良さがどこかで素直な表現にブレーキをかけているのかもしれない。

そう言えばアジア映画と西洋映画についても同じようなことを感じる。
単に人と会っても・・。

その一種の、悪い言葉で言うと「気取り」とも言える意識が、決していつもカッコいいとも思えない人に重なって見えると、時にはコッケイな感じもする。

たいへんなのかな、カッコいい人って。



B&W

2008年05月05日 | Weblog

 原爆記念日の特番の取材で当時の関係者に話を聴きにワシントンDCへ。
周知の事だが、“誰が悪い”という議論を超えて、その先に進もうとしない限り、核問題は先へは進まぬ。「俺が悪かった。」などとは誰も言わない。やり方を考えるべきだと思う。

新藤修一の仕事場、月例展
今月のテーマは“B/Wで物撮り”

“仕事で(ヒロシマ、ナガサキの)マンハッタン計画にかかわったという科学者に
会いました。
かなりのご高齢で、奥様が脳梗塞を患われ、現在アフリカ人のナースに助けられなが
らリハビリに励んでいらっしゃるとの事。
黒人のジュリエットさんに手を取られて本当に嬉しそうにしている白人のメリーさん
の笑顔を見て、原爆・・白人・・黒人・・。人の縁とは不思議なものだと感じ入りま
した。”