岩切天平の甍

親愛なる友へ

スプーンフルリバー

2008年03月28日 | Weblog

写真家のトヨダヒトシが新作/スプーンフルリバーを持って日本に行っている。
ショーをやるから友人達に知らせてくれと、のんびりしたメールが届いた。

『東京は夏のような日が続いているよ

日本に来るのが遅くなったため
ずっといろいろな準備に忙殺されていて連絡が遅くなってしまったけれど
今回の上映の詳細が載っているアドレスをやっと送るね

http://www.hitoshitoyoda.com/tokyo2008.html


最初の上映はもう明日なのだけれど
そのあとの野外上映をお知らせしてもらえるかな

一昨日、最終的な会場設定をしてきたのだけれど
どちらもいい風の吹く、東京という町(街ではなく)での
人の営みが感じられる市井の中での上映になります。』


興味があったらご近所お誘い合わせの上、ぜひどうぞ。


バーモント

2008年03月27日 | Weblog

金融危機の取材でバーモント州へ。証券マンのインタビューに山あいの美しい街へ来た。

四、五年前の冬、アーミッシュのイマニュエルが「バーモントにチーズの作り方を教えてくれる人がいるんだけど、車を雇うのが大変だ。」とこぼしたことがあった。面白そうだから「そんなら俺が行くよ、カミサンも習いたいって言うし。」と、三人ででかけた。
ペンシルヴァニアから車で七時間、日本人二人とアーミッシュマンの珍道中、どこへ行っても目立つ。

夜が更けて、街道沿いのバーガーキングに入った。店員全員が目を丸くして一瞬動きを止める。イマニュエルはにやにやして、店長らしき男に「何だい、みんなじろじろ見てるじゃないか。」と言うと、店長は慌てた様子で「そ、そんなことはありませんよ、だんな。」と目をそらす。

テーブルに座って、さあ食べようとイマニュエルがハンバーガーを手に取って口を開けた瞬間、僕が何の気無しに両手を合わせて「いただきます。」をすると、イマニュエルは開いた口をひきつらせ、ハンバーガーを皿に戻したかと思うと、えへんと一つ咳払いをして「さあ、祈りましょう。」と言った。
がらんとしたバーガーキングの青白い蛍光灯の下、祈るアーミッシュと日本人・・。

その夜は街道沿いのモーテルに泊まった。シャワーから出るとイマニュエルがステテコ姿でベッドの端に腰掛けてじっとテレビから目をはなさずに訊く。「これ、誰?」「ああ、オサマ・ビンラディンだよ。」「おー、これがオサか・・。」

翌日はピーター・ディクソンのチーズ教室。牛の世話係の太っちょの相棒と皮肉屋のおかみさんがにこにこと出迎えてくれた。
髪が混じらないようにシャワーキャップを僕らは頭に、イマニュエルはヒゲにかぶせてミルクをかき回す。
お昼にお土産にとリトル・イタリーで買って来た生ハムとチーズでパンを食べて、僕はまた七時間運転して帰らなければならないので車で仮眠、あとの二人はみっちりと特訓の仕上げ。目が覚めると出来上がっていたチーズを車に積み込んで土砂降りの中をペンシルヴァニアへ。
爆睡するイマニュエルを「着いたよ」と揺り起こしたのは夜中の二時過ぎだった。

その後、イマニュエルはわざわざカナダまで道具を買いに行ったり自宅にドリルを改造した撹拌装置を作ったりしてチーズ作りの設備を整え、自分で絞ったミルクで美味しいチーズを作るようになったけど、投資と収入がなかなか見合わないらしく、最近はたまにしか作らなくなっている。

ああ、バーモント・・・。


Hank's

2008年03月22日 | Weblog

カミさんの友達が近所の店でライブをやるというので出かけた。

アメリカ・インディアンが始めたHank’sと言う名の古いバーの突き当たりにステージがある。周りの開発に押されてか、店には“For Sale”の張り紙があった。

こんな猥雑とした昔ながらの店も、そこに居た人間達もどんどん姿を消して行く。
代わる代わる演奏するオヤジバンドとその友人たちで店は和やかに賑わっていた。
スターにならなくても、音楽にサヨナラする理由など何も無い。



新藤月例展

2008年03月19日 | Weblog

“進藤修一の仕事場”月例展、今月のお題は
【商品広告、或いは企業広告(団体を含む)】

新藤様、
ニューヨークの岩切です。
先日、我が家の加湿器が壊れました。
1シーズン持ちませんでした。
アマゾンで新規購入すべく、レビューを読みあさったのですが、“機能は良いが、壊れ
る”のオンパレード、すっかり購入意欲を無くしてしまいました。
ホントかウソか、友人の話によると、メーカーの多くが買い替えをうながすためにい
かに程よく壊れるように作るか研究する部署を設けているとのこと・・・。
そういう訳で、こんな団体を作ってみましたが、ちょっと意味不明か・・・。

わかってください、このキモチ。


Chelsea

2008年03月18日 | Weblog

女流写真家ナカマサさんによる歌手アヤカの写真撮影の助手に付く。
HMIライトを扱える人を探しているとの事で、面白そうだからやることにした。

ロケ場所はロックスター達が住んだ事で有名なチェルシーホテル、独特の雰囲気と大きな窓から差す自然光が美しい。

ナカマサさんはその細い体と笑顔を振り絞ってタレントとスタッフ、クライアントを相手にまさに孤軍奮闘、たった一人で現場を盛り上げて行く。朝から晩まで途切れる事の無い気配り、タフさに舌を巻いた。

彼女の負担をほんの少しでも助けてあげられたらどんなに喜んでくれただろうとは思うけど・・情けないことに、そこまで立派にはなれなかった。御免。



Lang Lang

2008年03月15日 | Weblog

カーネギーホールで“クラッシック音楽界のタイガー・ウッズ”こと天才ピアニスト、ランランのリサイタル。
ランランはライブに限る!彼が全身でピアノを弾く様子を見るのはその音と相まって、楽しさを何倍にもする。

モーツァルトのソナタ、シューマン幻想曲、そして中国民謡。
とてもピアノ演奏とは思えない。
どきどきしながらこれはどう言ったらぴったりくるのかと考えてみる。
風景でもないし・・、匂い、歩いていてふと流れて来る花の匂いに全身で春が来たと知る、記憶の中の匂い。あの感じ。
でも、僕は中国に行ったことは無いからなぁ・・・。
ランランを聞いて、まだ見ぬ中国を匂う、か。

隣の席にじゃらじゃらのゴーカなイヤリングをぶら下げたお美しいおねーちゃんが座った。ピアノ一台、マイク無しのホールは楽譜をめくる音も聞こえるほど静まりかえっている。で、耳元でじゃらじゃら、じゃらじゃら・・・。こりゃたまらん。ぐっとこらえて低姿勢で「すいませんが、イヤリングを外してくれませんか。」と頼むと、フンといった表情で「分かった、分かった。」と手の平をひらひら。
イヤリングはつけたまま、時折じゃらっ・・じゃらじゃらっ・・「だ・か・らー、外してくれっていってるじゃない!」「動かないからいいでしょ!」「それ外すのがそんなに難しいの?」「難しかないわ、外したく無いだけよ。」周りから「しーっ!」と言う抗議の声。お美しい女性の連れがはらはら顔で「あー、僕がそっちの席にすわるからさ、それでいいかな?」と席を変わる。
二人はインターミッションに席を立って、後半は帰ってこなかった。何しにきたんじゃ、あの女。

後半はグラナドス、リスト、で、アンコールにショパンの練習曲 E Major, Op. 10, No. 3, 。

若き天才、歳を重ねるにつれて、彼の音楽も変わって行くだろう。それを眺めながら僕もまた自分の事をやりながら歳を重ねる。今を生きられて幸せだなと思う。

ま、こんなところで何をぐだぐだ書いても意味が無い。
チャンスがあったら聴きに行ってください。
ランラン。後悔させませんぜ、旦那!




斉藤けさ江

2008年03月14日 | Weblog

 サンタフェから帰ると、日本からけさ江ばあちゃんが着いていた。

斉藤けさ江書画集。

先日十八年振りに再会した市毛さんが写真を担当している。
アシスタントの古田さんが送ってくれた。

毎日を小さな畑で野菜作りに過ごすけさ江さんは七十歳になるまで読み書きが出来なかった。
息子さんに字を習って、家族のことを書くうちに、勧められて書を始める。
そして九十歳になって出来た書画集。

「とまと」「ぴーまん」「ぶろっこり」そして「たのしい」。
けさ江さんの書のモチーフもまた、彼女の畑から採れる。
飾りの無い力強い筆致は表現と言うよりも、ばあちゃんの命自体がそこにあるようだ。

古田さんから日本のお土産にと頂いた中野重治の本に、“素樸ということ”と題した小文があった。「だいたい僕は世のなかで素樸というものが一番いいものだと思っている。こいつは一番美しくて立派だ。こいつさえつかまえればと、そう僕は年中考えている。」

頭の中でぼんやりといろいろなことが手を取り合う。

友人のアーミッシュの子供たちが、仕事をいいつけられていやいや働いていたのが、大きくなるにつれて責任感を持つようになり、いつの間にか積極的に働くことを楽しむようになる様を眺めていて、「ああ、これこそが“美”というものか。」と感じ入ったたことがあった。

退屈で長い毎日を、いかに充実した美しいものとして生きることができるようになるか。僕たちは文明に奪われてしまったそれを取り戻さなければならない。

芸術の行き着く先は人間生活の基本である“労働”をどう解釈するかということに重なってくるような気がしていた。
そしていつも心にひっかかっていたことをまた思い巡る。
芸術家の、特に一流とされる人達は、幼少の頃から専門の道に通じて、その生涯を一つの事に捧げる人が多いが、しかし例えば労働を知らぬ芸術家が真に労働を描くことができるものだろうか。もちろん、五嶋みどりに畑仕事をするべきだなどと言うつもりは無いけど、しかしトルストイや宮沢賢治の試みがあり、日本のプロレタリア文学運動にもそうした議論があったらしい。そう言えばゴッホの絵も、彼が実際に労働をしたという話は聞かないにしても、そういった事の尊厳と共感に根ざしているようにも思える。

けさ江ばあちゃんの書の素朴を繰りながら、まるで子供が知らぬ間に母親に育まれて行くように、行くべき道を導かれているような気がした。




Andrew Smith Gallery

2008年03月12日 | Weblog

撮影の合間の待ち時間に、ちょっと写真のギャラリーを覗くことにした。
Andrew Smith Gallery、アンセル・アダムスをはじめスティーグリッツ、ケーゼビーア、ブレッソン、ウェストン、アーウィットなど、きら星のような巨匠たちの、どこかで見た事のある有名な写真のオリジナル・プリントが並んでいる。このコレクションはMOMAもかなわないだろうと思うほど立派だ。

アシスタントのK君は写真を始めたばかり。このご時世に敢えてニコンのFM2というマニュアルのフィルムカメラを買い、モノクロを詰めて、休みになると写真を撮りにでかける。目と口を丸く開けてうなっている。

古典とも言える写真たちに交じって、アニー・リーボビッツの作品もあった。これも有名なもので、僕の持っている彼女の写真集にも収載されている。

K君がその前に立ち止まって、首を傾げている。「ああ、やっぱり。」

去年、ブルクリン・ミュージアムであったリーボビッツの回顧展を見に行って、彼は随分感心していた。僕はがっかりしたけど。

「なんとなく分かりますね、彼女の写真って。でも・・こんな風に他の人の写真と並べて見ると、思っていたのと何か違って見えるんですよね・・・。」

「うーん、有名人を表面的なアイディアで撮ってるだけだから・・浅い感じがするよね。」

世界中で絶賛されている“現代を代表する写真家”の彼女だから、中にはこんな身の程知らずの暴言を吐くひね者が一人くらいいてもいいだろう。

それにしても彼はちょっと嬉しい事を言うな。


放浪の旅2

2008年03月11日 | Weblog

中国残留モンゴル人の村に温泉があった。男湯と女湯の間で馬の鳴き声のような声をかけて会話している。
さすが騎馬民族と感心・・。

M君が絵描きだと知ったモンゴル人、床下から仏絵を出して来て、これを写してくれと言う。中国当局の弾圧を恐れて隠し持った仏絵、ぼろぼろになっている。

「僕、仏教徒じゃないですけど。」と言うも、「問題ないから。」と次々と村中の家から持ち込まれ、三日間かけて複写した。
もうすぐお坊さんの一行が来るからおはらいをしてもらって、この絵に魂をいれるのだと言う。
「来年には新しいお寺が出来るからそしたらそこに絵を描いてください。」


二十五歳のM君、絵の具をしょって世界放浪の旅。

「ちゃんと仕事につきなさい。」
家族は揃って反対する。
「絵の勉強をしたからこれが僕の仕事なんだ。」

その中で父さんだけが、
「人生っていうのは思っているよりずっと短いものなんだ。
だからやりたい事は出来る時にやっておくといい。」
って言ってくれたんだよ。


放浪の旅

2008年03月10日 | Weblog

夕飯を食べながら、コーディネーターのM君が二十五歳の頃にした放浪の旅の話を聴く。

M君のお母さんは台湾人でお父さんがアメリカ人。
美術大学を出たM君は絵の道具をしょって旅に出た。

「北海道で雨に降られて、お寺があったから泊めてくれませんかって訊いたら本堂でよかったらどうぞって、布団を敷いてくれて、暖めた牛乳をくれたんだ。コップを返しに台所に行ったら、おかみさんがじっと見て、
『あのー、アメリカで私たちのこと、エコノミックアニマルって言ってるって本当なんですか?』って。」

それからホタテ、イクラ、シャケにお酒が出て「お風呂どうですか?五右衛門風呂ですけど。」「ごえもんぶろって何ですか?」「こう、板の真ん中を踏んでね、周りがちょっと熱いけど・・・。」

明くる朝、「お弁当用意しておきましたから。」とシャケ、イクラのおにぎり。「それからこれを。」と封筒を差し出す。
道中開けてみると、千円札が十枚入っていた。

東北で、また雨の夜、ラーメン屋に入って、セーターを乾かしていたらピンクの髪にパジャマを着てサンダルを履いた若い男たちがどやどや入って来た。

いきなりM君のところへやって来て「おまえ、どっからきたの?」そのまま飯場の男達とはしご酒。ねぐらに連れて行かれ、布団を敷いてくれて、大きな桃を差し出す。酔っぱらったM君はむしゃむしゃ食って寝てしまった。

あくる朝起きると男達は仕事にでかけて居なくなっていた。
M君はありがとうとつぶやいてまた旅に出る。