岩切天平の甍

親愛なる友へ

スピーチ

2004年08月15日 | Weblog

  毎年、夏になるとメイン州の湖のほとりでサマーキャンプが開かれます。
Seeds of peaceという、アフガニスタン、パキスタン、イスラエルを初めとした世界の紛争地の子供達がひと夏を一緒に過ごすキャンプで、米国の子供も寝食を共にします。そのオープニングセレモニーで、各国代表の子供達のスピーチを聞く機会がありました。ほとんどが、自国での厳しい体験と、このキャンプとその未来にかける期待を、(ほとんどの子供達にとって、母国語でない英語でのスピーチだったということもあり)不器用に、はにかんだり、時には涙を流しながら話しました。その中で、米国代表の子供のスピーチは、その構成も、言葉も、話し方も群を抜いてスマートなものだったのですが、返ってその大人びた上手さのために何かしらうすら寒い印象を受けました。
2ヶ月が過ぎ、キャンプ最終日にワシントンDCでお別れパーティーが開かれ、再び子供達のスピーチがありました。その暖かな会の合間合間に地元の政治家センセイ達がやって来ては、子供達に言葉をかけて行きました。センセイ達のスピーチは、決まり切った文句の羅列、まるで選挙運動のそれのようで、その作り笑顔と相まって、子供達のスピーチとのコントラストがあまりにすさまじく、まったく背筋がゾッとする思いをしました。いやー、いいもん見せてもらった。子供達はどう思ったんだろう。

  スピーチと言えば、パウエル氏が国連でイラクの国連決議違反の証拠を提示した(実際はしなかったけれど。)時、いつも会社のトイレでランチ後の歯磨きを一緒にするとなりの会社のアメリカ人にろうおもふ(どう思う)?と聞いたら、「うん、たしかに彼はスピーチが上手いよ、いいスピーチだった。テクニックだ、だけど問題はスピーチの善し悪しじゃないだろう?」とまくしたて、ぼくが「そうだ、そうだ、その、なんだ、」と英語につまっているうちに彼は頭をふって出ていってしまいました。