岩切天平の甍

親愛なる友へ

The Gates

2005年02月27日 | Weblog

  何でも布で包んでしまう芸術家、クリストとその妻、ジャンヌ・クロードの “The Gates” がセントラルパークで行われていた。

http://www.christojeanneclaude.net/gates.html

 星の数ほどのアマチュア・カメラマンにまぎれて、僕も何とかうまく撮ってやろうと6日間通った。
 作品の内側から眺めると、まるでアートの母の胎内にいるかのように安らかな気持ちで、すれ違う人たちも皆、優しい顔をしていた。まあ、結構気に入ったショットも撮れて、「これでもういいや」と思った次の朝、ふとんの中で「ああ、あの感じを撮らなきゃいけない」とやっと思い立ち、最後にこんな写真が撮れた。
んー、写真ってこんな風にとらなきゃいけないのね。と何となく思った。

Jim Hall & Satoshi Inoue at The Village Vanguard

2005年02月18日 | Weblog
  
  1989年、ニューヨークへやって来て、初めて働いたウォール街のカブキレストランで、「キャンユースピークジャパニーズ?」と声をかけてきたのが、当時そこでウェイターをしていた井上智さんだった。あれから16年、井上さんから「ヴァンガード創業70周年記念」で、ジム・ホールとデュオでプレイするというメールが届いた。「写真を撮りたい」とお願いしてみると、「サウンドチェックの時だったら、たぶん問題ないと思うけど」ということで、5時半にクラブで待ち合わせした。

  2月18日、氷点下まで冷え込んだ夕暮れ時のヴァンガードで、井上さんは楽器を準備しながら、ジムに「私の夢がかないますよ」と嬉しそうに言った。7時、ジムは近所の自宅に戻って、愛犬の散歩。我々はメシでも食いに行こうと街にでかける。井上さんは鍋焼きうどんをおごってくれた。ふうふう食べながら、「私はねぇ、なんだかジム・ホールとは縁があるんですよ。学生の頃に、えらい悩んでまして、進路のことで、かたぎになるべきか、好きな道を行くべきか・・・。俺よりギター上手いやつも就職してしまうしねぇ。ほんとに死ぬほど悩んでいたら、ある晩、夢にジム・ホールが出てきてね、『やりなさーい!』って、言ったんよ。」「日本語でですか?」「うん、日本語だったと思う。で、ニューヨークに来て、ニュースクールのオーディション受けていたら、うしろで聴いていたジムがやってきて、『君とどこかで会ったよね?』と聞くから『ハイ、夢の中で。』ってね。」

  1セット目、ジム・ホールによる井上さんの紹介から始まる。「コービからやってきた、若く、才能のあるギタリスト、サトシ・イノウーエ!」晴れやかに深々とおじぎをする井上さんに思わず目頭が熱くなる。ヴァンガードだぜ!しかもジム・ホールと!

  ジム・ホールは反骨の士でもある。反戦活動などの場で頻繁に演奏している。昨年の大統領選挙ではケリー候補の応援ライブをやったそうで、この日のMCでもしきりに現政権を皮肉っていた。「最後に、私の数あるヒーローの中の一人、ソニー・ロリンズの曲です。ソニーはもう何年も温暖化の問題に取り組んでいて、彼はあの大統領が生まれる前からそうしたことをやっているんだ。来月、3月19日、あの2年前のイラクの災難の日に、ウッドストックでピース・コンサートをやります。ソニーも誘っているところです。それまでに平和がやって来ればやらなくていいんだけどね。」ここで観客の笑い、そしてジム「いや、まじめな話しさ。」"St.Thomas":ジムは弦がビビろうが、指がついてこまいが、おかまいなしに責め立てる。立ち止まりたいところで立ち止まり、とまどう観客を置き去りに自由自在に走り切り、井上さんにニヤリと笑う。まるで、「息子たちよ、スジは通しなさい」と言っているようだ。「ジムが『行けーっ!』って言ってるようで、なんだか説教されてるみたいだなぁ。」とは演奏が終わったあとの井上さんの言葉だ。

  長い年月が経ち、いろいろなことがあって、いつしか音楽に自分の人生を重ねて聴くようになったようだ。ぴったりと重なった時、僕の心が震える。「ジャズは人也」、ジムの「才能ある」という紹介が、音楽のことはもとより、井上さんの「人」として生きる才能のことを言っているのだと思わせるライブだった。僕の知る限りのヴァンガードでは聴いた事のなかった、いつまでも鳴り止まない拍手がそれを証明しているようだった。みんな心を震わせていた。

後日、ジム・ホールに写真を進呈した際にサインをねだったら、ジムはサインの横に漢字で”平和”と書いて、ニヤリと笑った。