岩切天平の甍

親愛なる友へ

2007年03月31日 | Weblog

 ヒューストンから北に車で三時間ほどの街、Templeへ。

 田舎のハイウェイには、あちこちにいろいろな動物の死骸が車に轢かれて転がっている。
いつか、あれを処理する仕事の人がいるって聞いた事があるけど、どんなことを考えるんだろうか。

 路上に黒い点が見えた。亀だ!道を渡ってる。あやうくよけて轢かなかった事をバックミラーで確認する。
「ありゃ、ずいぶん時間がかかるよ。道を渡るのも命がけだね。」「帰りにあいつがつぶれてるのを見たくないな。」
しばらく走って、車を止めて写真を撮ればよかったと激しく後悔した。広大なテキサスのハイウェイを渡る一匹の亀、あー、しまったぁ、二度と撮れないだろうなー。

 動物園の前で家族連れにインタビュー。
声をかけたお父さんが唖だった。
臆する事まったく無く、奥さんが手話で通訳。
二人とも生き生きと忙しく手を動かしている。
子供たちがにこにこ見ている。
僕は手話の会話に会わせてカメラを振る。
どちらが健常者なのかわからないな。



Menil Collection

2007年03月30日 | Weblog

  仕事の時間が空いたので、再びロスコ・チャペルへ。前回は閉まっていた隣接する私設美術館、メニール・コレクションも訪れる事が出来た。石油富豪夫婦が建てたこの美術館は、建築家Renzo Piano による美しい建物に、千六百点を超えるアフリカやギリシャ、その他世界中からのプリミティブアートと、シュールレアリズムを中心とした近代、現代美術を収蔵している。
現代美術の大きなテーマとも言える、博愛主義と折衷主義がモットーとのことで、コレクションの構成もそれに基づいている。
今日は常設展に加えて、“Everyday People"と題した写真展とRobert Rauschenbergの段ボールアートの展示が見られた。

  博愛主義と折衷主義、たいへん結構とおもうけど、パンフレットにあるご夫妻の錚々たる経歴を読んでいると、素直になれないのは、やっぱり貧乏人のひがみか... うーん、軍人家族出身の銀行家と世界規模の石油会社の娘のフランスでの結婚から始まって、マグリットやアンディウォーホールのパトロンかー...
 
   働いてる警備員は全員黒人だ。一人のおっちゃんに「アストロズの開幕戦って、いつだっけ?」(僕はアストロズのTシャツを着ていた)と聞かれた。「月曜日だよ、行くの?」と言うと「いや、野球はあんまり好きじゃないんだ、ずっとタマを待ってるだけで、あんまりする事が無いからな、バスケットボールのほうが活動的でいいな。」
味わい深いですな、博愛主義。

3月29日

2007年03月29日 | Weblog

  大岡昇平“俘虜記”読了。
もし自分が戦場に行ったとしたら、誰も見ていなかったら、きっと自分の弱さに勝てずに、恥ずべきふるまいをしていただろうと思う。
やはりまだ教養のない田舎者なのだ。

  父の日記に僕が生まれた時のことを読んだことがあった。
ページの間に入院していた母から父に宛てたハガキがはさまれていた。
「病院が寒いので、今度いらっしゃるときに毛布を持ってきてください。』
出産の日、父は『なみだがとまらない。』と書いていた。
『いかなる時も天に恥じることなく、平静心でいられる生き方をするように、天平と命名。』
日記帳を置いて仏壇に座り、不明を詫びた。

立派なひとになりたいものだ。

さびれ

2007年03月28日 | Weblog

ダラスから南へ車で四時間、ヒューストンへ移動した。
ラジオをカントリーステーションに合わせ、その気になって、
見渡す限りの緑に点在する牛達の間を80マイルでまっすぐに走る。

ルート45沿いには古くてさびれたガスステーションや閉店して廃墟となったレストランが多い。捨てられた1950年代の自動車がさびて、土に帰ろうとしている。僕達はそれらを目にする度に「お!いいねぇ」「いいさびれぐあいだねぇ」などと口にする。

でもどうしていいんだろう?

廃墟や朽ちた車をモチーフにする写真家は多い。
その風景は、かつてその家や店や車で笑いあったであろう人たちの時間を感じさせる。そして、永遠の彼方に消え去ったその時間たちの悲しみを感じる。行く時の流れは絶えずして、しかももとの時にあらず。 じっと手を見る。

写真撮影入門

2007年03月27日 | Weblog

 “土門拳の写真撮影入門”は本人による著書ではなく、評論家による土門拳の解説書である。
 立ち読みで知っていた筈なのに、改めて読み始めて、買った事を少し後悔した。筆者の写真家に対する思い入れは解るのだけど、土門のカリスマ的な、勢いあまってぶちあげるような言動をそのまま飾り立て、謳いあげる言葉で、本のほとんどが埋まっているのじゃないかと思う。

 撮影は科学である。技術上の失敗には必ず技術上の原因がある。
プロである巨匠ほどそれを知っていた人は無いだろう。
 氏が仏像を自然光で撮るために長時間露光をかけ、失敗した後に『やはり露出計に頼ったのが間違いだった。勘で撮るのが一番だ。』と言ったという武勇伝らしき話も、露光量の補正か、計測の方法を間違えただけなのは明らかである。機械に頼るあまり、経験によって培った「光を読む勘」がおろそかになり、露出計を正しく使う事が出来なかったと言うことであろう。
 根性で写真は写らない。

 それにしてもこの本がとても面白く、感謝しているのは本当だ。共感もあれば異論もあるけど、かの巨匠のエピソードに触れられる機会はなかなか無い。

 ただ、あまりに飾り立てられた、主観的な美文と言うのは、読んでいて時にむなしく、せっかくの素材の説得力をも失わせるものだと思う。

オリンパス・ペン

2007年03月26日 | Weblog

  旅に出るに当たって読む本が無かったので、紀伊国屋で大江健三郎と大岡昇平の“ミンドロ島ふたたび”、それに前から気になっていたけど、買うに至らずに、ほとんど「立ち読み」尽くしていた“土門拳の写真撮影入門”を買った。これらと読みかけの“俘虜記”を代わる代わる読む予定。
 
  小学生の頃、アサヒカメラに出ていた土門拳の古寺巡礼のグラビアを(ついでにヌードのページもちらちらと)何度もめくっては眺めていた。僕にカメラをねだられた親父は、しぶしぶ親戚のおじさん(父の弟)からEEサイズのオリンパスペンを格安で譲り受けてきた。初めてのマイカメラで、家の裏の竹山を撮った。きれいだと思った竹たちはただそのまんま写っていて、母の生涯の笑い草となった。

  篠山紀信のミノルタXEの広告に見とれていた僕は、何故かそのコンパクトカメラのレンズも交換できるものと思い込み、力任せにいじっていると根元からもげてしまった。「あ!」と、押し入れの奥深くに放り込み、何事も無かったような顔をしていた。当然ばれていたと思うのだけど、家にある物を「どうなっているのか見たい。」と言う理由でことごとく解体してしまう子供だったからなのか、その時おこられた覚えは無い。

  到着したダラス・テキサスは雨だった。

Hiromi's Hands

2007年03月24日 | Weblog

アマゾンに注文してあった絵本「Hiromi’s Hands」が届いた。

かつてイーストビレッジにあった寿司店、“美枝”の店主、鈴木さんとその娘さん、ヒロミちゃんの物語だ。
幼い頃からお父さんに連れられ、魚河岸に通ったヒロミちゃんは板前さんになった。

ニューヨークにあるほぼ全ての寿司店が魚を業者から仕入れるのだが、鈴木さんはリタイアするまで、朝三時にフルトン・フィッシュマーケットに通い、安くて新鮮な魚を客に食べさせてくれた。
良い魚を手に入れた日の鈴木さんの嬉しそうな様子は忘れられない。

美枝レストランにはその寿司はもちろん、特に鈴木さんの暖かい人柄を慕って、
街の名士たちが通ったものだった。閉店してから三年、今でもあちこちから「もう、あんな店は見つからない、もしも鈴木さんがもういちどカウンターの向こうに立ってくれたら・・・。」というため息が聞こえる。

絵本は常連客の一人、ヒロミちゃんの幼稚園時代からの友達のお母さんの作。
店に通ったわれわれからすれば、涙無しには見られない程、うれしく、美しい本だけど、二人を知らない人が読んでもとてもすてきな作品だと思う。あんまり嬉しくて三冊も買ってしまった。

8:00AM

2007年03月23日 | Weblog

  マンハッタンから北へ車で4時間ほど走った野球発祥の街、”野球の殿堂博物館”があるクーパーズタウンへ行った。

  出発前、午前8時のニューヨーク。
この街はカッコイイけど、山で育ったからなのか、やっぱり僕には緑のある風景がいいな。
いたるところで、鹿が新芽を食む、雪解けのクーパーズタウン、
つらなる山々に、ゆっくりと都会の近視眼をいやしてきました。