そもそも対話とは何だろうか? お互いの尊厳を認める基本的な態度(仮に表面だけであっても)無しには成り立たないのではないだろうか? 悪の枢軸と言った様な受け入れがたい侮辱を投げ付けて相手が硬化するのを狙い、米国は北朝鮮を第2のイラクにしようとしているのではないか?
米国は93年の米朝共同声明で武力不使用と主権尊重を約束し、その後、実質的な「体制認知」をうたった。
それが、ブッシュ政権になっていきなり「悪の枢軸」とされ、米朝間で積み上げた合意文書はほご同然になった。
そうした不信の連鎖を解きほぐし、北朝鮮に核兵器やミサイル開発を外交的な手段でいかに断念させていくか。
米国のイラクでの劣化ウランの使用は核非拡散条約に抵触しないのだろうか?さらに小型核兵器も開発すると言っており、このような態度では北朝鮮(イランも)を非難する資格も説得力もない。
ラムズフェルド米国防長官は北朝鮮との協議について「彼らを満足させるために何を支払い、何を与えたらいいか、想像もつかない」と言った。
「敬意」ではないだろうか?
まず人として同じ場所に出て行き、対話の場を継続して確保することが最も重要で、その上で、非難や制裁ではなく、違法行為は厳重に取り締まる、という正当な原則で圧力をかけながら、さらなる交渉を試みるべきだ。
北朝鮮に対する日米と韓国の考えに温度差があると言う。
状況が悪化した場合、米、日、韓のなかで地理的に最も切実な脅威を受けるのが韓国で、次に日本、米国となる。平和的解決に対する熱心さがこの逆の順のように見えるのは何故だろうか?
米国の元首は自国民の利益や安全についてしきりに演説するが、他国民の命については関心が無いようだ。アフガニスタンでもイラクでも、他国の犠牲者に対する哀悼の言葉は一度も聞かない。在韓米軍は、現在の駐屯地をもっと南に移動して、有事になった場合の米軍関係者の犠牲を減らそうとしている。
まず敵の反対勢力を支援するという戦略は米国の常套手段である。
日本はその「敵の反対勢力」にされてはいないか?
有事法制はそのあと押しをしてはいないか?
自分の問題なのだから、自分が最初に死になさいということか?