岩切天平の甍

親愛なる友へ

9月11日

2001年09月11日 | Weblog

 朝、地下鉄を降りて、支局の入ったビルに入ろうとすると、音声マンのM君が駆け出して来た。「ワールドトレードセンターに飛行機がぶつかったんです!」と、かなり慌てた様子。「ああ、すぐ降りて来るよ。」と言って、カメラを取りに行った。

 取材用のミニバンに乗って、ウェストサイドハイウェイを下った。後にニューヨーカー達のトラウマとなる、抜けるような青空に、立ち昇る黒煙が鮮やかに見えて来る。逆方向へ逃げる人々と、けたたましく追い越してゆく緊急車両に道を譲るために車は遅々として進まない。情報を得るために流し続けているカーラジオが、2機目が突っ込んだと叫んでいる。ハンドルをにぎっていたアメリカ人スタッフのRが「God!」と悲鳴をあげて泣き出した。僕はただ「落ち着いていこう、落ち着いていこう。」と繰り返す。

 タワーから5ブロック北のチャンバースストリートにポリスラインが張られ、それ以上近づけない。そこで撮影を始めた。警察も消防士も次々と到着するが、どうしたらいいのか分からない様子だった。飛行機が突っ込んだ階まで上がって行くとなると、1時間はかかると、誰かが言った。カメラを回していると、M君が「ああっ!ひとが、ひとが、落ちてる!」と叫んだ。「どこ?どこ?」とレンズで探しながら、僕は混乱に落ちた。「オレは一体何をやっているのか?」ズームを引いてしまった。報道カメラマンとして、甘いとしか言いようがなかった。寄れるだけ寄って、撮れるだけ撮るべきだったろう。あとで聞いたところによると、当時タワーの中にいた人達は、中庭に降って来る、叩き付けられた人間達の横を通って避難したということだった。

 やがて、「Oh, my God !!」という輪唱を聞きながら、モノクロのファインダーの中で、タワーはゆっくりと消えて行った。
記者がカメラに向かって、「ワールドトレードセンターが、なくなってしまいました!」と叫んでいるうちに、ビルの谷間の道路を、山のような白い噴煙がものすごいスピードで押し寄せて来た。
悲鳴と共に人々が逃げ惑って来る。
一瞬、「死ぬかもしれない」と、カメラを三脚から外して走り始め、M君が三脚を担ぎ上げるのを見て叫んだ。「M!三脚は置いて行け!」
音声マンのM君よりカメラマンの自分が先に走り出したのはちょっと不覚だったかもしれない。

 気が付くと、一面に白い雪のような物が舞っていた。タワーに入居していた銀行や証券会社の書類だった。
あたりは霧のような灰が立ちこめ、粉塵に巻き込まれた人達と消防士、警官達が全身真っ白で、それぞれ誰かを助けようとしている。撮影している僕に「撮っているんじゃない!助けろ!」と怒鳴り、興奮した警官がカメラをつきとばした。別のカメラマンが、「お前は自分の仕事をしろ、俺たちは俺たちの仕事をするんだ!」と叫ぶ。僕とM君はポリスラインを遠く回り込んで、タワーのすぐふもと、隣のビルまで入り込んだ。つい昨日まで輝く大理石に富を誇示していたロビーは砕け散り、灰にうずもれていた。焼け付くような熱気と深い霧のような粉塵が立ちこめて前が見えない。息が苦しい。
がれきにつぶされた消防車や建物の間で、放心したように救助活動を続けている警官も消防士も、もう我々にはかまわなかった。

 支局に戻ると、午後(日本の朝)のニュースに生出演して、見た事を話してくれと言われた。
僕は生放送なのをいいことに、少しだけ言いたい事を言ってみようと思った。
一部始終を話した最後に「ワールドファイナンシャルセンターは(「ワールドトレードセンター」と言おうとしたのをあせって間違えた)富の象徴と言われていますが、その富を手に入れるために、人々は大変な物を失ってしまったと感じました。」と言った。おとがめは無かった。

 その後、約一ヶ月に渡って現場に通い続けた。
いつまでも燃え続ける匂いに、「ああ、人が燃えているんだ。」とディプレスされ、
誰かが無言で指差す、ビルの谷間を飛ぶ飛行機の影に凍り付いた。
車にペイントされた「REVENGE」の文字を不気味な思いで眺めているうちに、
間もなく人々の間に星条旗が舞い始めた。