岩切天平の甍

親愛なる友へ

ダルフール

2007年07月31日 | Weblog

 国連安保理でスーダンのダルフールへ合同部隊を派遣する決議の採択を撮影。
全会一致で可決される。

中村こうせい氏主宰のウェブサイト、“ダルフール・ニュース”に
「ダルフール紛争に関しては「人道問題」が第一で、政治問題が第二という立場をとらないと、ただのアフリカの辺境の野蛮な揉め事以上の何ものでもなくなる。実際それが日本人の平均的感覚だろう。ぼくだって普通の生活者としてはそうである。」とある。

“ただのアフリカの辺境の野蛮な揉め事”

もちろん看過できないからこそ中村氏を始め、たくさんの人が心を痛めているのだろうけど、 根本的に教育の不足する地域の解決の絶望的な揉め事に、我々の同士の命を危険にさらしてまで、どうかかわって行くのか。キュウリのぬか漬けを食べながら、自分に何が出来るのか・・・。

さっすが松井の二本塁打! 石川県から来た子供達、一生忘れないだろうなぁ。



ロックフェラー

2007年07月30日 | Weblog

松井選手と日米リトルリーグの子供達の交流会。
子供達は明日ヤンキースの試合を見に行くらしい。
「ホームランを打ってください。」とのリクエストに
「ガンバリます!」


しばらく前にTUPから配信された映画プロデューサーのアロン・ルーソとニック・ロックフェラー(ロックフェラー一族で弁護士らしい)の会話はウェブ界隈でもかなり話題になった様だ。

主に9/11が茶番だったという話なのだが、金持ちの狂気の様に紹介されている発言たちの中に、妙に気になるところがある。
以下引用-

「彼ら(一般市民)が何だって言うんだ? なんであんな連中のことを心配するんだよ? 君にとってどんな違いがある? 自分の人生を大事にしろよ。自分と家族にとっての最善をやるべきだ。残りの人間どもが何だって言うのさ? 何の意味もないぜ。彼らはただの人間で(我々に)奉仕してるのさ」

「なんで他の奴らのために闘ったりするんだ? どうしてだい? 彼らは支配されているべきなんだ。彼らは......君が支持している憲法ってのはホンの少数の者のためなんだぜ。ホンの少数だけがそう生きられるものなんだ。最良の社会とは、すべてを支配するエリートに導かれたものだと俺たちは信じている」

「最終目的は人々にチップを埋め込んで社会全体を支配することだ」

-引用終わり。

もちろん“彼ら”の指す“衆愚”の一人である僕はこの考えに同意はしないのだけど・・・。
しかし世の中はすでにほとんどこの通りになって来ている。
このエリートの言葉は我々が熟考し、何とかしなければならない切実な問題を提示しているように思える。

これに対する?ペルーの作家マリオ・バルガス=リョサの言葉を見つけた。

「私は完全なる社会を若いころに夢見たあと、殺戮を引き起こしながら到達不可能なユートピアを求めるより、文明の存続のためには、民主主義によるうんざりするほどゆっくりした発展を求めたほうがましだと、三十年前に確信しました。」

“民主主義によるうんざりするほどゆっくりした発展”

僕が生きている間にあるのだろうか・・・。

洗濯

2007年07月29日 | Weblog

夕立。

パークスロープ・フードコープで働く日。
野菜冷蔵棚の野菜をおろして棚を水洗い。
野菜を買って帰る。
バス停の前のバーに野菜を抱えたまま思わず入ろうとして、
かろうじて思い留まる・・・。
今度行こう。

ウー

2007年07月28日 | Weblog

テニス肘ならぬカメラ肘になった。

酷使していた右腕に痛みを感じて一ヶ月程、
ついに危機感が高じて、針灸師のお世話になることにする。

寿司屋の鈴木さんに紹介してもらって、チャイナタウンのウー先生のところへ。名針師と名高きウー先生は英語がダメなので、息子のウー先生に回された。次々と来る患者は皆息子ウーのところへ行き、オヤジは泰然と座ってラジオを聞いている。
横になって針を打たれ、つながれた電流にびくんびくんしていると、おやじウーのラジオからテネシー・ワルツが聞こえて来た。
何だか不思議な感じ。

テネシー・ワルツはテネシー州の州歌なのだそうだ。
その歌詞の(恋人とワルツを踊っていた夜に、紹介した友達に彼を盗まれたという)内容が、州歌にふさわしくないという意見をよく目にするけど、この“男を寝取られた”という発想自体が俗で、読み方によってはこの戻らない青春の切ない一ページをいかにもテネシーののびやかで美しい山河そのままの様なメロディーによせた美しい曲であるとも思える、よ。
オリジナルのパティ・ペイジはそういった感じで歌っているのだけど、
日本でヒットさせた江利チエミや美空ひばりはこぶしぐりぐりで、あれはいったい・・・。まあ、サム・クックもノリノリで歌ってるけど・・・。
と、チャイナタウンの天井を眺めながらとりとめも無い事を考えていたら、
いつの間にかびくんびくんは終わっていた。

利口福で雲呑麺を食べる。$3.50ナリ。
街中でライチを売っている。
やっぱり若いお姉さんの屋台で買って帰る。

機中の人

2007年07月27日 | Weblog

ニューヨークへ、機中の人となる。

最近は専ら大江健三郎漬け、“ゆるやかな絆”と言うエッセイをのんびりと。この中で「自分の文章は読みにくいとよく批判を受ける。」と書いているのを読んで思い出した。
以前、新聞に氏と各国の知識人との往復書簡が連載されたことがあった。
一般読者に読ませることを知りながら高尚な引用だらけで、訳文と言う事もあってか、当時の僕にはあまりに読みにくく、途中までがんばったのだけどもついに断念してしまった。 学者同士の個人的なやり取りなら良かろうが、 「これはいったい不親切な知識のひけらかしじゃないか。」と、腹をたて、友人にもそう言った事を覚えている。
先日、本屋で旅行用に大岡昇平を物色していると、隣にこの書簡集の文庫版“暴力に逆らって書く”があった。時を経て再会した本は少し読みやすく、今度はなんとか完読できた。襟を正させられる真摯な手紙たちだった。
と、くだんの友人にそう言ったら笑われた。

“解りやすさ”ということを考えることがしばしばある。
難解な文章、難解な音楽、難解な絵画、難解な映画、難解な演劇・・・。
高級とされる作品に多いようだ。
レベルの高い情報を共有したければ、発信する方、受け取る方、共にそれなりの準備が必要といったこともあるのだろう。
ゴダールも「全ての人に理解されたいとは思わない。」と言うような事を言っていた。

では解りやすいものは低級か?
バッハもチャップリンもゴッホもこの上なく解りやすく、深い。
作家の個性の違い、表現の方法の違いというだけのことなのだろう。

しかし自分の作品を、基本的に自分と関係ないひと様の、より多くの人によりよく理解してもらいたいと望む時、「解りやすさ」と言う事に注意を払うのは自然の成り行きであるようにも思える。
「自分が話を聞いてもらいたいと望むのは、往々にして自分の話に興味を持たない人達であり、自分の話を聞いてくれるのは、たいてい同じような考えを持ち、既に自分の話を必要としない人達である。」
と思いめぐる時、難解な作品を提示することは矛盾ではないか・・・。

などと迷想しているうちに眠りこけて、いつの間にかラ・ガーディア空港に降りた。

ブラッドとケイティ

2007年07月26日 | Weblog

 農務省の職員、ブラッドさんとケイティさんにコーンと大豆の生育状況の調査を見せてもらう。

一定の面積に育っている株、花、実などの数や大きさを調べて収穫の予想をたてる。このデータを検討して取引の値段が決められたり投資家の動向が決まったりするのだそうだ。

密集したコーン畑は背が高くて、中に入って行くと方向が解らなくなる上に風が通らないので恐ろしく暑い。慣れた足取りでどんどん畑の奥へ進んで行く調査員に、重いカメラを回しながらついて行くのはなかなかだ。葉っぱで引っ掻くので腕や顔がひりひりする。すぐに玉の汗が吹き出して、シャツもズボンもぐっしょり、目にも容赦なく流れ来んで来るので撮影は大変だったけど、普段こんなに汗をかく事が無いので、なかなか気持ちが良かった。貰ったペットボトルの水を一気に飲み干してしばしおしゃべり、別れ際に写真を撮らせて貰った。この人達はホントに上手に笑う。

暑さの残るゆらめくような夕暮れを迎える。
どこかの土地で誰かと会って手を握って話して笑い合って・・・
最近、涙もろいのはトシのせいかと思っていたけど、
そうでもないのかもしれない。
いろいろなことを見て、聞いて、嗅いで、ぴんと張ったアンテナにひっかかるものが年齢と共に増えてくる。感性は発達しているんだ・・・っていうことにしておこう。
あ、それが“トシのせいで涙もろくなる”って事なのかな。

アイオアへ

2007年07月25日 | Weblog

 夜明け前に出発。メンフィスで乗り換えてアイオア州に移動。
コーンベルトと呼ばれるエタノールのメッカは見渡す限りのコーンと大豆畑。コーンの値段が上がったため、大豆畑をコーン畑に変えて、さらにバイオディーゼル用大豆の需要も増え、大豆の値段も高騰。
なんと、日本が頼っている、みそ、 醤油、家畜の飼料用の大豆、コーンの輸入が危機に陥っているそうだ。へーえ、日本のみそって・・・。
グローバリゼーションって大変だなぁ。

今日からエタノール販売を始めるというガソリン・スタンドを撮影。
お客さんの反応は+++。「地元の産業をサポートしたい。」という声が多い。

テネシー・リバー・バレー

2007年07月24日 | Weblog

アラバマ北部のテネシー川周辺はテネシー・リバー・バレーと呼ばれている。そこでコーン農場を営むデニスさんを訪ねた。

広大な敷地にあるファームハウスの事務所で奥さんと五歳の息子、玉のような赤ちゃんが迎えてくれた。おばあちゃんがにこにことゆりかごをゆすっている。
「この辺りはね、宇宙産業が盛んで、ロケットや米軍が使っているミサイルのほとんどを作っているの。だから住民は比較的豊かで、アラバマでも南の方の、あなた達がアラバマって聞くと持つ、差別とか貧困とか、そういうイメージとはとても違うのよ。ダメよ、そういう風に思っちゃ。」
「ハイ・・・わかりました。ミサイル、ですか・・・。」

「デニスさん、おいくつですか?」
とコーディネーターのRさん(女性)が訊く。
「三十七歳だよ。君は?」
「へー、ずいぶん若く見えますね。私は三十二です。」
「ふーん。」
僕:「そこで『君もね』っていわなきゃだめじゃない『ふーん』じゃなくってさ。」
デニス:「あはは、『二十五?二十六かな?』って?」
ゆるやかな南部訛りが暖かく心地よい。
しつこく撮影するテレビクルーにいやな顔一つ見せず、マイ・ペースで畑を案内してくれる。
僕はトラックの荷台に捕まって風に目を細めながら、飛び去って行くコットン畑をカメラでつかまえようとしてはうまくいかず、ぼんやりと考える。撮影は人が生きて行くのに似てるかもしれない。目の前に初めて現れては消えて行く風景を掴みそこねて、二度とそこに戻ることは出来ない。そしていくらか美化された記憶だけが残る。「ホントはもう少し良かったんだけどね。」なんて。

ひと息ついて、近所のレストランでお昼を食べる。
ウェイトレス:「飲み物は?」
デニス:   「ティー。」
ウェイトレス:「甘いの?甘くないの?」
デニス:   「甘くないやつ。」
僕:     「僕もそれ。」「あー、ちょっと待って。僕のはアイスでお願いね。」
デニスが小声で
「サウスじゃ、ティーって言うといつもアイスが出てくるんだよ。」
と笑う。

善意と勤勉と幸福に満ちた人々が自然と手を取り合って暮らしている。ファーマーとは、もしもそれが本当にあるとすれば“神”に最も近く生きる人達なんだろうと思う。
その、この上なく美しく生きる人たちが「ミサイルはみんなここで作っているのよ。」と無邪気に言うのを聞く時、僕は戸惑ってしまう。

モーテルの向かいのショーグン・レストランで夕食。
テネシーワルツを口ずさみながら帰る。

テネシーワルツ

http://youtube.com/watch?v=-l2jF6XePz4&mode=related&search=

アラバマ・レイン

2007年07月23日 | Weblog

さくら、

おいちゃんおばちゃんは元気かい?

にいちゃんは今、アラバマの空の下。
代替燃料のエタノールばやりに乗せられた農家がコーン作りに奮闘努力の甲斐も無く、干ばつでえらい目にあってるっていうのでやって来ました。
ほんとのこと言うとエタノールは環境に全然良くないし、燃費も良くない、車は壊れるでいい事ないんだそうだよ。
アメリカの金持ちが政府とぐるになって、金儲けしようとしてるんだってさ。ほら、例の先物とか投機筋とかいうやつ・・・。

明日はその農家に行きます。モーテルの外ではセミがないています。
さっき近くのバーベキューレストランで少しだけビールを飲んで、
“アラバマ・レイン”を口ずさみながらほろほろと歩いて帰ってきました。

アラバマ・レイン/ジム・クローチ

7月半ばのけだるい日々
田舎の日曜の朝
ホコリにかすむ夏のハイウェイ
マグノリアが甘く呼んでいる

そして今、思い出している僕がいる
君とアラバマの雨に歩いたあの日々を

金曜の夜はドライブインムービー
ビールを飲んで笑いあう
みんなどうにかうまく行っていたのに
いったい何が起こったんだろう

そして今、思い出している僕がいる
君とアラバマの雨に歩いたあの日々を

僕たちはほんの子供だった
だけど子供が恋しちゃいけないなんて
聞いた事もなかったし
思ってもみなかった
僕は今でも思い出せるよ
初めて君に好きだと言った時の事を

ほこりっぽい7月の半ば
田舎の夏の夜
柳たちは子守唄をうたい
僕たちと秘密を分かち合う

そして今、思い出している僕がいる
君とアラバマの雨に歩いたあの日々を

アラバマの雨に歩いたあの日々を

アラバマ・レイン
http://www.youtube.com/watch?v=kio002YGGUE&mode=related&search=



平成中村座ふたたび

2007年07月22日 | Weblog

 平成中村座ニューヨーク公演の千秋楽。
演目は“法界坊”。

楽日にも拘らず空席が目立つのは、他の公演とセットでなければ買えないという姑息な売り方がたたったのか、それとも芝居の評判のせいか・・・。

幽霊になる二人の主人公に感情移入させる細やかな演出が薄い。
安易なウケを狙ったテレビのトークショーの様なくすぐりを斬新な演出として延々としつこく、客を辟易させる。
これを辛うじて救うのが圧倒的な伝統。
鳴り物師、三味線連のどこまでも深く高い緊張と炸裂。役者達の体に叩き込まれた所作のみごとさ。ため息の出るような豪華絢爛な美術。
育ちの良いおぼっちゃま達が伝統という舞台の上でおいたされているのを観客が苦笑いして見守っているといった風情。

アメリカ人は、いや、歌舞伎に馴染みの薄い日本人ですら、何やら尊敬に値する文化を持つらしい日本という国の、噂に聞く素晴らしい歌舞伎というものを見たくてやって来る。
あの、けったいな格好をして、妙な声で、男が女に化けてやる芝居に、自分の心をわしづかみにしてぐらぐらと揺すぶってくれるのを期待してやって来る。やっぱり同じ人間なんだと感動したくてやって来る。
ソリッドな、誠心誠意の歌舞伎を。

夢を見た。
座員の一人がやめると宣言している。
「俺は、座長親子の為にやってるんじゃないんだ、芸術を追求しているんだから。」と言っていた。