青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

ゆらゆらり リンゴ召しませ、蜜の味。

2024年07月07日 10時00分00秒 | 弘南鉄道

(ねぷた絵・華やか@中央弘前駅)

青森と言えば、東北夏の三大祭りの一つである「ねぶた祭」がつとに有名。東北三大祭りと言えば「仙台七夕・青森ねぶた・秋田竿灯」ですが、そんな青森のねぶた祭は、「夏の昼間に突然襲ってくる眠気=邪気を払うための祭り」として中国から伝わったものらしい。ネムテ(眠てぇ)→ネムタ→ネブタ。夏は暑いから夜は寝不足になるし、昼間に突然眠気が襲ってきても不思議じゃないんでしょうが、それを「邪気」としていた昔の人の感覚はなんか面白いよな。ちなみに、青森は「ねぶた」、弘前は「ねぷた」、五所川原は「立佞武多」で、祭囃子の掛け声も青森は「ラッセーラ」、弘前は「ヤーヤードー」、五所川原は「ソーレソレ」とそれぞれに異なる。ねぶたの山車の形も、青森は横に大きく、弘前は優美な扇形、そして五所川原は縦に長い(高い)。五所川原の立佞武多、最大級のものはビルの7階建てに相当する大きさだそうで、専用の建物に格納されているそうなのだが、それってもはやガンダムである。ちなみに五所川原の立佞武多が出撃(?)する瞬間は、Googleマップにて見られますのでお好きな方はどうぞ。

そんな弘前の街の片隅から出て行く弘南鉄道の大鰐線。終電一本前の電車に乗って、缶チューハイ片手に大鰐までふらりとほろ酔いの旅は、都合よく「りんごねぷた列車」の運用に当たりました。これも大鰐線の活性化策のひとつ。車内にリンゴの形をした電飾を吊るして並べてライトアップ。電力は、車内に持ち込まれたポータブルバッテリーという手作り感満載の設え。しかも金・土・日限定で夜は車内灯を落とし、りんごねぷたの灯りだけで運行する特別運行です。薄暗い車内に灯るりんごねぷたのオレンジの優しい灯りが、東急7000系の、今となってはレトロな車内の雰囲気にマッチして非常に幻想的な空間に仕上がっています。梅雨の湿った車内の空気を、年代物の扇風機がゆっくりとかき回していて、吊り革には「東横のれん街」の文字が躍る。津軽弘南大鰐線、ゆらり揺られて、黄金の蜜に輝く夜を味わう。

中央弘前の駅を出た「りんごねぷた列車」は、弘高下、弘前学院前、聖愛中高前、千年、小栗山と、弘前市街の駅を細かく小さく停車して行く。ただでさえ少ない乗客は、千年辺りまでであらかた降りてしまった。乗客の姿がほぼ消えた車内から、小栗山、松木平、津軽大沢と暗闇の中で駅が過ぎ去るのを眺めているだけ・・・大鰐線のレール、なかなかの保線状況で、ねぷたのぼんぼりが風流に揺れている。飲み終わったチューハイの缶を片手に、ほろ酔い気分で暗闇のリンゴ畑の中を往く電車にゆるゆると揺られていると、視界も気持ちもリンゴの蜜のようにトロリとしてきて、陶然とする。このまま黄泉の国でも行ってしまいそうだ。弘南大鰐線の夜旅、土手町で一杯やってから大鰐まで一往復とか、いいと思うんだけどなぁ。弘前観光の一つとしてお勧めしたいよね・・・。「りんごねぷた列車」は6月までで、7月からは「金魚ねぷた列車」に代わるらしい。この「ねぷた列車シリーズ」は毎年やってるそうだが。

中央弘前から30分、終点の大鰐に到着。ホームに置かれた津軽こけしの灯りに照らされて浮かび上がるコルゲート、東急の初期型ステンレス車輛らしい伝統のスタイルだ。この列車が折り返すのが、中央弘前行きの最終列車。ホームの行灯は、けなげに中央弘前行きがどちらのホームから出るのかを表示しているけど、もうそんな設備は必要ないくらい本数は少ない。存廃に揺れる大鰐線、応援してはいるけれど、正直前途の厳しい話しか聞こえては来ません。沿線自治体である弘前市と大鰐町が支援を投げ出さないことが何よりの朗報なのだが、少子高齢化と過疎化で痛む地方都市の財政、果たして赤字の改善の見通しも立ちにくい公共交通に、どこまでの支援のコンセンサスが取れるのであろうか。

個人的には、赤字の改善が見込まれなくても、「それでも残すんだよ!」という地元の覚悟が決まっているのであれば、それは一つの結論として尊重すべきであるし、外野がやいやい言うことでもない。奇しくも6月に示された弘前市と大鰐町の判断は「利用状況の急激な改善は見込まれないまでも、路線を維持するだけの蓋然性はある」&「赤字額もひっくるめて腹をくくる」という地元の覚悟たるソレではないかと思ったりもする。ただし、去年の脱線事故みたいに、次に大きな設備更新が必要になった場合はどうするんでしょうね。さすがに容認出来ない金額が出てきたら、覚悟を決めなければならない時が来ると思うのだが・・・それが少しでも遠い未来の話になるように願うしかないんだけど。

大鰐線の「りんごねぷた列車」の車内映像を撮影してみました。
好きだけでは前に進まないけれど、ファン目線で出来ることの原動力って「好きだからこそ」の進める道なんだよねえ。
そして、レールさえあれば、好きの道を走ることが出来る。
素敵な路線、素敵な列車であることに疑いはなくて、そうなると出来ることと言えば、やっぱり乗って魅力を伝えることなんじゃないかと・・・

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ネオン街、夜の優しい駅灯り。

2024年07月05日 23時00分00秒 | 弘南鉄道

(土手町慕情@中央弘前駅)

この日の宿は、中央弘前駅付近の「土手町」と言われる旧市街に取った。大手のチェーン系ビジネスホテルを選ぶなら、圧倒的に弘前駅周辺だったのだが。荷物を置いて部屋付きのお茶セットで一息ついてから、夜の町に繰り出す。弘前市街でも随一の歓楽街である土手町付近、地方都市といえども金曜の夜は路地に建ち並ぶ飲食店やスナック、バーや夜職の方々のきらびやかなお店に明かりがともり、ボーイさんは建物の前で道行く人を誘い込んでいる。そんな弘前の夜を横目に、土手町から鍛冶町へ続く坂道を歩きつつ土淵川のほとりに出ると、中央弘前の駅が見えてくる。いかにも「郊外電車」の始発駅として、ひときわ風情ある佇まいを今に残すこの駅が好きだ。金曜の夜、華やかなネオン街を一歩外れた片隅で、津軽の優しさと温かみを閉じ込めたようなオレンジの電飾が輝く。

弘南鉄道大鰐線・中央弘前駅。昭和27年、弘前電気鉄道が開通した際に設けられたターミナル駅である。弘前電気鉄道は、弘前の有力な財界人と三菱電機がタッグを組んで設立された鉄道会社で、大鰐から奥羽本線の西側をバイパス的に通過し、弘前城を中心としたかつての弘前の旧市街にアクセスするルートで敷設されました。将来的には、五能線の板柳や、弘前で西方へ分岐して西目屋村方面を目指す計画もありましたが、当初より三菱電機のデモンストレーション的な路線だったようで、地上設備や車両は常にギリギリの間に合わせの状態でした。結局、一次開業であった大鰐~中央弘前間の開通以降は具体的な延伸計画に着手できず、弘前駅の西方1.3kmの位置にあるこの中央弘前駅をターミナルに弘前市街西部の交通を担いますが、国鉄線に接続しないという線形が致命的となって利用者は低迷。昭和45年に経営危機から弘南鉄道に吸収され、弘前電気鉄道は解散してしまいました。

午後8時、中央弘前駅の、人っ子一人いない待合室。コンビニで買った缶チューハイをちびり。あまりお行儀が良いとは言えぬ所業だが、金曜日の夜だし赦してほしい。弘前電気鉄道として20年も営業出来ず、そして弘南鉄道大鰐線となってから半世紀。昭和から平成にかけてのバブル期は、団塊の世代の通勤通学需要もあって乗客数を増やしましたが、兵どもが夢の跡。2013年(平成25年)に弘南鉄道の社長自らが大鰐線の存廃に言及、その後は沿線自治体の必死の支援で何とか生きながらえている状態にあります。中央弘前駅周辺の完全な旧市街化、頼みの綱の大鰐町はバブル期のリゾート開発に失敗し財政破綻状態で頼れる状態になく、そもそも一度経営難で立ち行かなくなった路線ですから、なかなか活性化策も出てきません。収益面の悪化が設備投資を細らせるのか、昨年は8月の大鰐駅構内での脱線事故をきっかけにした全線の路盤調査で、多くの軌道変異や不具合が発覚。弘南線・大鰐線双方の運行を取りやめ、設備点検のため半年近くに亘る長期間の運休を余儀なくされていました。

当然、半年も電車を動かさなければ全く収益が上がりませんので、2024年3月の弘南鉄道自体の決算は会社全体で2億3000万円の経常損失を計上しました。赤字額は弘南線が9662万円、大鰐線が1億3068万円で、さすがにサイフの底が抜けるレベルの赤字幅でございます。2020年(令和2年)に「弘南鉄道活性化基本方針」として打ち出された施策は、「2020年からの10カ年の支援を前提としつつも、2023年度末までの収益状況によっては存廃を判断する」という内容になっていまして、正直、これがあったから「弘南線はともかく、ワニ線はここまでかぁ・・・」って内心思ってたんですよね。そしたら、私が津軽を訪れたその日に弘前市長と大鰐町長が何やらゴニョゴニョと話し合いを行った結果、「新型コロナによる乗客減や脱線事故の運休など、基本方針を立てた時とは前提条件が違い過ぎる」「大鰐線を廃止しても、全国的なドライバー不足で代替バスの確保は容易ではない」とう理由で、あっさりと両市町長はゴールポストを移動。やや問題を先送りした感のある(?)支援の継続を決めてしまったのでありました。

夜の中央弘前に佇む大鰐行きの7000系。真っ暗な土淵川と、川沿いの赤提灯が郷愁をそそる。おそらく、大鰐線を含めた弘南鉄道の次のターニングポイントは、「2020年からの10カ年計画」が折り返しを迎える2025年度末あたりになるのではないか・・・?という私の見立てなのですが。現状の大鰐線、輸送密度が400人/日ということで、国鉄末期の赤字ローカル線の存廃は「輸送密度が4,000人/日以下」が条件であったこと考えると、とんでもない輸送密度の低さである。勿論、輸送密度が4,000人切ってる路線なんて現在はいっぱいありますからそれが全てではございませんが、本数を減らし駅員を減らし設備投資も控えて極限まで合理化した大鰐線でも、いまの乗客が2倍になってようやく収支均衡になるかならないか、という状況なんだそうで・・・

現在は赤字の約8割を弘前市が負担する補助金で運行していますので、ここで津軽の中核都市である弘前市が「支援する」と言ったからには今しばらくレールは続くのでしょう。以前は「代替交通を走らせるに足る道路整備が出来ていない」というのが赤字ローカル線の廃止の除外要件だったのですけど、昨今は「バス転換しようにもドライバーの確保のメドが立たない」というのがローカル線廃止の除外要件に加わっているように思う。消極的な廃線回避というか、弘前市としては公共交通を委ねる先のないまま(おそらく投げるにしろ系列の弘南バスなんでしょうが・・・)、さりとて大鰐線は抜本的な改善策がないまま、存続と活性化の道をもう少し探って行く事になります。

終電一本前の大鰐行きに乗り込む乗客は10人程度。
お酒が絡めば電車を使うか、と言えばそうでもなく、土手町の路地には酔客相手の代行の軽自動車が目立つばかり。
終車も21時30分では、一次会で終わったお客さんくらいで、さすがに早過ぎますかねえ・・・

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太陽の、一番長い一日に。

2024年07月03日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(初夏のサンセットステージ@弘南鉄道・柏農高校前駅)

津軽鉄道にお邪魔した後は、温泉休憩を経つつ大きく場面を転換して弘南線の柏農高校前の駅にやって来ました。岩木山を見晴るかす田園地帯に、簡素なホームが長く続く柏高前の駅。春から夏にかけてのこの時期、岩木山越しに夕陽が沈んでいく風景を撮る事が出来ます。奇しくもこの日は夏至で、一年で一番昼間が長い日。太陽は西に傾き始めてはいますが、まだまだお岩木山の上の高い場所にあって、夕暮れまでは少し遠そう。手元のスマホで日没時間を調べると、津軽平野でも19時ごろ。弘南線、コロナ前は日中でも30分に1本の運行頻度を維持していたのですが、現在弘南線は日中1時間ごとに間引かれ、朝夕のみが30~35分ごとというダイヤ。そこで、本数が多くなる夕方の時間帯を見計らって、沿線に繰り出したのでありました。

夕方5時を過ぎても、まだまだ岩木山の上に太陽は燦然と輝いて、紫外線の強そうな初夏の日差しを柏農高校前の駅に降り注いでいました。黒石行きから、家路を急ぐ高校生が降りて来る。前回この駅を訪れた時は、2月の上旬のこと。一面の雪景色の中を、紅い太陽が秋田県境方面・・・おそらく矢立峠の方向に沈んで行ったのを覚えている。あれからもう5年が過ぎた。時の流れは速いものなのだが、あの時の冬の津軽の鮮烈な思い出がなんとも忘れられず、またここに来てしまった。季節は真逆だが、四つの季節を過ごしてこその地方私鉄かなと思うところもあり。遠くてなかなか来れないけれども。

太陽さん、流石に一番昼間の長い日に、空の上でまだまだ元気。それでも、時計が進んで行けば徐々に光線は赤味を帯びて、初夏の津軽を黄金色に染めて行く。この時間帯は、柏農高校前から津軽尾上を挟んで尾上高校前までの区間をロケハンしながら移動していた。若苗がすくすく伸びる尾上高架橋。浅瀬石川から引き込まれた灌漑用水と田園地帯を渡って行くコンクリートモルタルの高架橋は全長344m、車窓に大きく広がる津軽富士の姿、高度を下げて行くにつれて、そのシルエットが濃くなっていく。遠く尾上高校前の駅の踏切が鳴って、黒石行きの電車が右へ、そして弘前行きの電車が左へ、軽やかなジョイント音を奏でながら走り去って行く。津軽の初夏、地元の人にとってみたら何のことはない景色なのだろうけど、日本の美しい農村風景の中に列車を置く喜びと、そしてそこを切り取る喜びというものが確実にある。

再びに舞台を移して柏農高前。午後7時を前に、ようやっと観念したように夏至の陽が落ちて行く。 初夏の津軽平野、太陽の一番長い日。 岩木山の山裾に、とうとう太陽が沈むか沈まぬかのタイミングで、ホームに滑り込んできた黒石行き。 太陽は、窓越しの高校生と一緒に、電車に乗って行ってしまいました。

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津軽逍遥、冬だけじゃない魅力。

2024年07月01日 17時00分00秒 | 津軽鉄道

(微睡のホーム@津軽五所川原駅)

午後の列車で、津軽中里から津軽五所川原へ戻る。帰りは「太宰列車」という触れ込みで、アテンダントさんが沿線の観光案内にプラスして太宰の小説を朗読するというなかなかアグレッシブな企画が催されていた。今回の朗読に選ばれた太宰の小説は「帰去来」。太宰治が、不義理を働き実家の津島家および親族から疎ましがられ、特に兄とは断絶に近い形での不和を抱えた中で、十年ぶりに郷里の津軽へ帰る、というお話である。太宰の私小説の中でも、「故郷へ帰る」という行為、長年の葛藤や恩讐の思いを抱いたうえでの「移動」を伴う物語をチョイスしてきたところは、流石は太宰治を乗せて走った鉄道会社というべきか。ただまあ、どっちかと言えば自分はノンフィクションが好みなので、普段はあまり小説の類は読まないタイプである。朝早く家を出て来た旅程もあるし、昼食後のそういう危険な時間でもあるし、気動車の揺れに任せながら朗読を遠く耳にしているうちに、うつらうつらと午睡のまどろみに引き込まれてしまったことを白状しておく。

五所川原まで太宰列車をエスコートしたアテンダントさん、乗ってきた客とお別れの挨拶。閑散期のこの時期ならではの、ゆったりした時間が流れるホーム。ストーブ列車の時期は、このホームを乗車希望の観光客とツアー客が埋め尽くすのだそうな。駅の裏手から五所川原の機関区を眺めれば、かつては津軽鉄道の貨客混合列車を牽引し、今は冬場のストーブ列車の先頭に立つディーゼル機関車のDD350形、そして冬場の鉄路の守り神であるキ101とともに、この時期は静かに眠りに付いている。やはりこの2機が活躍する冬場にこそ津鉄の真骨頂があるのだろう。DD350形もキ101も相当なご老体で、維持管理・保守整備の苦労は語ればきりのないことと思う。最近は、ストーブ列車も生き残っているDD352の牽引だけでは1シーズンを乗り切れなくなっていて、津軽21形を補機代わりに間に挟んだ協調運転や、そもそも津軽21形の牽引になっていたりする。多客時や悪天候時は、津鉄21形で旧型客車を挟み込んだプッシュプル的な運行もするのだそうで。まあねえ、マジモンの地吹雪の途中で立ち往生なんかさせられませんものねえ。レトロな車両や設備を維持すること、減価償却はとっくに終了しているのだろうけど、実経費としての負担が大きそう。聞けば、ストーブ列車のワンシーズンの経費は1,500万円程度かかるそうだ。今は燃料経費も嵩むから、もっと費用負担は膨らんでいるかもしれない。

津軽鉄道、一番の稼ぎ頭であるストーブ列車は残念ながら冬専用のコンテンツ。春の芦野公園の桜の時期は賑わうけれども、あとは金木の街と五所川原の立佞武多と・・・と指折り数えてみたら、津軽鉄道、意外にも沿線にポテンシャルある観光地がそれなりにあって、結構恵まれているんじゃないかという気がしている(笑)。普段使いの沿線住民はクルマに遷移し、そもそもの過疎化で先細り。今までの乗客の主軸だった学生も、少子化によって高校は統廃合され、学生数はガタ減り。事実、平成の中ごろからの津軽鉄道は、定期外利用者の運賃収入が定期券利用者の収入を上回るようになっています。そうなると、収益面では流動的にはなるけれども、ツアー客と観光客で収益面を支えきるという「観光鉄道」という立ち位置でやって行くしかないのでしょう。

ちなみに、津軽鉄道の2024年3月決算は▲3,190万円。それなりの経常赤字。補助金収益を加えての実損ですからなかなかに厳しい。
防雪林の中を走る津軽鉄道の気動車。真っ直ぐなレールが続く先に何を見るのか。

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