青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

とある北総の街の片隅で。

2020年01月23日 22時00分00秒 | JR

(縁浅からぬ駅@JR成田線・湖北駅)

ちょうど二年前の今くらいの時期でしたが、90を半ばにして私の祖父母が相次いで亡くなったんですよね。身内で葬式を済ませた後、祖父母が住んでいた千葉の家を壊すと聞いて、取り壊される前に・・・と旧家にお別れを言いに行った事があったんです。このブログでも書いたので、熱心な(?)読者の方はご記憶なさっているかと思いますが、この記事を見てふとそんな事を思い出してしまいました。

野菜行商の歴史、後世に 「担ぎ台」保存活用へ 7台「貴重な民具」 JR成田線湖北駅 /千葉 - 毎日新聞

祖父母は、定年した後は千葉県我孫子市に住んでおりまして、その最寄り駅がここ湖北の駅だったんですよね。神奈川の私の家から祖父母の家までは、小田急線で代々木上原から千代田線に乗り換え、北千住から常磐線に乗り換え、我孫子で成田線に乗り換えて2時間半くらいかかっていたように思いますが、いずれにしろ子供心にえらい遠くまで来たなあと思わせるに十分だった湖北の駅のホームには、確かにこのよくわからない?鉄製の台のようなものがホームにいくつも置いてありました。この写真で駅名標の隣にある錆びた鉄製の台の事なんですが、あれ、小っちゃい頃からずーっと鉄製のベンチだとばっかり思ってましたよ。ただ、よくよく考えたらベンチにしちゃあ座面が高いし座りにくいことこの上ないシロモノだったんですが、実は東京へ野菜を売りに行く行商のおばちゃんが背負子を載せて立ちながら休むための台で、千葉県の北総地域における行商の歴史を伝える貴重な史料と聞いて目からウロコが100枚落ちた。

自転車置き場が目立つ湖北駅の南口。駅周辺は「湖北台」と言われる台地上に広がる昭和40年代に開発された千葉のニュータウンのはしりのような地区ではあったんだけど、南へ向かって団地の中を緩やかに降りていけば手賀沼に沿って一面の水田地帯が広がっていました。北へ行っても、畑の点在する台地から利根川沿いに降りれば、古利根沼という利根川の昔の河跡湖があるような自然の豊かな街で、それこそ成田線に乗って沿線の農家のおばちゃんが行商に出ていたんだろうな、という感じののんびりした農村風景が残っていました。じいちゃんと手賀沼の釣り堀で釣りしたり、お正月に貰ったお年玉を握りしめて利根川にあった「小堀の渡し」に乗り、取手のイトーヨーカドーに行った事なんかを思い出したりしてねえ。

祖父母が亡くなり、家も取り壊され、土地は既に新しい住宅地に変わったと親に聞きました。もう湖北の街に行くこともないだろうな、なんて思っていたのだけど、そんな湖北の駅のあの鉄の台が、ひょんなことからその歴史的な価値を認められ、記事によるとその一部が何と大宮の鉄道博物館に保存されるそうな。展示物になるかどうかは分からないけれど、あの鉄の台が自分の縁浅からぬ街の記憶を繋いでくれた気がして、ちょっと嬉しかったですね。


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