青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

お盆を過ぎてボンレッド。

2024年09月01日 11時00分00秒 | 西日本鉄道

(まほうのつえをてにいれた!@「旅名人の九州満喫きっぷ」)

志免の竪坑櫓を後に、再び福岡市街へ戻ろうとバスの時間を調べたのだが、結局市内行きを待つよりも福岡空港行きのバスに乗るのが早いってんで、同じ道をバスで福岡空港へ。ここから改めて九州旅を始めようと思うのですが、まずは地下鉄で博多の駅へ出てこんなものを手に入れてみました。JR九州が出している「旅名人の九州満喫きっぷ」。私鉄・三セクを含む九州のすべての鉄道路線が3日間乗車出来て11,000円という魔法の杖。ちなみに、青春18きっぷと同様、九州新幹線とか西九州新幹線、そして特急列車に乗りたい場合は乗車券+特急券の購入の必要があります。一日あたりで計算すると3,667円/日。18きっぷよりは日数単価が高いのですが、そこは私鉄・三セクを含むことで致し方ないのかなと。ちなみに、割と九州の1日で4,000円弱を乗るのって大変な気がするね。博多-中津で2,140円、博多-別府で3,740円なので、普通列車で中津往復とか、片道なら別府まで行くとかすれば元は取れるのだと思うけど。あくまで私鉄&三セクを絡めてワイドに使わないと、コスト的なメリットは出しづらいかも。個人的には、いちいちワンマン列車で現金精算しなくて済むというのが楽・・・というのと、コスパより「その場の思い付きでなんでも乗れる/降りれる」という感情の自由というかフレキシブルさがいいのかなと。この駅で降りてみたいけど、切符が勿体ないから途中下車できないとか、そういうの本末転倒でしょう。あと、18きっぷと違って有効期間3ヶ月なんですよね。毎月九州に行くわけにも行かないけど、地元民なら小分けに毎月日帰り旅・・・という使い方も出来る。

改めて、博多の駅から福岡市営地下鉄に乗る。福岡の地下鉄に乗るのも随分久し振りだ。福岡市営地下鉄が姪浜〜博多間で開業したのは昭和58年(1983年)3月のことだから、もう開業して40年以上が経過していることになるんですねえ。市営地下鉄の開通にともない、国鉄筑肥線は姪浜~筑前前原までの電化と市営地下鉄への乗り入れを決定。旧来の国鉄筑肥線の一部(博多~姪浜間12.7km)は、途中5駅を含め地下鉄と切り替えられる形で廃止されています。国鉄時代の姪浜~博多間って、中心街の天神や中洲川端を通る地下鉄と比べ、福岡市街を南に大回りしてましたし、毎時1本・朝夕ラッシュ時で毎時3本くらいのいかにも国鉄然としたダイヤで、雑多な気動車がゴロゴロと動いていただけなので、福岡市内の交通に役立っていたか・・・と言われればそうでもなかったんですよね。だいたいの人が姪浜の駅で西鉄の福岡市内線(路面電車)に乗り換えていたそうなので。

博多から中洲川端で地下鉄の箱崎線に乗り換え、福岡市営地下鉄の東端である貝塚駅までやって来ました。ここで接続するのが西鉄貝塚線。今回の福岡旅は、西鉄(西日本鉄道)を中心にした北九州の鉄道を探訪しよう!というテーマをもってやって来ました。初日は、まずは西鉄の中でもスタンドアローンな存在である貝塚線に乗ってみようというわけです。貝塚駅では、地下鉄と同じフロアで対面改札での乗り換えが行われており、乗客の流動は比較的スムーズ。西鉄貝塚駅は、市営地下鉄の貝塚延伸に伴い160mほど東へ移転し、構内の配線も将来的な相互乗り入れ含みのものが設計されたのですが、貝塚線のホーム有効長が3両が限界のため、市営地下鉄の6両固定の編成をそのまま入線させることは出来ず、乗り入れは実現には至りませんでした。計画自体は長年くすぶり続けたものの、西鉄サイドが貝塚線の大規模な投資に及び腰なこと、また新型コロナの影響による鉄道事業の不透明さもあいまって、2021年に相互乗り入れは正式に計画凍結、ということになっています。

西鉄貝塚線の現在の主力車両である600形。令和のこの世で稼働している現役の鉄道車両の中では、かなーりレトロな部類に入ります。製造初年度は1962年(昭和37年)というのだから、既に還暦のオールドタイマー。確かに、この車両を現状で使っていること自体に地下鉄との相互乗り入れをあまり考えてねえなあ・・・という感じはありますね。そもそも2連で天神や姪浜に乗り込んでいくのはちょっとキツいものがある(笑)。もともと貝塚線は「博多湾鉄道汽船」という会社によって開業された大牟田線とは別の路線であり、大牟田線が1,435mmの標準軌に対して貝塚線は1,067mmの狭軌とレギュレーションが異なるのもネックか。昔っから使用する車両は基本的に大牟田線のお古で、それも他の会社から取り寄せた台車へ履き替えして投入したりしているんですよね。長年の懸案事項だった地下鉄乗り入れについても、貝塚線に設備投資するカネがあるんなら大牟田線が先でしょ?という感じだったんだろうし、なかなかこの路線に対する思い切った投資は決断できなかったんだなあ、という雰囲気はあります。

そもそも西鉄貝塚線は、かつては貝塚駅から津屋崎町(現:福津市)の津屋崎駅までを結ぶ「西鉄宮地岳線」という名前の路線でした。西鉄新宮~津屋崎間は、並行するJR九州の鹿児島本線が福岡近郊区間のフリークエンシーの増強を図る中で、JRへの乗客の逸走が慢性化。各駅停車のみで時間がかかり、博多や天神に直接出れない線形もネックだったため、路線の約半分に当たる西鉄新宮~津屋崎間9.9kmが2005年に廃止されています。廃止に伴い、路線名称も「西鉄貝塚線」に変更され、現在は貝塚~西鉄新宮の間の11.0kmを営業する路線となりましたが、地下鉄との相互乗り入れが果たされなかったのも、設備面に加えて津屋崎方面からの乗客減があったのは想像に難くありません。グズグズ考える前に、バブルの勢いのあった1986年の地下鉄の貝塚開業の時点で思い切って設備投資して乗り入れていたらどうだったですかねえ・・・。中洲川端とか天神に直結していれば、間接的にでも西鉄大牟田線と繋がったし、津屋崎方面の住民もJRに鞍替えすることはなかったか。こればっかりは「もしも」の話なので何とも言えんが。地下鉄と西鉄で通し運賃に出来ないところもネックだったということだけど、それは西側の筑肥線+地下鉄だって同じですしね。

西鉄電車の中で、唯一本線筋の天神・大牟田線と接続していない貝塚線ですが、その離れ小島的な立ち位置から、博多を中心とした商業圏の中にありながらローカルなムードも残っていて、前々から気になっていた路線でもありました。名鉄の蒲郡線とか、東武で言えば佐野線とか桐生線とか、大手私鉄にありながらローカル線っぽい立場の路線って大好きなんですよねえ。まあ、西鉄貝塚線はラッシュが10分・日中は15分ヘッドの運行なので、これをローカル線なんて言っては失礼にあたるのかもしれませんが・・・貝塚~名島間にある多々良車庫の横を往く600形。オキサイドイエローにボンレッドの帯をキリリと締めたカラーリングは、かつての西鉄の看板車両だった西鉄2000形の塗色を今に残すそれであります。

少し遅くなったお盆休み、お盆を過ぎてボンレッド。
会いに来ました、博多まで。


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