青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

壮大な夢のあとさき

2019年02月24日 17時00分00秒 | 弘南鉄道

(朝焼けの石川高架橋@石川~義塾高校前間)

石川から義塾高校前の駅にかけて、大鰐線はJRの奥羽本線の上をオーバークロスします。これが石川の高架橋で、大鰐線の中でも最大の構造物。コンクリートの橋脚をトレッスル橋のようにやぐらに組んだ作りで、見た目が少し華奢なのがいかにも地方鉄道らしい。大鰐線の開通は1952(昭和27)年、弘南鉄道とは別会社の、弘前電気鉄道の路線として開業しました。当時の国鉄弘前駅は戦前からの弘前市街を大きく外れた位置にあったため、弘前電気鉄道は「弘前市の中心部へ鉄道を通そう!」という意気込みで、弘前市や三菱電機の全面協力を受けて敷設された路線。雰囲気からもっと昔からある路線のように感じてしまうのですが、意外と新興の路線なんですよね。


ほんの少しの間だけ雪が止み、つかの間の朝焼けに染まった石川の高架橋。大鰐駅に留置されていた朝の二番列車が、コンクリートのトレッスルを渡って行きます。弘前電気鉄道は、僅か11ヶ月の突貫工事で岩木山の西麓を切り拓き、大鰐~中央弘前間を開通させたそうです。弘前電気鉄道は、国鉄の通らない岩木川の西岸に交通路を整備する…という名目で、弘前からさらに五能線の板柳までの延伸を計画していましたが、弘前地域のモータリゼーション化によって思うような収益が上がらず、1970(昭和45)年に弘南鉄道へ経営権を譲渡し清算。津軽平野に描くはずの壮大な夢を果たせぬまま、短い生涯を終えています。


石川~大鰐プール前間の雪原を。弘前・平川・黒石と小さいながらも弘前の都市圏を結ぶ弘南線に比べ、大鰐線の沿線には目立った市町村はなく、大鰐方面から主に弘前市内にある学校や病院への移動手段としての利用が中心。弘前電気鉄道時代から収益が上がらず、弘南鉄道に拾われてからも黒字経営の弘南線におんぶにだっこの大鰐線。直近の試算では年間収支は3000万円の赤字なのだとか…。大鰐から弘前は2駅13分240円のJR、13駅30分430円の大鰐線。どっち使います?という話よね。


もちろん大鰐線サイドとしても手を拱いている訳ではなく、地元密着の路線として駅の新設(義塾高校前・石川プール前)も行っていますし、老人の通院需要も拾おうと医療機関(または温水プール石川)の往復利用の際、病院でハンコ押して貰えば帰りの運賃が100円となる「あんしんパスプラス100」なんて珍しい企画乗車券も売っていたりする。冬なんか、病気のじっちゃんばっちゃんがクルマ運転して病院行くってのも難儀な話だもんね。中央弘前の駅近くには総合病院もいくつかありますし。


ラッシュ時間は30分間隔の運行なので、あまり待たずとも電車が来るので適当にヒマが潰れる。ラッシュと言っても土曜日なので、車内に乗客は疎らなのであるが…大鰐線の中で一番新しい石川プール前の駅を発車する中央弘前行き。弘前市立の石川プールは清掃工場の排熱を利用したスポーツ施設。焼却炉の煙がたなびく空は再び鉛色にどんよりと曇り、雪が舞い落ちて来ました。
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