青空、ひとりきり

鉄路と旅と温泉と。日々の情景の中を走る地方私鉄を追い掛けています。

甚六の 長き尽力 四十年

2013年04月06日 22時00分00秒 | 中央東線

(名残の桜とロクヨン・ゼロバン@勝沼ぶどう郷駅前)

週末は大荒れの天気予報に週中から切歯扼腕。気象庁と官邸まで「不要不急の外出は控えるように」なんぞお達しを出して来やがってどこの戦時中だよ!って感じなんだけど、土日にしか休めない社会人に不要不急でない外出などない(笑)。さりとて大嵐の中でカメラ構えるのもしんどいので、せめて予報的に何とかなりそうな土曜日の午前中に一発勝負をかけて来ました。南関東では週中の雨で散ってしまった桜を追いかけて、朝3時半に家を出てやって来たのは甲州山梨。今日のお題は中央東線春の定番・勝沼ぶどう郷駅の甚六桜!なんか山梨来るのも久々だな。撮影の前に、勝沼ぶどう郷駅のヌシであるEF6418にご挨拶。


朝5時半の勝沼ぶどう郷駅。開業は1913年(大正4年)4月8日、聞けば明後日で開業100周年だとか。そんなめでたい駅の周囲を取り囲むように咲く甚六桜、地元有志の「甚六会」が昭和52年からコツコツ植え始めた桜の木は、すっかり大きく立派な枝ぶりとなり春の勝沼の名物となりました。


勝沼ぶどう郷の駅から見て北側、塩山方面に向かって約1000本の桜が植えられております。見頃は2、3日前だったらしく、ハラハラと散り始めた桜の花弁が甚六桜の遊歩道を埋め尽くす。甲府盆地を山梨市、塩山と大きく北に迂回しながら高度を稼いだ中央東線が、いよいよ笹子峠への隘路に向かって足を踏み入れる最後の駅。そのため開業当時からスイッチバックの設備を持っておりましたが、この区間の複線化に伴って廃止されたそうです。


甚六桜は、昭和43年に廃止されたスイッチバックの設備と嵩上げ前の旧ホームのスペースを使って植樹されたそうです。最近では駅の南側にある旧大日影トンネルの遊歩道化、山の神ことロクヨンの鎮座、そして甚六桜と旧ホームの整備を通じて、勝沼の地に残る鉄道文化遺産を守って行こうという運動が活発になっているのは鉄道ファンとしては喜ばしい事で。甲府まで鉄道が開通したのは1903年(明治36年)と古く、甲州への鉄路を切り拓くために注がれた明治の心血たるやいかに。信越本線の碓氷峠ほどじゃないけど、中央東線のそこかしこに残る古式ゆかしい佇まいも実に味わい深いものです。


旧ホーム上の旧駅風味の復刻駅名表。現在は「勝沼ぶどう郷」ですが、旧ホームなので「勝沼」。
新宿方の隣駅は現在は「甲斐大和」ですが、旧ホームなので「初鹿野(はじかの)」。
ついこないだまで初鹿野だったんで、覚えている人も多いかもしれませんね。


甚六桜を愛でつつ旧ホーム後を歩き、勝沼ぶどう郷駅の塩山側に三脚を据えてみる。朝もはよから2名の先客あり、今日を逃してしまうとほぼアウトの今年の甚六桜を撃っておくには天気もクソも関係ないって事ですね分かります。春になって朝6時でも充分に明るくはなっていますけども、やっぱり写真を撮るとなればこのどん曇りでは光量が足りないのお…。しょうがないので感度は上げ気味、絞りは開け気味で今日のお初は山スカ115の3連。そー言えば東線の山スカって朝の運用に一杯入ってて日中は意外にオネンネなんだよね。散り際の桜を愛でつつ、勝沼ぶどう郷を発車。


一発目のアングルは三脚を頭の上まで伸ばして金網越しで狙う苦しい構図だったので、もうちっとゆったり構えられるポイントはないもんかと言う事でウロウロ。以前一回構えた事のある塩山側の小俯瞰に行ってみると、甚六桜を遠景にハナモモが満開じゃないですか。確かに山梨は桃源郷のごたる。これで晴れてりゃあねえ…とも思ったのだが、一応山の稜線は見えてるし好みの広角で構えられるし誰もいないしここで三脚を出してみよう。大月行き山スカ115は3+3の6連。これは大月で分割されて河口湖に行く編成ですね。


ちょこっとアングルを変えてもう一枚、今度はハナモモ多めでオナシャース。また山スカが来たな。山梨県内ですけど朝はさすがに本数も頻繁で、この時間はトタ区の山スカもフル充当なんですかね。後ろの山から微妙に薄日が差したり差さなかったりで絞りとWBの選択にヤキモキさせられる。


どん曇ってるけど、このハナモモのヴィヴィッドな赤に救われます。特急かいじ102号新宿行きはE257、9両の短編成でやって来ました。甲州路から首都圏への一番特急。甚六桜が咲いている構図左側の土手は、元々スイッチバック時代の引き上げ線跡地です。

 

ハナモモ俯瞰から果樹園へ降りて行く小道を通って、スイッチバックの引き上げ線跡に行ってみました。
現在は何に使われている様子もない引き上げ線跡地。若干の建築廃材が放置されて殺風景になってしまっているけれども、その築堤の大きさは立派なもの。甲府盆地の農産物を載せた長大編成の貨物列車がここに引き上げ、交換待ちの後にブレーキホースのエアー音も激しく笹子峠への上りに向かって行ったんだろうなあ。牽引機はED15あたりかな。トンネルの多い路線だったんで、昭和初期には甲府まで電化されていた中央東線ですが、築堤の終点から見ると本線路盤との高低差はかなり大きく、この周辺の勾配のきつさを実感出来ます。


築堤下から扇状地の谷地を抜けて来る山スカを。ってか山スカバカーリ(笑)。長野色どこ行った。やっぱり長総の115もしな鉄に売却されて数を減らしてるし、新投入された長野色211はこっちではハンドル訓練したって話も聞かないから、相対的に東線の山スカ率って上がってるのかもしれませんねえ。


農道の小道に舞い落ちた桜のじゅうたん、散り行く春に武田菱を添えて特急あずさ2号東京行E257。狩人呼んで来い(笑)。ちなみにこの列車の大月発車が7時59分なんで、「8時ちょうどのあずさ2号」は現時点では大月駅が一番ニアピンになるのではなかろーか。


朝6時から2時間程度、場所を変えつつ色々撮って最初のポイントである駅の塩山方で戻ってみると、いつの間にかかなりの同業者が三脚を並べております。今さらその中に割って入るのも気が引けるので、アタクシは思いっ切り後ろから300mmの長タマでひっそり撃たせてもらいましょうかね。場内信号と線路脇のフェンスはあるけど、最後は思いっ切り桜のボリューム感がある構図で狙ってみましょう…物足りないと思わせておいて四季の景色へ優しく溶ける長野色のパステルカラー、この変幻自在さは今はなき小田急RSE20000系と似てるかもしれない。


115長野色の6連が甚六桜から飛び出してくる。この南向きの構図は晴れたらおそらく逆光で面が死ぬだろうから、まあどん曇りだったからこその撮り方が出来たのかな~とポジティブに。散り急ぐ甚六桜のピンクに包まれて、MT54のサウンドが吠えるw


やっぱ東線に来たら一本は撮って持って帰りたいスーパーあずさ1号松本行き。今日はアディダスマークでやって来ました。どちらかっつーと列車名が出てる方がいいんだけど、まあ文句は言うまい。あと朝なんですからもうちょっとお顔は洗われた方が宜しいかと…(笑)。勝沼ぶどう郷って下りカーブ上の駅なんでもうちょっとバンクつくかなと思ったけど、そんなでもなかったな。


雨が降ったり風が強くなって面倒になるのも嫌なので、だいたい撮るものも撮り終わったし撤収する事に。ハラハラと舞う桜吹雪の遊歩道、帰りしな読んだ甚六桜の謂れを見るに、ほぼ自分と同い年の桜たちなんだなあと。俺とお前は同期の桜、ってか(笑)。



甚六の 長き尽力 四十年。
再び逢おう、桜の頃に。
コメント
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