フェンネル氏の奇妙な生活

気付いた世界の中の小さな出来事と水彩画と時たま油絵と思いついたことを爺さんが一人語りいたします。

2020-04-19 09:28:33 | Weblog
4月は出発の季節だったはずなのにこの沈滞はどうしたことだろう。花は咲き乱れ、山は新緑、風は爽やか、甘い香りが頬をうつ。外のテーブルに運ばれてくるのはミントティー。姪の子の幼子がヨチヨチと僕らのテーブルの周りを笑いながら歩いていく時たま奇声を上げながら。蝶が飛んで、蜂の羽音が聞こえて、やわらかい日差しがテーブルの上に注ぐ。「まだパラソルは早いかな」なんていつもの言葉を言いながら伸びてきた小手毬の花を眺めている。その景色が今年はない。出発の気配もない。「これは、はなむけ」って言葉も聞かない。「餞(はなむけ)」って言葉はもう死語かもしれないけれどなんか出発というか心躍る言葉だから好きだね。昔馬を連れて旅立つ人を見送る時に「大丈夫だ」と馬の鼻を前に向けてやったのがこの言葉の始まりだとか。確か「土佐日記」にもでてくるよね「むまのはなむけ」って。いくら家にいろって言われても人間の体は季節に沿って構成されてるんだからこの季節は体も心も外に出たくてウズウズするね。「それでもガマンをしろ」って言われてもなぁ。人と8割接触をするなって人間関係の「断捨離」なのかな。「人脈、人脈」っていらない人との構築に懸命に生きてきた人ってバカみたい。お上の一言で人脈の断捨離だ。とかく人間のすることなんざ「お笑い草」なんだね。昔から本当の友達が一人あればそれでいいというでしょう。その人はきっと馬の鼻を前に向けてくれる人だからね。コロナで色々なことが精査されていく。生活習慣も身近な人間関係も含めて。マスクミ(マスク+マスコミ)にごまかされない冷静な判断が出来だしたってことかな。
コメント
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