「原発と映画」プロジェクト準備ブログ

原発に関する映画の紹介をメインに2011年から書いているブログです。

「知事抹殺の真実」が完成したそうです。

2016-10-06 19:05:01 | 原発の映画(観てないもの・上映情報等)

ドキュメンタリー映画
「知事抹殺の真実」記者発表会

日時:平成28年10月12日(水)18時
   (上映は19時から)
場所:日本記者クラブ Aホール
   東京都千代田区内幸町2-2-1
   日本プレスセンタービル9階
   TEL 03-3503-2721

記者発表出席者 
   佐藤 栄佐久  元福島県知事(5期18年)
   我孫子 亘  映画監督・映像作家
   ナオミ    映画プロデュサー
   三田 公美子 企画・制作委員会代表
   下村満子   ジャーナリスト・「生き方塾」主宰

入場料は無料、マスコミ関係者以外も参加自由ですが、予約はとりませんので、満席と
なったときは立ち見になることをご容赦ください。


お問い合せ・ご連絡は
<ドキュメンタリー映画「知事抹殺の真実」制作委員会事務局>
Mobile 070-3524-2781 E-m clerk@eisaku-movie.jp
「知事抹殺の真実」公式サイト http://eisaku-movie.jp
FB http://www.facebook.com/eisakumovie



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ドキュメンタリーが語る原発と戦争」という映画祭があったそうです。

2016-10-06 00:39:37 | 原発の映画(観てないもの・上映情報等)

過ぎてしまいましたが、2016年6月30日~7月3日まで東京・早稲田にて

「ドキュメンタリーが語る原発と戦争」という四日間にわたるフェス(映画祭)があったそうです。

http://japandocs.org/wasedocuf2016/

原発・核の関係のドキュメンタリーは8本上映されたそうです。上記HPよりこのフェスの趣旨と原発関係の映画のみ、転載してご紹介します。

Wasedocuフェス2016 ドキュメンタリーが語る原発と戦争
 日本の未来を左右する焦点はいま、「原発再稼働」であり「安保法制の導入」である。二つは別々の事柄に見えて、実は深くつながっている。原子力は戦争の最中に大量破壊と殺戮の手段として生まれ育ち、戦後「平和利用」と名を変えた。だがどうだろう、チェルノブイリで、福島で起こった結末は。猛り狂った原子炉の鎮火には、国家に命を捧げる「兵士」が動員され、放射能に奪われた大地には空襲の廃墟がオーバーラップする。
そして優れたドキュメンタリーは、実は原発と戦争がコインの裏表であることを見抜いていた。
真夏を前に、ワセダでその痕跡を追う。

 『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』

福島原発事故から5年。古居みずえ監督が描く 、へこたれない母ちゃんたちの愛しき友情物語。

2016|日本|映画「飯舘村の母ちゃん」制作支援の会|プロデューサー:飯田基晴 野中章弘|監督・撮影:古居みずえ|出演:菅野榮子 菅野芳子|編集:土屋トカチ|整音:常田高志|宣伝協力:東風|配給:映像グループ ローポジション|制作協力:映像グループ ローポジション アジアプレス・インターナショナル|95分

『プルトニウム元年・Ⅲ 隠される被ばくヒロシマは…』

(1993/広島テレビ/岡原武ディレクター/50分)

被爆地の広島テレビが、核燃料サイクル計画に向かう日本に警鐘を鳴らすシリーズ第3作。原爆投下直後、米国が被ばくとがんの因果関係を認めなかった事実から、死亡した原発労働者の健康管理の問題まで、軍事核、平和利用を問わず被ばくとその影響が隠されてきた実態を暴く。第1作の『プルトニウム元年 ヒロシマから-日本が核大国になる…?!』(1992)は「地方の時代」映像祭大賞。


『ヒロシマの黒い太陽』

(2011/仏/カミプロダクション、アートラインフィルム、フランステレビジョン、NHK/渡辺謙一監督/87分)

マンハッタン計画の当初から、放射線が人体に与える影響は重要な研究課題だった。1945年4月には、すでにプルトニウムの体内注入、人体実験を実施。原爆投下後は、マンハッタン計画の医師たちは大挙して広島・長崎へ移動。被爆地は壮大な人体実験の場となった。


『ドキュメントチェルノブイリ-高木仁三郎さんの遺言』

(1987/反核パシフィックセンター/復刻版:2011/映像ドキュメント.com/24分)
1986年のチェルノブイリ原発事故の翌年、ソ連から持ち帰られた記録映画を編集して、事故の生々しい実態を市民に伝えるべく制作されたビデオ。解説は原子力資料情報室代表だった高木仁三郎(2000年他界)。

『シェーナウの想い』(2008/独/フランク・ディーチェ、ヴェルナー・キーファー監督/60分)
チェルノブイリ原発事故をきっかけに、ドイツ、シェーナウ市の住民たちが電力会社を作るまでを描いた作品。「自然エネルギー社会を子どもたちに」という想いから、ドイツ史上初の「市民の市民による市民のための」電力会社が誕生した。

NHKスペシャル『チェルノブイリ・隠された事故報告』(1994/NHK/七沢潔ディレクター/60分)
ソ連崩壊(1991)後に共産党政治局などの機密文書を入手、政治家、官僚、科学者の証言により、チェルノブイリ原発事故の主な原因は原子炉の構造的欠陥にあったこと、それをソ連政府は知りながら隠して世界に虚偽の報告をし、IAEAも米国も黙認していた事実を暴きだす。


NHKスペシャル『ロシア 小さき人々の記録』(2001/NHK/鎌倉英也ディレクター/75分)
独ソ戦の女性兵士、アフガン帰還兵、チェルノブイリ原発事故の被災者・・・・・・。ベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチは惨事の裏側に生きた人々の声なき声を拾い集め、弾圧にも屈せず作品を発表し続けて来た。それは記録しなければ永遠に国家の歴史の闇に消えてゆく「小さき人々」の「未来への言葉」だった。アレクシエービッチは2015年ノーベル文学賞受賞。

BSプレミアム『赤宇木』(2016/NHK/大森淳郎ディレクター/120分)
福島県浪江町の小さな村、赤宇木(あこうぎ)は福島原発事故後、放射能に汚染されて「帰還困難区域」となり、元に戻るのは100年以上先と言われる。その赤宇木の住民が村の歴史の掘り起こしを始めた。飢饉、徴兵と戦死、戦後開拓の苦難、過疎と出稼ぎ・・・・・・。浮かびあがるのは、汗と涙で激動の時代を生き延びてきた村が、いま原発事故で「歴史が断絶する」瀬戸際に立たされた不条理だ。

このフェスの主催は、2015年に4月に設立された「早稲田大学ジャーナリスト研究所」とのことです。http://www.hanadataz.jp/

新しい研究所というわけではなく、その前身は「早稲田大学ジャーナリスト教育研究所」とのことです。http://www.hanadataz.jp/00/front.htm

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発に関する映画その76「太陽の蓋」

2016-10-05 13:32:33 | 原発と映画

2016年7月16日に劇場公開がはじまった「太陽の蓋」をようやくみました。

http://taiyounofuta.com/

2011年3月11日からの五日間ほどを記者を主人公にして

官邸の部分は、本名で限りなく事実を描き

官邸以外の部分は、フィクションで作られた劇映画です。

この映画について、全面的に語るのはとても難しい映画と思うので、それはあとから機会があれば書くことにして、とりあえず最初の感想だけ書いておきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<ノンフィクション部分について>

「あの時官邸で何があったのか」ということが、テーマといえそうです。

当時の菅民主党政権が、東日本壊滅という事態を防ぐために、限られた情報しかない中で、精一杯やったということが伝わってくる映画です。

最近フェイスブック上でも、当時内閣総理大臣補佐官として官邸にいた寺田学氏の書いたものが流れていたので、私も読みましたが、共通する内容でした。

「福山ノート」という民主党福山哲郎氏の書いたものを手始めに、各事故調を読みこなして作り上げたシナリオということなので、官邸の描写について、「事実とは違う」という異議を唱える余地はほとんどないと思います。

7月10日の参議院選の時に、民主党政権への不信が、特に「ただちに影響はない」といい続けた枝野氏の政府発表への不信が、投票行動に影響を与えたのは事実だと思います。

この映画が7月10日より前に公開されていたら、選挙の結果も少し違っていたのだろうかとも思ったりしました。

1.電源車の手配をしたけれども、うまくいかなかったこと

1.ベントしかないというベントをめぐる状況 

1.菅総理大臣の現地訪問

1.一号機の爆発 三号機の爆発 

1.東電本部からの撤退したいという要請

1.それをとめるために総理大臣などがはじめて東電本社にいき、そこで東電本社では現地とテレビがつながっていると初めて知った時の衝撃

1.二号機付近での爆発音

1.四号機の燃料プールの危機 と給水が必要になったこと

 

この一連の事実を多くの国民が共有することは大切だったのだと、改めて思いました。

この事実を知って何を思うかは人それぞれな面はありますが

☆「これが自民党政権下で起きていたらどう違っていたのか」とは、みおわって、考えざるをえません。「菅民主党政権は危機管理能力がなかった」という人もいますし、この映画をみていても、国民の命がかかわっている出来事がこんなに頼りない感じで進められていたのかとも思いますが、「自民党政権ならよかった」とは私には到底思えません。少なくとも菅政権は原発事故の怖さを理解し、東日本壊滅の危機を理解して、それを止めることを大事に考えた人たちだということは伝わってきたからです。  

もちろんこれをみて、「自民党の方がよい」という人もいることでしょうが、そこからまた議論が始まればと願います。

やはり、日本では、日米合同委員会というものが、国会よりも内閣よりも上にあるという話は本当なのだろうと、この映画をみていても、想像してしまいます。日米合同委員会については、矢部宏冶氏の「日本はなぜ基地と原発をやめられないか」の中にわかりやすく書かれていて、私は知ることができたのですが、民主党政権下で日米合同委員会はどのような動き方をしていたのだろうかということも、考えさせられます。

☆「なぜあの時東電本社は撤退といったのか」という疑問が新たな疑問として、大きくなった気がします。映画としてみせられるとあらためて不自然すぎる気がするからです。すくなくとも福島第一原発の現地では、撤退を考えていなかったことはこの映画にもでてきますし、吉田元所長の書いたものからもわかります。東電本店の人達が現場の作業員の命を守るために、撤退を進言したとはとうてい思えないのです。米軍関係者が早くから東電本社に来ていたという話もインターネット上では読んだ記憶もあります。「東電本社によるあの撤退要請はなんだったのか、撤退してどうしようとしたのか」明らかにされるよう願います。

☆「映画は五日間で終わっていますが、このあとどうなったのか」ということも知りたくなります。

この映画にもでてくる寺田氏が書いた手記によると、このあと東電と政府の合同会議が設置されて、そこに政府の代表として残ったのは、海江田氏と細野氏だったとのことです。その会議が中心となって対策を考えることになったので、官邸が直接指揮をする時期は終わったとありますが、そのあとのことを知りたく思います。それを語れる人は限られているわけですが、その人達の発言に注目したいと思います。

☆原子力安全委員会委員長のひどさも、リアルに伝わってくる映画で、「この人が罪に問われなくていいのか」ともあらためて思います。

☆この映画に描かれている官邸の様子に大きな間違いはないとしても、この映画からはもれている部分はありえるということには注意が必要と思います。そういえば海外からの支援申し入れを、菅政権は断っていたはずですが、その辺のいきさつも大切な点だと思うので、知りたいと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<フィクション部分のエンターテイメントについて>

プロデューサーは「無知の知」を作った大塚馨氏で、企画からクランクインまで数年を要したそうです。官邸部分を事実に忠実なシナリオにすることにエネルギーを注ぐとともに、原発事故についてあまり関心をもたなかったような人の心にも響くエンターテイメントにしあげるために、苦労したとパンフレットにはありました。

その苦労は実ったと思います。

原発事故について、よく知っている人間としては、「今エンターテイメントにされてしまうのか」という抵抗感があるのは事実で、素直に白紙の気持ちで感情移入はできないのですが、「見事なものだ」と関心する場面がちりばめられていたのは認めざるをえません。

こういう作品でのエンターテイメント性というのは、緊迫感とともに、人間と人間関係の描き方の深さで、情に訴えて感動できたり気づきがあったりということだと思うのですが、主人公の記者さんの奥さんとのやりとりとか、原発のことを追求したくて会社をやめた人のこととか、記者同士のやりとりとか、息子さんが原発で働いていた家族のこととか、原発作業員同士のやりとりとか。。。さりげない場面・さりげないセリフがていねいに作られ、心配りが行き届いている映画でした。

「献身」が、やや強調されすぎている気もしました。原発作業員の人にも、いろいろな人がいたはずで、その部分は描かれていないからです。でも「献身してくれた人がいるからこそ、今日まで最悪の状況をなんとか避けて、作業が続けられてきている」のも事実で、そのことも忘れてはならないとも思いました。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

<その他>

◇東京の八王子からも避難するアメリカ人のことも描かれていて、「知らないのは日本人だけかもしれない」というセリフもありました。

「知らないのは日本人だけかもしれない」。。。2016年の今にもあてはまりそうな言葉です。

◇最後の方の場面で、「まだ終わっていないのに、五年前のことをみんな忘れ、終わったかのような状況になっていることへの懸念」が表明されます。

「まだ終わっていないことのあかし」として、「福島県からの避難者は何万人」と出てくるのは、ここでまた抵抗感を覚えます。「まだ終わっていないことのあかし」としては、放射能の放出が続いている原発の状況や、明らかになりつつある健康異変のことにもふれてほしかったと思いますが、ここはこの映画の本筋の部分ではないので、そこまでいうのは無理とは思い返します。

◇どうしても原発事故のことを考え続け、原発の映画をみつづけてきた私の感想は辛口に傾きがちですが、インターネット上にのっている感想をみると、多彩な人の多彩な感想がのっています。原発事故にほとんど関心をもっていなかった人がみる可能性があり、多彩な感想が寄せられているということにこの映画の価値があるのだと思います。それこそが製作された方たちの願いでもあったわけで、製作された方たちに心から敬意を表したいです。

◇この映画は、講演あるいはトークとセットで自主上映で広がっていけばと願います。誰の講演がこの映画にふさわしいのか、気にしておきたいと思います。

◇各地で国と東電を相手に「真相究明」や「責任追及」のための裁判にかかわっている方々にも共通認識として、みてほしい映画と思います。

 <おまけ>

※この映画に実名で登場した寺田学氏がこの映画についての感想を書いておられます。この人は早いうちから、ありのままを広く伝えるべきという考えをされた人で、率直に書かれています。参考までにリンクします。

http://www.manabu.jp/blog-entry/2016/05/24/442/

※2007年7月の中越沖地震のあと、二か月で当時の第一次安倍内閣の安倍総理大臣が辞職したことも記憶しておきたいと思います。 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

原発に関する映画その75「ヒロシマ、そしてフクシマ」

2016-10-02 19:13:58 | 原発と映画

「核の傷」(2006年)で肥田舜太郎先生をとったフランスのマルク・プテイジャン監督による続編ともいえるドキュメンタリー。原発事故後の肥田先生をおいながら原爆の問題とともに、原発事故の問題についても問題提起をしたドキュメンタリー。

公式HPはこちらです。https://doctorhida.wordpress.com/

この映画は、普通の日本人監督によるドキュメンタリーとは全く違います。

この映画をみたとき、最初からずっと、まったく退屈させることなく、次々に貴重な映像をみせてくれて、みいっていたのですが、最後のシーンがあまりにも違和感があったので、「なぜだろう」と考えていて、製作ドキュメントを読んで、やっと監督の意図を理解しました。

監督の意図をまっすぐに伝えてくれている製作ドキュメント(公式HPとパンフレットにものっています)、その一部を抜粋してご紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

(前略)

この映画は物事のありのままを示し、観客に物事を深く考えるよう促す。観た後は各人が家族や、まわりの人々や医者たちと議論し合い、自分自身の考えを深めてほしい。

この映画はすべての人々によって見られるべきであろう。汚染地帯に住む人々だけではなく、原子力利用による電気を使用する人々すべてにことは関わるからである。こんな大きな災害をもたらすエネルギーを私たちは利用して生きようというのであろうか?

何が起こるかをはっきり意識すれば、私たちは生き方を選ぶことができる。代議士たちをして、社会にそぐわないものを変えて行くように仕向けることだ。デモクラシーは完璧なシステムではないにしろ、各人に自分の運命に対し責任を持ち、自分が暮らしたいような社会を選ぶことを可能にしてくれる。デモクラシーに正しく参加できるのは、物事の現実をはっきりと見据えることによってのみである。

(中略) 

映画は肥田先生を直接撮影したシーンのつなぎ合わせと、福島に関する政府発表と正面から対立する数々の情報と、監督のナレーションと、音声や音楽の構成要素の組み合わせから成り立っている。ドラマティックな緊張感が盛り上がってくるのは、様々な人物が次々と現れることによって放射能汚染の様々な発現の現実が示されることによってであり、それらは公式的な発言や政府の対応の不十分さを対照的に明らかにする。

 昨年11月、私は野原千代さんの死亡報告に接して深く悲しんだ。彼女は福島災害後の蝶における内部被曝の研究に打ち込んだ高い能力を持つ研究者であった。私は沖縄の彼女の研究室で彼女を撮影した。科学的な厳密性と人間的な感受性をあわせ持つこの強靱で正義感に溢れる彼女の人格を忘れることができない。今私はこの映画を彼女に捧げたいと思っている。

 映画を完成させると直ぐ、私は「HiroshimaからFukushima」(原題:De Hiroshima à Fukushima : Le combat du Dr Hida face aux ravages dissimulés de nucléaire)という本を書き、2015年にアルバン・ミシェル書店から出版した。

映画には取り入れることが出来なかった肥田先生との対話をまとめる必要があると考えたからである。肥田先生の生涯と闘いがこの本の中で詳細に記されている。

私はまた、世界で唯一の原子爆弾の被害国である日本がどのようにして核の民間利用の道に進んだのかを説明したいと思った。

 どうして広島・長崎の原爆被爆者たちは核の民間利用に反対しなかったのであろう?

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

監督の「考えてほしい」「議論してほしい」という思いゆえに、映像は時空を飛びかって、時には不協和音のようにも思える場面も含めて、一本の映画がつくられたのだと理解しました。

最後のシーンは、「どうして広島・長崎の原爆被爆者たちは核の民間利用に反対しなかったのだろう?」という監督の疑問の気持ちも込められていたのだろうと理解しました。

「議論をしてほしくて作られたのだ」とそういう目でみると、ほかにもそういう場面がわかりました。福島から東京に避難した人が、東京のお医者さんから「東京も安全ではない」といわれる場面。

戦後間もない頃広島から福島に移住した人がつらかった経験を語る場面

でも「この映画をみて議論してほしい」といわれても、日本人の成人には議論するには重すぎるテーマばかりです。

若い人(高校生・大学生)にみてもらって、問題提起して議論してもらうのに適しているかもしれません。

大人が議論するには、プラスアルファの何かがあればと思います。

<原爆のこと>

それとはまったく別に、広島長崎の問題を短い時間の中でこれほど全面的に理解させてくれた映像は私はちょっと思いつきません。

肥田先生が内部被ばくの問題が大事だと気づいたきっかけの話

ABCCがやったこと(治療もせずにひたすら血液と尿と便をとり、入院させなくなると遺体をアメリカにおくったこと)

占領下で肥田先生がアメリカの医者にあったときのこと

  核のことは、自分の勝手には何一つできないといわれたこと。

遺体を返還させたこと

パイロットとの論争に勝利したこと

検診をし、「生き延びることが闘い」といいあって数々の病を克服して、長生きされてきた被爆者の方たちのこと

<原発事故被害のこと>

一方原発事故の問題は、現在進行形であるがゆえに、すべてが断片的ですが、それでも今できうる限りの大切な映像が盛り込まれていることに心が動かされます。

順番は違いますが、思い出すままに書いてみます。

三号機の爆発映像

破壊された四号機の映像

いわきから避難したお母さんの気持ち

福島の人たちの交渉場面

井戸川元町長を中心に避難していた埼玉の元高校にあるホールボデイカウンターのこと

原発ができた時のことを語る地元の人の話

原発で働く労働者が語る通常運転時の原発の様子

東京の三田先生のお話

野原千代さんの思いと研究 

日本のテレビには決してうつらないであろうことの数々、日本の映画でも自主規制がかかってしまいなかなかここまではとれないのではと思われることが、描かれています。

特に志半ばでなくなられた野原千代さんの映像は短い時間ですが、心に刻まれます。

<最後に>

それにしても、肥田先生の人生、表情が心に残ります。

大変な中、闘い抜かれて、立派な人生を送られ、この年齢まで多くの人に必要とされ、素晴らしい笑顔で、笑いあって、素晴らしいのひとことです。こういう方の存在は私たちの励ましになります。

 <これからのこと>

原爆被爆者の方たちの長年の闘いは、肥田先生の存在なしには語れないと思います。

水俣病において、原田正純先生の存在が決定的に大切なお力を発揮されたことも広く知られていることです。

原発事故被害者にとって、同じように頼りにできる医師はいったいどこにおられるのかと思います。プテイジャン監督の目にとまった三田茂先生がもしかしたらやはり特別な存在なのかもしれません。

ぜひ多くの人に観てほしい映画と思いました。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする