「原発と映画」プロジェクト準備ブログ

原発に関する映画の紹介をメインに2011年から書いているブログです。

プルトニウム元年

2016-10-08 23:52:17 | 原発の映画(観てないもの・上映情報等)

1992年8月に広島テレビで放送された「プルトニウム元年ヒロシマから~日本が核大国になる!?~」に注目したいと思います。翌1993年1月 1993年8月と第三作まで製作されたその第一作目です。

インターネット上で、約15分ずつ四つにわかれてしまってはいますが、みることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=WrgyvW1iIuc

https://www.youtube.com/watch?v=k1E0-C0h-qY

https://www.youtube.com/watch?v=RKvGtWMTddg

https://www.youtube.com/watch?v=SBzArXKOQFA

イギリス・フランスに再処理を頼んでいたプルトニウムが、これから本格的に日本にかえってくるという時代、日本で六ケ所村に再処理工場が建設中で、「もんじゅ」にプルトニウム燃料が運び込まれた時代に、広島テレビによって作られたドキュメンタリーです。

それまで、原子力については、「自主・民主・公開の原則」が守られてきたのに、科学技術庁の一片の通知で、情報非公開が始まった時代でもあります。核燃料を積んで横須賀から島根原発へとトラックで運ばれるのを市民が追いかけて監視する様子、島根原発から使用済み燃料が海外へと贈られる様子、そして途中から船名を変更され「あかつき丸」となった船によってプルトニウムが日本にもどってきて、「もんじゅ」の燃料として運び込まれていく様子をカメラはおっていきます。

フランスのラ・アーグとイギリスのセラフィールドの再処理工場についても丹念に取材をし、問題を伝えてくれます。

ラ・アーグでは、「白血病になり工場を訴えている配管工」「元村長」「周辺の地域の医師」が登場します。

世界で一番早く運転を開始したイギリスのセラフィールド周辺の被害はより深刻なことが伝わってきます。

周辺の町では白血病やガンが多いこと、魚の奇形も多いこと、1957年のプルトニウム生産炉の事故は30年間も隠されたことが、語られます。

フランスの高速増殖炉「スーパーフェニックス」は、事故と故障が続き、緑の党の強力な働きかけもあり、この時点で、運転停止期間が延長したという話もでてきます。

フランス・イギリスの経験を学ぶどころか、逆行してプルトニウム社会に突入しようとしている状況をとめようと、広島の市民運動「プルトニウム・アクション・ヒロシマ」の活動も丹念に描いています。中心になっておられるのは、被爆二世の方で、原爆を知っているものが、原発についても反対していきたい思いが語られます。

その運動は、本当にささやかな活動で、お祭りでの展示を断られたり、話に行った先でもなかなか理解されない中でも、続けておられる人たちを描いています。

「ヒロシマ、そしてフクシマ」をみたばかりで、「原爆被爆者はなぜ原子力の民間利用に反対しなかったのか?」という「監督からの問いかけ」がまだ頭の中に回っていた私としては

原爆による被害を受けた人の中にも原子力の民間利用に反対した人がいたのだと描いてくれたドキュメンタリーに出会えたことは、その答えをもらったような気がします。