「被爆者の声をうけつぐ映画祭」は、2006年に日本被団協が50周年を迎えたことをきっかけに企画され、2007年に第一回が開催されたそうです。映像や映画での被爆体験の継承を目的にしている映画祭とのことです。
今年の第12回映画祭は、武蔵大学江古田キャンパス(1000席)にて、7月14日・15日に開催されるそうです。
HPはないようですが、ブログとフェイスブックはこちらです。
1000人の会場をいっぱいにしようという大きな取り組みをされているようです。
ブログ https://hikakueiga.exblog.jp/
フェイスブック https://www.facebook.com/hibakueiga
(以下チラシとブログとフェイスブックよりご紹介させていただきました)
主催 被爆者の声をうけつぐ映画祭実行委員会 武蔵大学社会学部メデイア社会学科永田浩三ゼミ
後援 日本原水爆被害者団体協議会 ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会 練馬・文化の会
上映される作品は、以下の七作品で、「被爆者の声をうけつぐために」というシンポジウムもあります。
① 「広島長崎における原子爆弾の影響 広島編」 製作 米国戦略爆撃調査団(実製作は日本映画社) 監修GHQ
ドキュメンタリー 1946年 82分
本作品は、被爆直後の惨状を日本人が記録し、今に残る唯一の映像作品です。1946年に完成したプリントが連合国軍最高司令部・GHQ(米軍)に没収されたこともあり、長い間『幻のフイルム』と云われて来ました。その一方で、製作スタッフの機転によって密かに秘匿されたフイルムの一部が、原爆報道ニュースなどに用いられるなど、数奇なエピソードを持った作品です。...
1945年の被爆直後に撮影を企画し、スタッフを広島に派遣したのは日本映画社(日映)。日映は、昭和15年に戦時体制下でつくられた半官半民の国策映画会社で、国民の戦争協力を鼓舞するために働きました。戦後の日映スタッフは原爆投下を知ると、いち早くその惨状を記録することを企画し、原子物理学の第一人者、仁科芳雄博士に協力を求めます。その仁科博士の要請にもとづいて、文部省に原子爆弾災害調査研究特別委員会が設置され、調査団が編成。この調査団に撮影スタッフが同行して、映画製作が始まりました。いかにも学術調査らしく、生物班、土木建築班、医学班、ニュース及び遊撃班という陣容で挑みます。しかし、戦後の混乱期のためスタッフは、食糧難、移動手段、電力不足などに悩まされながら取材を敢行します。
10月下旬に、長崎を撮影中のスタッフがMP(米兵)に拘束されて、GHQに撮影中止を命じられます。12月、GHQは撮影したフイルムの提出を命じます。が、日映スタッフは、編集してこそ意味のある記録となると主張して、これが受け入れられ、米国戦略爆撃調査団の委託という形で製作が再開。中止となっていた長崎での再撮影も認められます。
作品は1946年5月に完成。製作や編集への米国側からの干渉はなかったと、スタッフは証言しています。しかし、GHQの命令のより完成プリントをはじめ、未使用のネガフイルムまで含めてすべて没収。米国側に持ち去られました。ところが日映メンバーの機転により、音のないラッシュプリントフイルム一揃いが密かに現像されて、三木映画社の屋根裏に隠されました。
52年に米占領が解かれると、このラッシュプリントは『朝日ニュース 第365号』(52年)や、亀井文夫監督の『生きていてよかった』(56年)などに使用され、撮影スタッフや、プリントを秘匿した映画人の想いは報われていきます。
米国に持ち去られたフイルムは21年後の67年11月に日本に返還されましたが、オリジナルの35ミリフイルムではなく16ミリでした。所管の文部省は「人権に配慮」口実に、悲惨なシーンを一部をカットして上映。ノーカット版の公開を求める声が上がったが、文部省は応じませんでした。
1980年には、米国立公文書館にある記録フイルムを、募金によって購入する10フィート運動が始まります。その運動が購入したのは主に、米国戦略爆撃調査団撮影によるカラーフイルムだったが、併せて『広島・長崎における原子爆弾の影響』も入手され、82年にノーカット版が東京、広島、長崎で上映されました。10フィート運動を引き継ぐ平和博物館を創る会は、96年に日本語のナレーション入りノーカット版『広島・長崎における原子爆弾の影響』を製作しました。
日本映画社の後継企業である㈱日映映像は、米国立公文書館所蔵のマスター・ポジフイルムより複製して作成された日本語字幕付き35mmプリントから、2010年にデジタル化して『広島・長崎における原子爆弾の影響(完全版)』(164分)をDVDとしました。今回の映画祭では、その中から広島編(82分)を上映します。(有原)
②「チャルカ~未来を紡ぐ糸車~」島田恵監督 製作 六ケ所みたい映画プロジェクト ドキュメンタリー 2016年 90分
③ 「灯篭流し Paper Lanterns」パリー・フレシェット監督 ドキュメンタリー 2016年 60分
④ 「愛と死の記録」蔵原惟繕監督 製作 日活株式会社 劇映画 1966年 93分 主演 吉永小百合 渡哲也
⑤ 「白い町 ヒロシマ」山田典吾監督 脚本 新藤兼人 製作 現代プロダクション 劇映画 1985年、103分。
被爆40周年にあたり、『原爆の子』の新藤兼人(脚本)と「はだしのゲン」の山田典吾(監督)がコンビを組んで、平和を願いヒロシマを描いた作品です。スタッフ陣にも「未完の対局」で日本アカデミー美術賞を得た木村威夫、「東京裁判」の編集で芸術選奨に輝いた浦岡敬一をはじめ、ベテランが顔をそろえています。また、主題歌(作詩・作曲・歌)を小椋佳が担当しています。
学童疎開中に広島の原爆で母と姉、弟を失った体験をつづった主婦、木村靖子の同名小説を、新藤兼人が脚色。戦争への怒りを、親兄弟を失った子どもたちに、愛と豊かな心を持たせようとする教師を通して描く。出演は山口崇、菊崎志保、乙羽信子、橋本功など。スチールは中山章。プロデユーサー山田典吾、山田火砂子。
⑥「SOS こちら地球」62分 河野秋和監督 製作 共同映画系列会議 人形アニメーション 1987年 62分
⑦「いのちの岐路に立つ 核を抱きしめた国ニッポン国」原村政樹監督 企画・製作 映画「いのちの岐路に立つ製作委員会」 ドキュメンタリー 2017年 110分 語り 中村敦夫
110分で、日本の戦後の核政策をまとめた2017年の最新作。
占領下の報道管制のなか、開催された丸木夫妻の「原爆の図」展覧会、
ビキニ被ばくの漁船員が語る、いまの気持ち。
ナレーションは中村敦夫。
米朝会談後も、くすぶる日本の核配備論など、
続くシンポでは
本作の矢間秀次郎プロデユーサをお招きします。
ぜひ、ご参加を。
リンクは以下です。