この夏ドイツで上演されたオペラ「地震。夢」(Erdbeben. Träume)をご覧になった綾香レシュケ
今回は、フクシマとヘイト、私が研究している両方のテーマが扱われているオペラ「地震。夢」(Erdbeben. Träume)の紹介です。
3.11以後、相模原の事件を含めて、次々と信じられないようなことが起こってきましたが、なぜ傷ついた被害当事者の声が大多数の日本人には届かなくなっているのか、私たちはどこに立ち返ればよい...のか、このオペラを観て大切なことに気づかされました。
このオペラは、クライスト(Heinrich von Kleist)の短編小説『チリの地震』(1807年)を土台に、現在、ドイツ語圏で重要な文学賞を総なめにしている作家・マルセル・バイアー(Marcel Beyer)が台本を執筆、そして、ドイツ日本が誇る細川俊夫さんが作曲したものです:
https://www.oper-stuttgart.com/schedule/erdbeben-traeume/#E;
物語は、乳児の頃に両親を亡くした8歳の男の子・フィリップが、なぜ自分の両親が亡くなったのか、震災直後の荒廃した街の様子から、狭い避難所での被災者の暮らし、余震の恐怖、震災前から迫害されてきた両親たちが大勢の住民の手で虐殺されるまで、一連の経緯を夢に見て追体験するという形式をとっています。
今回、最も重要と言っても過言ではない、主人公・フィリップの役を(歌手としてではなく俳優として)演じておられた原サチコさんがFacebook上で「フクシマがテーマのオペラを日本の人々にこそ観て欲しい」といった趣旨の呼びかけをなさっておられたのを目にし、急遽、7月23日の最終公演のためにスイスからドイツのシュトゥットガルトへ行ってきました。
福島原発事故を社会学的・政治学的に研究してきた私が、今回、オペラという形で、巨大地震の破壊的な威力、被災した人々の避難所での鬱屈した心理、攻撃性を「芸術作品として観る」という貴重な体験ができました。オペラの結末は、悲しいかな、私の新しい研究テーマ「ヘイト」に大いに通ずるものとなりましたし…。
しかしながら、「楽しめた」、「感動した」などと簡単に言えないほど、私はすさまじい衝撃を受けました。終演後、あまりの衝撃で、笑顔では拍手することができず、私はしばらくずっと、思い詰めたような、泣き出しそうな、かなり険しい顔をしたままでいました。
もう数日前のことなのに、最後のシーンで原サチコさんの演じた「怒り」の演技が目に焼き付いて離れません。
なぜフィリップの両親は虐殺されなければならなかったのか?なぜ虐殺は食い止められなかったのか?原サチコさんは聴衆を睨みつけ、私たちに問うてきたのです。
さて、なぜ私がそれほど衝撃を受けたのか、何を考えたのか、少し長くなりますが、お話しましょう。
■原発避難者研究の今
今の日本においては、震災のトラウマがすっかり払拭されてしまったかのように、人々は復興とオリンピックに専心していますが、その影で、「みんな」と一つになれない人々はますます生きづらさを抱えています。
7月7日から8日にかけて、私は、明治学院大学で行われた原発避難者をテーマにしたシンポジウムに参加したのですが、私には特に、帰還困難区域から福島市内に移られた強制避難者の方が「夜、晩酌していると、つらいことが思い出される」と重くつぶやかれたことが印象に残りました。
日中、「みんな」と一つになって復興に向けて突き進んでおられる人々にも、彼らが抑え込んでいる震災、避難のトラウマ、故郷を失った苦しみ、怒りが、夜の蓋を開けて溢れ出してくる瞬間があるということなのだと私は理解しました。
彼らは、彼らのトラウマ、苦しみ、怒りをどこかで吐き出して、誰かと共有したりすることはないようですし、むしろ、そうすべきではないと思っているようです。
シンポジウム終了後、別れ際に、若い強制避難者の方が笑顔で私に「自分はまだ恵まれている方なので、弱音を吐いていられません。将来、福島の役に立てるよう、しっかりがんばります!」とおっしゃったのですが、私の目には、その笑顔がとても痛々しく映りました。
一方、ご自身の震災・避難のトラウマ、苦痛、怒りを重く受け止め、命を削って声を上げ続けている原発避難者の方々の声は、いまや、「自己責任論」の勢いに押され、日本に生きる人々の大多数、「みんな」には届かなくなっている状況にあります。
震災のトラウマを忘れてしまったかのように、復興へと、オリンピックへと、「みんな」と一つになってひたすら前に突き進んでいく人々たちは、どうすれば少しでも立ち止まってくれるのでしょうか?
正直、避難者の声を世に届けることに尽力し続けてきた私たち研究者たちも、もはやお手上げ状態にあるような気がします。
■ヘイトスピーチ関連のフィールドワークに関連して
扇動者の妄言を鵜呑みにした住民によって主人公の両親たちが虐殺されるシーンでは、日本でジェノサイドの可能性を真剣に指摘している弁護士の方、ヘイトスピーチの被害者の方々が頭をよぎりました。
7月の初め、私は、極右団体の幹部にもインビューしましたが、「みんな」と一つになろうとしない人々(極右団体からすれば、例えば、帰化しない在日朝鮮人)に対して、「みんな」と一つになることを強いる暴力にすさまじい無自覚であることは、程度の差はあれども、極右団体のみならず、あらゆる日本人の間にある問題だと再認識させられました。
ヘイトスピーチをするようなデモや街宣活動には参加せずとも、「みんな」と一つにならない人々、私たちマイノリティーを結局のところ快く思っていない人々、マイノリティーが排除されても構わない、自分の問題ではないと思っている人々が今の日本で、そして、世界でどれほど多いのか…。
私には、原サチコさんが演じた「未来に生きる子ども」が、そうした動向に危機感を抱いていても、結局のところ、現在のそうした動向を容認してしまっている私たちを激しく責めているのではないかと思えて仕方がなくなり、胸が苦しくなりました。
では、震災のトラウマを忘れてしまったかのように、復興へと、オリンピックへと、これまで通りひたすら前に進んでいくだけで、自身のトラウマ、生きづらさも押し殺し、「みんな」と一つになれない私たちマイノリティーを抑圧していることにも無自覚な人々たちに、少しでも立ち止まってもらうためにはどうすればよいのでしょうか?
■3.11という「私たちがもう一度やり直せるはずだった分岐点」
私には、3.11という「私たちがもう一度やり直せるはずだった分岐点」に立ち返るということも重要なのではないかと思うのです。
私は、既にドイツで勉強していたので、3.11を直接体験していませんが、オペラの中で地震のシーンを観たとき、地震を本当に追体験しているようでした。
原サチコさん演じる子どもの恐怖に歪む顔を見て、余計に恐ろしいと感じましたし、「あのときやはり、すさまじい出来事が日本で起こったのだ…」ということが改めて思い出されました。
実はこの、「すさまじい出来事だった」、「あれだけの出来事が起こった」、「もう日本はダメだと思った」という震災のトラウマ、誰もが共通して抱いた「なんで日本はこんなことになってしまったのだろう」という苦しさ、震災直後に実感した私たちの「弱さ」、「もろさ」に立ち返ることこそが、私たちマイノリティーのみならず、今なお復興やオリンピックに向けて専心している人たちを立ち止まらせ、「いや、私たちは3.11の後、生き方を変えたのだろうか」と疑問を抱かせることになるのではないかと思うのです。
芸術の力は計り知れないものです。
私たちは「もう一度やり直せるはずだった分岐点」としての3.11を逃しました。そのせいで、相模原の虐殺も食い止めることができなかったのだと思います。
しかしながら、このオペラは、3.11を追体験し、私たちの恐怖、苦しみ、弱さなど、鮮明な感情を再び抱かせてくれます。
是非、NHKクラシックなどで放映していただき、より多くの日本で生きる人々に観ていただきたいです。いや、本当は生で、日本のオペラハウスで上演される本物をご覧いただきたいです。
以上、久々に長い投稿となりましたが、オペラ「地震。夢」の紹介でした。写真はシュトゥットガルト歌劇場の公式ホームページから、A.T. Schaeferさん撮影のものを転載させていただきました:
https://www.oper-stuttgart.com/schedule/erdbeben-traeume/
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綾香レシュケさんは、このオペラを作曲した細川俊夫さんとはお知り合いとのことで、細川敏夫さんの思いを伝えてくださりました。
「彼はこのオペラを作曲するにあたって、再び福島に足を運び、作曲中、何度もスランプに陥り、初演一週間前に仕上げたそうです。本当に苦しんだそうです。彼は、脱被曝の人たちのこと、自主避難者のことにも多いに関心があります。 日本で公演が行われること、心から願っています。映像で見ることにも価値はあるとは思いますが、生で観ないと、私が味わったような衝撃は得られないと思います。」
いつか日本でも上演されますようにと願って、ご紹介させていただきました。