昨日は、私の参加していた、旧森林ボランティアの忘年会に参加してきた。
(残念ながら森林ボランティアの会としては昨年解散)
忘年会といっても、秩父の小鹿野町で山里の暮らしを選択実践している
仲間「きのこさん」の家での合宿である。
本当は土曜日からの集合で、一泊の予定だったが、私は二日目の朝から合流し
薪割りを楽しんできた。
ここでも出た話題は、やはり町の若者の仕事がないことである。
山里での暮らしを求めている若者もおり、「きのこさん」とも交流がある。
しかし、空いた畑を貸し出し補助金が出ても、野菜生産等を継続していくことも、
今や販路を工夫しなくては難しい。
また、地元に作られたバイクセンターや緑の村等の施設も沢山あるのだが、そこをを
拠点にし、山里の暮らしを体験できるような何らかのコミュニティ・ビジネスを作り出し、
有志ある若者が何とか生活できるような支援をしたい、という話が出ていた。
確かに、森林ボランティアの仲間のように、釣りを愛し、源流の清掃活動等に心と
体を動かす人も多い。
山里にしか残っていない資源や自然、またそこで生活している
人々の文化を残して生かしていくことは、切実な課題でもある。
(残念ながら森林ボランティアの会としては昨年解散)
忘年会といっても、秩父の小鹿野町で山里の暮らしを選択実践している
仲間「きのこさん」の家での合宿である。
本当は土曜日からの集合で、一泊の予定だったが、私は二日目の朝から合流し
薪割りを楽しんできた。
ここでも出た話題は、やはり町の若者の仕事がないことである。
山里での暮らしを求めている若者もおり、「きのこさん」とも交流がある。
しかし、空いた畑を貸し出し補助金が出ても、野菜生産等を継続していくことも、
今や販路を工夫しなくては難しい。
また、地元に作られたバイクセンターや緑の村等の施設も沢山あるのだが、そこをを
拠点にし、山里の暮らしを体験できるような何らかのコミュニティ・ビジネスを作り出し、
有志ある若者が何とか生活できるような支援をしたい、という話が出ていた。
確かに、森林ボランティアの仲間のように、釣りを愛し、源流の清掃活動等に心と
体を動かす人も多い。
山里にしか残っていない資源や自然、またそこで生活している
人々の文化を残して生かしていくことは、切実な課題でもある。