文殊仙寺←(2年前)の、宝筐印塔
遅くなりました。
天地人、天下分け目の関ヶ原の戦いでしたね~。
「ふたつの関ヶ原」
慶長5年9月15日、辰の刻。
太陽暦になおすと、
1600年10月21日、午前9時ごろ。
堺屋太一さんが、豊臣政権を現代の会社経営に置き換えて説明してくれています。
急成長企業、織田会社を、専務役だった秀吉が乗っ取り、衣替え。
そのため豊臣会社の生え抜きは少なく、織田会社から引き継いだ役員、吸収合併で加わった大株主が多かった。
カリスマ統率力を持つオーナー秀吉が亡くなると、不安定になる宿命を背負っていた。
5大老筆頭の徳川家康が副社長。
前田利家は専務。
毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝の3人は常務。
三成は、国政でいえば事務次官、企業でいえば本部長にあたる執行機関。
前田利家が亡くなると、家康が俄然勢いづきます。
これが、先週でしたね。
三成は、19万4000石の中堅大名なのですが、巨大プロジェクトを創り、260万石の徳川家康に立ち向かいます。
大義名分の明確化
スポンサーの獲得
象徴的人物のかつぎ出し
その知恵と才覚で、完璧といっていいほど見事なシナリオを書き上げた石田三成ですが、その最後の段階では次々とひび割れを生じてしまいます。
そこには現代にも通じる成功と失敗の微妙な分岐点が隠されているといえるでしょう。
そうなった最大の理由は、相手の徳川家康があまりにも巨大で、協力な兵力と長い実績を持っていたことでしょう。
関ヶ原合戦での徳川家康の勝利は、その後の日本の進路を決定づけました。
しかし、夢破れたとはいえ、石田三成は日本のプロジェクトメーキングのモデルケースを後世に残し、近代社会にも大きな影響を残したといえるでしょう。
堺屋 太一
さてさて、日曜日の天地人ですが、大谷吉継と、島左近がかっこよく描かれていましたね~。
関ヶ原合戦、人気武将ベスト10でも、1位は
「大谷吉継」
家康にかなわないと知りながら、三成のために利害損得抜きで、目も利かず、動くこともままならないのに出陣。
この人も、「義」というロマンの持ち主だったんですね~。
自分の首を埋めろというところは、じ~んときました。
そして、三成の家臣の
「島 左近」
よく言われるのに
「三成に過ぎたるものが二つある。
島の左近に佐和山の城」
三成が三顧の礼で召し抱えたそうです。
その主のために彼は最後まで戦い抜きました。
やはり、若林豪さん、かっこいいですね~。
そして、へたれなのが、
「小早川秀秋」
養子に出されたとはいえ、秀吉の甥っこですよね。
こっちのみ~ずがあ~まいよ~
もし三成が勝ったとしてもな~、それなら土地をもらったほうがいいか~家康恐いし・・・・。
みたいな。
とうとう、悩みながらも、裏切ってしまいましたね。
上地君、へたれ加減が良く出てました。
赤い陣羽織もちゃんちゃんこに見えてとってもお似合いでした。
来週は、兼続、壮絶な撤退劇ですね。
楽しみというよりも、やはり負け戦は見たくないですね~。
って、それ今日のカープの試合?
今日の私の小さな幸せ
毎日ハラハラさせてくれるカープに感謝だわ。