大相撲春場所(大阪場所)が終わりました。
私の記憶に残るであろうベスト3
(敬称略)
1 13日目にガラリと変わり盛り上がりへと
日を追うごとに星を落としていく周囲の中で、一人無傷の白鵬。
このまま13日目で優勝確定へと思われた空気を消したのは照ノ富士。
直接対決はその13日目、照ノ富士が勝った瞬間館内は騒然、興奮。
中継の解説者は名前を間違えてアナウンサーに訂正されるも気が付かず、走り去って行った。
そうだよね、アワワ アワワとなるよ、私だって家の中でオロオロしたわ、意味もなく。
そして翌日の展開含め千秋楽までの確定はまぬがれた、チケット持っていた人達は安堵、良かったね。
2 日馬富士に勝って欲しかった千秋楽結びの一番
ここんところずっと、日馬富士は白鵬に勝てない。
せめて、あっさりコロンとひっくり返されないで、と願っていました。
私の願いは叶って熱戦になり、一瞬いけるか!と思う場面もあったけど寄り切られた、
幕切れってこんな風に来るんだよね。
でもあの内容だったのはまだやれる?
体のあちこちケガだらけの満身創痍感に日馬富士の引退を心配しています。
遅れて来たファンの私ですが、あと一年は見ていたい。
勝っても負けても応援するよ~~。
3 一人休み、二人休み・・寂しさつのっていき、最後は四人の休場
初日に鶴竜の休場を知り、えっ!と驚きました。
残念に思っていたら次々に、隠岐の海、遠藤、安美錦まで。
話が逸れるけど、安美錦と聞いて私が思い出す一番はさんまさんの番組のビデオレター。
■TBS 『さんまのSUPERからくりTV』におけるコーナー「からくりビデオレター」に、安美錦の両親が2度も出演している。
1度目は入門当初で、2度目は入幕したときだった。しかも2度目の入幕時には、
父親が「横綱・貴乃花を最後に倒して引退させた」ことを、明石家さんまに自慢するという内容のものであった。
2度目のときは兄弟も揃って出演している。 (ウィキペディアより引用)
私はこれを見た記憶があります、たぶん1度目のほう。(あれ?入門当初で四股名ついてたのかな、じゃ2度目かな・・)
その後、名前を聞くたびに「あぁ、あのお相撲さん頑張ってるんだぁ」と思っていました。
あれからずいぶん長い月日が経った。
沢山の若者が入門しても関取になれるのはごく僅か、だからまだ幕内現役って凄いことだわ。
千秋楽に膝を痛めて立ち上がれなかった千代鳳。
横たわったまま顔を猛烈に歪めていました、誰かが何とかしようと体を押していたけどビクともしなかった。
力士にとって一番の強敵はケガなんだねぇ、あれだけ塩を撒いても現れる。
やい!オマエが一番休場せい>ケガ神
毎度のことながら千秋楽翌日はお相撲ロス、脱力状態。
あぁ、どうやって生きていこう・・と思うけど、まぁ何とかなるもんです。
喪失感は日々薄まって、翌場所を楽しみに生きていこう、となるもんですね、人は。
では、では、布団カバー・・・の番外編、カーテンを縫う
買ってあった生地を出し、水通し後乾かして裁断しようとしたら要尺が足りない、ガ~ン。
で、カーテンにしようと決めました。
小さい洋室ですが使っていないうちに物置と化している。
現在のカーテンは古くなり色あせてしまったから、ね。
一間幅の掃出し窓のカーテンを手縫いですよ、バッカみたいでしょ。
まぁ、でもとにかく縫い続けていれば何とかなるもんです。
まずは生地幅を繋げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d8/39fb4a13db1b91bf70a0f424cfc2a59e.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/15/baf25170be8c28c40cd6a7b010b7c110.png)
私の記憶に残るであろうベスト3
(敬称略)
1 13日目にガラリと変わり盛り上がりへと
日を追うごとに星を落としていく周囲の中で、一人無傷の白鵬。
このまま13日目で優勝確定へと思われた空気を消したのは照ノ富士。
直接対決はその13日目、照ノ富士が勝った瞬間館内は騒然、興奮。
中継の解説者は名前を間違えてアナウンサーに訂正されるも気が付かず、走り去って行った。
そうだよね、アワワ アワワとなるよ、私だって家の中でオロオロしたわ、意味もなく。
そして翌日の展開含め千秋楽までの確定はまぬがれた、チケット持っていた人達は安堵、良かったね。
2 日馬富士に勝って欲しかった千秋楽結びの一番
ここんところずっと、日馬富士は白鵬に勝てない。
せめて、あっさりコロンとひっくり返されないで、と願っていました。
私の願いは叶って熱戦になり、一瞬いけるか!と思う場面もあったけど寄り切られた、
幕切れってこんな風に来るんだよね。
でもあの内容だったのはまだやれる?
体のあちこちケガだらけの満身創痍感に日馬富士の引退を心配しています。
遅れて来たファンの私ですが、あと一年は見ていたい。
勝っても負けても応援するよ~~。
3 一人休み、二人休み・・寂しさつのっていき、最後は四人の休場
初日に鶴竜の休場を知り、えっ!と驚きました。
残念に思っていたら次々に、隠岐の海、遠藤、安美錦まで。
話が逸れるけど、安美錦と聞いて私が思い出す一番はさんまさんの番組のビデオレター。
■TBS 『さんまのSUPERからくりTV』におけるコーナー「からくりビデオレター」に、安美錦の両親が2度も出演している。
1度目は入門当初で、2度目は入幕したときだった。しかも2度目の入幕時には、
父親が「横綱・貴乃花を最後に倒して引退させた」ことを、明石家さんまに自慢するという内容のものであった。
2度目のときは兄弟も揃って出演している。 (ウィキペディアより引用)
私はこれを見た記憶があります、たぶん1度目のほう。(あれ?入門当初で四股名ついてたのかな、じゃ2度目かな・・)
その後、名前を聞くたびに「あぁ、あのお相撲さん頑張ってるんだぁ」と思っていました。
あれからずいぶん長い月日が経った。
沢山の若者が入門しても関取になれるのはごく僅か、だからまだ幕内現役って凄いことだわ。
千秋楽に膝を痛めて立ち上がれなかった千代鳳。
横たわったまま顔を猛烈に歪めていました、誰かが何とかしようと体を押していたけどビクともしなかった。
力士にとって一番の強敵はケガなんだねぇ、あれだけ塩を撒いても現れる。
やい!オマエが一番休場せい>ケガ神
毎度のことながら千秋楽翌日はお相撲ロス、脱力状態。
あぁ、どうやって生きていこう・・と思うけど、まぁ何とかなるもんです。
喪失感は日々薄まって、翌場所を楽しみに生きていこう、となるもんですね、人は。
では、では、布団カバー・・・の番外編、カーテンを縫う
買ってあった生地を出し、水通し後乾かして裁断しようとしたら要尺が足りない、ガ~ン。
で、カーテンにしようと決めました。
小さい洋室ですが使っていないうちに物置と化している。
現在のカーテンは古くなり色あせてしまったから、ね。
一間幅の掃出し窓のカーテンを手縫いですよ、バッカみたいでしょ。
まぁ、でもとにかく縫い続けていれば何とかなるもんです。
まずは生地幅を繋げます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/d8/39fb4a13db1b91bf70a0f424cfc2a59e.jpg)
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