MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『デリシュ!』

2022-10-12 00:57:40 | goo映画レビュー

原題:『Délicieux』
監督:エリック・ベナール
脚本:エリック・ベナール/ニコラ・ブークリエフ
撮影:ジャン=マリー・ドルージュ
出演:グレゴリー・ガドゥボワ/イザベル・カレ/バンジャマン・ラベルネ/ギヨーム・ドゥ・トンケデック
2020年/フランス・ベルギー

食事にとどまらないフレンチシェフの物語について

 『川っぺりムコリッタ』(荻上直子監督 2022年)は「骨壺映画」という以外は食事のシーンをふんだんに取り入れた作品で、それは荻上直子監督の作風でもあるのだが、個人的には食事のシーンに萌えるような感性が欠落しており、何の感慨も抱くことはない。
 本作はタイトルのせいもあってフランスの食事紹介の映画と誤解されそうなのだが、世界で初めてレストランを作った料理人の実話をベースに、1789年のフランス革命前夜頃の貴族の食事の状況、特に当時は土の中の作物は悪魔の産物と信じられていてトリュフが忌諱されていたというエピソードなどに驚くと共に、復讐譚などのサスペンスも含まれており、なかなか見応えのある作品だと思う。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-142120


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『川っぺりムコリッタ』

2022-10-11 00:54:52 | goo映画レビュー

原題:『川っぺりムコリッタ』
監督:荻上直子
脚本:荻上直子
撮影:安藤広樹
出演:松山ケンイチ/ムロツヨシ/満島ひかり/江口のりこ/柄本佑/田中美佐子/緒形直人/吉岡秀隆
2022年/日本

「骨壺映画」のあり方について

 『マイ・ブロークン・マリコ』(タナダユキ監督 2022年)や『アイ・アム まきもと』(水田伸生監督 2022年)も含めて本作を「骨壺映画」と呼びたくなるほどに、何故今日本映画において骨壺が「渋滞」しているのかよく分からないし、『マイ・ブロークン・マリコ』同様に主人公の山田たけしのバックグラウンドも父親との不仲という以外にはっきりしないものの、川辺に山のように積まれている電話の残骸によるディスコミュニケーションの暗示の中、冒頭でたけしが入居したアパートの自室で風呂上りに飲む一杯の牛乳が、やがてたけしの父親も同じような習慣を持っていたことが明らかになり、途中で大家の南詩織が癌で亡くなった夫の骨をかじったり、詩織が乗ったタクシー運転手が散骨の話をしたりしながら、たけしも父親の遺骨をハンマーで壊したりした挙句、最後にたけしの父親の葬式においてたけしが父親の遺灰を撒くシーンに至るまでの液体から固体に変化した「カルシウム」を何故かみんなが必死になって灰にすることで自然に還そうとする描写の仕方は、映画の面白さとは別に評価するべきだとは思う。
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https://news.goo.ne.jp/article/moviewalker/entertainment/moviewalker-1101840


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『アイ・アム まきもと』

2022-10-10 00:59:57 | goo映画レビュー

原題:『アイ・アム まきもと』
監督:水田伸生
脚本:倉持裕
撮影:中山光一
出演:阿部サダヲ/満島ひかり/宇崎竜童/松下洸平/でんでん/松尾スズキ/坪倉由幸/宮沢りえ/國村隼
2022年/日本

主人公の性格が歪んだ原因について

 『おみおくりの作法(Still Life)』(ウベルト・パゾリーニ監督 2013年)のリメイクで、ほぼ忠実らしく、もちろんラストのオチも同じなのだが、どうも個人的にはベタな感じしか抱けず、『おみおくりの作法』はイギリス・イタリアのヨーロッパの製作だから成り立っているわけで、日本人の気質に合うかどうかは微妙だと思う。
 主人公で市役所の「おみおくり係」として働く牧本壮が信号を無視してまで白鳥に夢中になるほどの動機があるかどうかも微妙なのだが、なによりも津森塔子を始め、蕪木孝一郎の関係者たちが牧本が葬儀に来ないことに誰もほとんど関心を抱くことなく、例え神代亨に「粘り勝ち」だと褒められたとしても余りにも牧本に冷た過ぎるのではないかと思う。死んでから感謝されてもねぇ、という感じ。
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『マイ・ブロークン・マリコ』

2022-10-09 00:59:11 | goo映画レビュー

原題:『マイ・ブロークン・マリコ』
監督:タナダユキ
脚本:タナダユキ/向井康介
撮影:高木風太
出演:永野芽郁/奈緒/窪田正孝/尾美としのり/吉田羊
2022年/日本

漫画原作への忠実さが仇となった映画について

 小学生の時からの幼馴染みであるイカガワマリコが自宅のアパートから飛び降り自殺をしたことをテレビのニュースでラーメンを食べている時に主人公のシイノトモヨが知ったのは2021年の11月。それを機にトモヨがマリコの実家から遺骨を強奪してマリコが生きたがっていた「まりがおか岬」に向かうというのがおおまかなストーリーである。
 原作の漫画ならば違和感がないのであろうが、実写となれば描写しなければならないシーンは増えると思う。例えば、トモヨとマリコはずっと連絡を絶やすことがなく、ラインでもマリコは秒で返信してくるにも関わらず、何故トモヨはマリコの死をテレビのニュースで知ることになるのかよく分からないし、小学生の頃からマリコは父親に虐待されていたのに、実家を出て26歳になってマリコが急に自殺に至ったきっかけもよく分からないのである。
 そもそも実の父親から彼女の遺骨を強奪するくらいの恨みがあるのならばマリコが虐待されていることを知っているにも関わらず、何故トモヨは(あるいはマリコ本人でも)成人してからでも公的機関に訴えでなかったのかという疑問も生じてしまう。
 個人的には、実はトモヨは同性愛者なのだが、自分が同性愛者であることを認めることができない人物で、マリコを失ってからようやく自分自身を認められるようになり、それがトモヨの原動力になったように感じる。
 主人公のトモヨを演じた永野芽郁の熱演で辛うじて救われている作品である。
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『バイオレンスアクション』

2022-10-08 00:57:32 | goo映画レビュー

原題:『バイオレンスアクション』
監督:瑠東東一郎
脚本:瑠東東一郎/江良至
撮影:高野学
出演:橋本環奈/杉野遥亮/鈴鹿央士/馬場ふみか/森崎ウィン/大東駿介/太田夢莉/佐藤二朗/城田優/高橋克典/岡村隆史
2022年/日本

「胸のもみ方」について

 簿記の専門学校に通う主人公の菊野ケイがラーメン屋を事務所としている超凄腕の殺し屋という顔も持つというストーリーには全く関係はないのだが、どうしても気になるシーンを取りあげてみたい。
 クライマックスにおいてケイがテラノが隠れている廃墟で騒動が勃発したきっかけはケイが背後から胸をもまれたことだったと思うのだが、何故か橋本の顔が映らないまま両手でもまれる胸だけがアップになっており、それが橋本環奈の胸だったかどうかはよく分からないのである。これは最近のコンプライアンス強化により本人の胸をもむシーンは不必要とされて代役が用意されたのだと思うのだが、観客は「非日常」を観にわざわざ映画館まで足を運んでいるのである。
 要するにこれは逆なのであり、橋本は本人のままで胸をもむ両手を女性の代役で撮るべきなのである。どうでもいい話といえばどうでもいい話で申し訳ないのであるが、そもそもエンターテインメントとは何かという観点をもう少し重視して欲しいと思うのである。決していやらしい意味じゃないから!
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https://news.goo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-144095


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『グッバイ・クルエル・ワールド』

2022-10-07 00:54:26 | goo映画レビュー

原題:『グッバイ・クルエル・ワールド』
監督:大森立嗣
脚本:高田亮
撮影:辻智彦
出演:西島秀俊/斎藤工/宮沢氷魚/玉城ティナ/宮川大輔/大森南朋/奥野瑛太/片岡礼子/モロ師岡/奥田瑛二/鶴見辰吾/三浦友和
2022年/日本

クズという「言い訳」について

 個人的には大森立嗣監督は作品によって出来不出来の差が激しいように思うのだが、本作はなかなかの酷さだと思う。
 例えば、クライマックスにおいてガソリンスタンドが爆発を目撃した浜田が急いで現場に向かう途中で、ガソリンスタンドの方から歩いてくる安西幹也と鉢合わせした際に、安西は浜田を持っていた銃で射殺してしまう。それはいいのだが(良くはないが)それまで安西は矢野大輝と坂口美流のコンビと銃撃戦をしていたのである。つまりガソリンスタンドの爆発に矢野と坂口が巻き込まれて安西は逃げてきたのかと思いきや、矢野と坂口は自分たちの車に乗っていて生き残っているのである。何が起こってそのような状況に至ったのか想像がつかないのである。
 あるいはオガタが矢野に腹部を刺されて床に倒れている蜂谷一夫を見つけて口封じのために射殺しようとするとスマホが鳴って電話に出た隙に、逆に蜂谷に銃殺されてしまうのであるが、拳銃を持っているならば蜂谷は何故矢野に刺された際に、矢野を撃たなかったのか不思議なのである。
 登場人物がどいつもこいつもクズであることが映画がクズであることのエクスキューズにはならないと思うのであるが、さらに本作が見舞われた悲劇は同時期に同じジャンルの傑作作品『ヘルドッグス』(原田眞人監督 2022年)が公開されてしまっていることである。
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『ヘルドッグス』

2022-10-06 00:59:45 | goo映画レビュー

原題:『ヘルドッグス』
監督:原田眞人
脚本:原田眞人
撮影:柴主高秀
出演:岡田准一/坂口健太郎/松岡茉優/MIYAVI/北村一輝/金田哲/村上淳/大竹しのぶ
2022年/日本

R12指定のジャニーズ事務所製作の作品について

 主人公の兼高昭吾が潜入捜査官として警視庁の下で働くきっかけとなった理由が、その後の兼高の言動からは想像がつかない程にロマンティックなことろが気になるといえば気になるのだが、岡田が主導したらしいアクションシーンや、後半になって隠れていたアンダーカヴァーたちが仕掛ける怒濤の攻撃の先で行なわれる組のテッペンの取り合いが、前作『燃えよ剣』(2020年)同様に理解できるかできないかのギリギリのモンタージュで描かれており、多少セリフが聞きづらいとしても補って余りあるものに仕上がっていると思う。
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『“それ”がいる森』

2022-10-05 00:57:41 | goo映画レビュー

原題:『“それ”がいる森』
監督:中田秀夫
脚本:ブラジリィー・アン・山田/大石哲也
撮影:今井孝博
出演:相葉雅紀/松本穂香/上原剣心/江口のりこ/眞島秀和 /宇野祥平/松浦祐也 /酒向芳/野間口徹/小日向文世
2022年/日本

ジャニーズ事務所製作映画の傾向について

 中田秀夫監督作品だからホラー映画だと思って観に行ったのだが、敢えてぼかして言うならば本作はホラー映画ではなく「ウルトラQ」の類の作品だった。
 ジャンルの違う作品を撮ることが悪いわけではなく、それはもちろん監督の勝手ではあっても、せめて面白いものを見せて欲しかったと思うのであるが、2022年の2月頃に起こったこの奇妙な事件はとても大人の観賞に堪えないもので、知性が高いであろう生き物が「オレンジジュース」アレルギーというオチに呆れてしまう。
 しかしこれはもしかして『TANG タング』(三木孝浩監督 2022年)同様に子供向けに制作されたものだとして、同じ「嵐」というグループのメンバーが主演でもありジャニーズ事務所の方針であるならば、それならばそれで納得せざるを得ないのではある。
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https://news.goo.ne.jp/article/eiga_log/entertainment/eiga_log-147936


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『TANGタング』

2022-10-04 00:56:07 | goo映画レビュー

原題:『TANG タング』
監督:三木孝浩
脚本:金子ありさ
撮影:石坂拓郎
出演:二宮和也/満島ひかり/市川実日子/小手伸也/奈緒/京本大我/山内健司/濱家隆一/野間口徹/利重剛/景井ひな/武田鉄矢
2022年/日本

映像だけは妙にきれいな作品について

 冒頭から何となく違和感はあったものの、大目に見ていたら、タングと一緒に中国に行った主人公の春日井健に対して中国の研究所でロボットを研究している大槻凛がロボット工学の第一人者として馬場昌彦を紹介するのである。ところが馬場は既に「ロボット業界」ではいわくつきの人間であり、そのことは凛も知っていなければならない立場であったはずである。ストーリーが破綻しているとしか言いようがない。クライマックスの健と馬場の「泥仕合」も酷過ぎる。
 しかし本作が子供向けの映画であるのならば、終始つきまとう違和感は解消されるかもしれない。子供が見るならばタングを狙う謎の組織に所属する凸凹悪役コンビとしてかまいたちがキャスティングされているのも納得できるし、春日井健と妻の絵美がキスどころか、久しぶりの再会であっても抱擁さえしないことも納得はできるのである。
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/news1242/trend/news1242-379291


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『フラニーとゾーイ』

2022-10-03 00:59:56 | Weblog

 J・D・サリンジャーの『フラニーとゾーイ』に関して、小谷野敦の『聖母のいない国』(河出文庫 2008.8.20)の議論を取りあげながら考察してみたい。

 小谷野は『聖母のいない国』の「サリンジャーを正しく葬り去ること」という章で『フラニーとゾーイ』を扱っている。小谷野は「フラニー」を以下のようにまとめている(『フラニーとゾーイ―』は新潮文庫の野崎孝訳を引用する)。

「フラニーのデート相手である、別の大学(英文科? 英文科の学生がフロベールについて書くか?)の四年生か院生のレーン・クーデルという男は、自分のフロベールに関するレポートに『A』がついていたということをさりげなく自慢し、教授がそれを活字にすべきだと言っている、と言いながら、フロベールに関する評論で切れ味のいいものなんか一つもない、と放言するのである。実のところ、こういう『生意気』な放言を男子学生がするのは、べつだん珍しいことではない。けれど、フラニーはこれが癇に触って、まるであなたは特研生(セクション・マン)みたいだ、と言いだす。これは彼女の大学で、教授がいない時に代わって授業をやる学生で、彼らは『すごい秀才』で、トゥルゲーネフを散々こきおろした後で、自分が修士論文のテーマにしたスタンダールの話を始めたりするという。フラニーは言う。『学を鼻にかけたり、えらそうにこきおろしをやったりする人たちにはもううんざり。悲鳴が出そうなくらい』(引用は野崎訳による)」(p.68-p.69)

 しかし小谷野は無視しているのか読み飛ばしているのか定かではないのだが、フラニーとレーンの感情の齟齬はそれ以前にあると思う。
 フラニーはレーンに再会する前に手紙を出している。「手紙は水色で便箋に書かれて ー といってもタイプで、書かれていた。何度も封筒から取り出されて、何度も読み返されたものとみえて、こなれてくたびれている」(p.9)。再会後にもフラニーは手紙が届いたかどうかレーンに確認している(p.14)。
 それから二人は一時間後に、シックラーという、ダウンタウンのあるレストランの、わりあい人群れから離れたテーブルに座って話し始める(p.16)。
 フラニーは事前に手紙でレーンに頼んでいたことがあった。「超男性的(super-male)で寡黙(は、これでいいのかな?)になるときのあなたは、わたし大きらい。本当は嫌いというんじゃないんだけど、わたしって黙ってる強い男性(strong, silent men)ってものには体質的に反撥しちゃうのよ。といったって、あなたが強い男性じゃないというのではありません。分かってくださるわね、わたしの言う意味(p.10)」
 ところが「レーンは、たっぷり十五分間かそこらひとりで喋り続けたあげく、いよいよ調子づいてきて、その調子のままに喋っていれば絶対にへまをやる気遣いはないと思い込んでるとでもいうか、そんな感じで喋っていた。『つまり、露骨に言ってしまえばだね』と、彼は言った『彼に欠けているのは、男根的本質(testicularity)と言っていいと思うんだよ。分かるだろう、僕の言う意味?』彼は、グラスの両側に置いた腕で身を支えるようにして、おとなしく謹聴しているフラニーの方へ、カッコよく崩した身体を乗り出している。
 『何が欠けてるんですって?』と、フラニーは言った。一度咳払いしてからでないと、声が出なかった。それほど長く口を開かなかったのである。
 レーンはためらった。そして『男性的本質(Masculinity)さ』と、言った。
 『さっきはそうじゃなかったみたい』
 『とにかくだね、リポートのテーマは、言ってみればまあ、そういうことなんだな ー そいつをぼくは、なるべく婉曲な形で表現しようとしたんだ』自分の話にすぐ立ち戻って、彼はそう話し続けた『いや、ほんとなんだよ。ぼくとしちゃ、あんなリポートは鉛の気球でてんで上がりっこないと、しんからそう思ってたんだ。ところが、戻ってきたのを見たら、でっかい”A”の字がべったりとついているじゃないか。ぶっ倒れるとこだったよ、まったく』(p.17-p.18)」
 レーンはフラニーが手紙で頼んでいたことを完全に忘れており、レストランで会話を始めて早々にやらかしているのである。だからフラニーはレーンのスノッブ的な振る舞い以前に、婉曲な形で表現することもないレーンの思いやりの無さに失望しているのだと思うのである。

 小谷野の本章の結論を引用してみる。

「『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』や『シーモア ー 序章』でその先を模索しようとしたサリンジャーは、遂にシーモアの影の下から脱することができなかった。私は結局、六〇年代から七〇年代にかけて、学生運動の時代を支配したサリンジャー人気は、政治と社会から逃亡した若者たちの、ウィットと謎に満ちた会話や文体、風俗を巧みに織り込んだ膨大な固有名詞や細々した普通名詞から成る文章と、その背後に隠された『自殺』の謎といった組み合わせが受けただけであって、五三年に『隠遁』し、六五年に最後の作品を残して沈黙したサリンジャーは、ほんらい『戦争と平和』や『アンナ・カレーニナ』を書いた後のトルストイのように、『懺悔』すべきだったと思う。その後に米国文学を『ガキの小説』(丸山健二)にしてしまった責任の多くは、サリンジャーにあるのだし、日本で庄司薫や柴田翔のような『小亜流』の後、村上春樹のような『大亜流』を生み出したのも、批評家がきっちりサリンジャーの宗教理解の浅薄と非社会性を批判しなかったからである。私は今回サリンジャーを読み返してみて、あの八〇年前半の、『オシャレに深刻な問題を語る』というモードを思い出して、すっかり不愉快になってしまったようだ。(p.84-p.85)」

 確かに最後に発表された『ハプワース16、1924年』がサリンジャーの構想通りに上手く行っているとは思えないし、構想の壮大さにサリンジャーの才能が追い付かずサリンジャーが沈黙したまま亡くなってしまたということはあるものの、『謎ときサリンジャー 「自殺」したのは誰なのか』(竹内康浩・朴舜起共著 新潮選書)で批評家によって謎が解かれたことにより、小谷野敦のみならず庄司薫や村上春樹の読みが浅いことが証明されたのである。そもそも「誤読」されたことに対して作者が「懺悔」する必要があるだろうか?

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/otocoto/entertainment/otocoto-otocoto_66475


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