1953年に発表された「バナナフィッシュにうってつけの日(A Perfect Day for Bananafish)」のラストで主人公のシーモア・グラースが自殺したことから「グラス家(Grass Family)」の物語は始まり、本著はその謎解きを試みたものであるが、論理の説得力に全く問題はないものの、これは原作で読まなければ分からないのではないかと思った。
例えば、「バナナフィッシュにうってつけの日」が冒頭を飾る『ナイン・ストーリーズ(Nine Stories)』のラストを飾るのは「テディ(Teddy)」は「グラス家」とは関係ないものの、主人公で10歳のシオドア・”テディ”・マカードルが教育学者のボブ・ニコルソンとのヴェーダンタ哲学の輪廻説などを中心に議論を繰り広げるのだが、ラストは「バナナフィッシュにうってつけの日」ど同様にテディが本人の予言通り空のプールに落ちて亡くなるという結末で終わり、二作品は対になっているのである。
ところが本書の「テディ」の冒頭は以下のように訳されている。
「お前を最高の日にしてやるぞ、バディー」ー 短編「テディー」は、この文法的に破格な一文で始まる。「最高の日」を意味する”exquistie day”は名詞句だが、ここでは”you”を目的語とする動詞と化している。主人公の少年テディ―に向けて父親が発したこの一風変わったセリフは、私たちの議論に刺激的ではあろう ー 『少年の名はテディーなのに、バディーと呼びかけられている。ここにもバディーがいるようだ』とか、『サリンジャーの定型破壊は、ついに文法にまで及んだか』とか、さまざまな感想が浮かぶかもしれない。
しかし『テディ―』冒頭の奇妙な一文でなにより目にとまるのは、読み飛ばさないでと言わんばかりに異化された(動詞化された)『最高の日』という言葉であろう。それは、あの”Perfect Day”(うってつけの日)と同じ意味と言ってよい。」(p.107)
例えば同じ場面を野崎孝は以下のように訳している。
「快適な日もクソもあるか、坊主、たった今その鞄から降りないと、ひどい目に会うぞ。」(新潮文庫 p.250)
さらに柴田元幸は以下のように訳している。
「なぁにがうららかな日だ、今すぐ鞄から降りないとただじゃ済まんぞ。」(ヴィレッジブックス p.266)
原文も引用しておく。
「I'll EXQUISITE DAY you, buddy, if you don't get down off that bag this minute. And I mean it," Mr. Moardle said.」(『NINE STORIES』 J.D. Salinger Little, Brown and Company Edition First LB Book mass market paperback edition: May 1991 p.166)
誤訳とは言わないがサリンジャーの言葉の使い方の細かさが伝わらないのは明らかで、今まで何を読んでいたのだろうと思わせる謎解きなのである。
gooニュース
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