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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

「糸巻きの聖母」について

2016-03-11 22:05:25 | 美術

 江戸東京博物館で催されている『レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦』で傑作の誉れが高い

「糸巻きの聖母(Madonna dei Fusi)」を見ることが出来る。

 左の作品がレオナルド・ダ・ヴィンチの作とされる「糸巻きの聖母(バクルーの聖母)」で、

右の作品が同時に展示されているスコットランド・ナショナル・ギャラリーが所蔵する

レオナルド派の「糸巻きの聖母」である。個人的に気になる点は聖母マリアの描き方である。

右の描き方が通常の描写であるならば、左の作品の聖母マリアは平べったく描かれている上に、

CGで歪めているように見えるのである。それが現代にも通じるレオナルド・ダ・ヴィンチの

鋭い感性のなせる技ではないのだろうか。

 因みに平日でも「糸巻きの聖母(バクルーの聖母)」を見るだけで並んで20分程を要するから

下の写真のように簡単に観ることはできない。


(毎日新聞 2016.3.11)


(毎日新聞夕刊 2016.3.23)


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『夜叉』

2016-03-10 00:53:32 | goo映画レビュー

原題:『夜叉』
監督:降旗康男
脚本:中村努
撮影:木村大作
出演:高倉健/田中裕子/田中邦衛/大滝秀治/小林稔侍/寺田農/下條正巳/いしだあゆみ
1985年/日本

見かけでは分からない「本物の夜叉」について

 言われているほどストーリーが悪いとは思えない。主人公の修治は冬子と結婚するために15年前にヤクザ稼業から足を洗い、冬子の父親の勧めで大阪のミナミから日本海の小さな村へ引っ越し、漁師として働くことになり3人の子供にも恵まれ、幸せな暮らしを送っていたのであるが、その村に螢子という女性が呑み屋を開いたことから村の雰囲気が変わってくる。
 螢子には矢島という「ヒモ」がおり、矢島が賭けマージャンを始め、覚醒剤を村の漁師たちに売り出したのである。矢島との関わりから、やがて修治は螢子と不倫の関係に陥ってしまう。そんな時、覚醒剤の代金の未払いでヤクザに捕まった矢島を救うために修治がかつて関わっていた組に乗り込み、弟分だったトシオの手助けもあって矢島を救い出すのであるが、矢島はトシオに刺されて殺されていた。生活していくためには兄弟の契りよりも組織が優先されるという現実に修治は驚きを隠せない。15年という年月の中でヤクザの仁義が変わっていたことに修治は全く気がつけなかったのである。
 だからそんな修治が、父親の啓太が病気であることを知って村に戻って来た彼の息子の秀夫に対して、そんなことで帰ってくるなと叱ったり、ラストで東京の新宿のレコード店に勤めだした秀夫から「毎日が楽しくてしかたがありません。青春は素晴らしいと思いました」という手紙を啓太を介して受け取るシーンは強烈な皮肉として効いていると思うのであるが、本作において決定的に物足りないことがある。それは修治を演じた高倉健と螢子を演じた田中裕子のラブシーンである。堅気になった修治が敢えてミナミに戻った理由は、螢子を愛してしまったためであるが、2人のラブシーンにおいて修治の螢子に対する愛欲が全く感じられないのである。はっきり言うならば下手なのは高倉健の濡れ場の演技であり、矢島の子供は流産してしまったが、その代わりに何も言わず息子と共に村を去る電車の中で修治の子供を身ごもったことを知りほくそ笑む、田中裕子が演じた螢子こそ「本物の夜叉」だったのである。


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『ダイヤモンドの犬たち』

2016-03-09 00:13:48 | goo映画レビュー

原題:『Killer Force / The Diamond Mercenaries』
監督:ヴァル・ゲスト
脚本:ヴァル・ゲスト/マイケル・ウインダー/ジェラルド・サンドフォード
撮影:デイヴィッド・ミリン
出演:テリー・サヴァラス/ピーター・フォンダ/ヒュー・オブライアン/クリストファー・リー
1976年/アイルランド・スイス・アメリカ

2つのタイトルと2つのエンディングの関係について

 アメリカでは「Killer Force(壊滅的暴力)」というタイトルがイギリスでは「The Diamond Mercenaries(ダイヤモンド目当ての傭兵たち)」となっている。タイトルに沿って想像してみるならば、私が観た「The Diamond Mercenaries」はラストでブラッドリーとクレアがヘリコプターで逃げ切るというラストが相応しく、「Killer Force」ならば、ポスターの惹句「They were professionals who killed for hire. But the man who hunted them killed for pleasure!(彼らは雇われて殺したプロだったが、彼らを追跡したその男は快楽のために殺した!)」通りにウェッブを指しており、2人が乗ったヘリコプターを撃ち落とすラストが相応しいであろう。
 YouTubeにアップされている『Killer Force』の予告編にもウェッブがヘリコプターを撃ち落とすシーンが映っているのであるが、何故か原板が紛失しているようで、日本版のDVDにしか別ヴァージョンが収録されていない。英語版のウィキペディアにはこの件に関して何も書かれておらず、どうしてこうなってしまっているのか原因は分からないままである。


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『華麗なるギャツビー(1974)』

2016-03-08 00:09:00 | goo映画レビュー

原題:『The Great Gatsby』
監督:ジャック・クレイトン
脚本:フランシス・フォード・コッポラ
撮影:ウィリアム・アザートン
出演:ロバート・レッドフォード/サム・ウォーターストン/ミア・ファロー
1974年/アメリカ

 脚本家以上に制作費によってニュアンスが変わる作品について

 貧しい身分から戦争で功績を残し成り上がって大富豪になった主人公のジェイ・ギャツビーは一人の女性を想い続けており、彼女のために頑張ったようなものなのであるが、それは近所で自動車修理工として働いているジョージ・ウィルソンも同様で、妻のマートルを自宅に監禁してまでも自分のものにしておきたかった。
 そして2人の類似性はそれぞれの女性に関しても同様で、それは自動車事故で明白になる。マートルはジョージから逃げ出そうとした際に、ギャツビーが乗っていたピンクの自動車に轢かれるのであるが、その自動車はデイジー・ブキャナンが運転していたのである。しかしデイジーは真実を公にすることはなく、誤解したまま夫のトム・ブキャナンが告げたことを鵜呑みにしたジョージは、本来であるならば同じ身分で同じ立場のギャツビーを銃殺してしまうのであり、そこに「蛙の子は蛙」という人生のアイロニーを感じるのである。
 『華麗なるギャツビー』(バズ・ラーマン監督 2013年)においてはデイジー・ブキャナンの冷酷さが目立ったが、フランシス・フォード・コッポラが脚本を担っている本作は、出自から逃れることの厳しさが目立つように感じた。


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『パトリオット』

2016-03-07 00:48:59 | goo映画レビュー

原題:『The Patriot』
監督:ローランド・エメリッヒ
脚本:ロバート・ロダット
撮影:カレブ・デシャネル
出演:メル・ギブソン/ヒース・レジャー/クリス・クーパー/チェッキー・カリョ
2000年/アメリカ

巧みな戦略の再現よりもヒーローの活躍を優先させる映画監督について

 アメリカ独立戦争を描いた本作は意外と出来は良いのであるが、クライマックスの銃撃戦には違和感を持たざるを得ない。作品前半で主人公のベンジャミン・マーティンの長男のガブリエルを捕えて、さらに兄を助けようとした次男のトーマスを銃殺して去っていたイギリス軍のウィリアム・タヴィントン大佐に復讐しようとベンジャミンは三男のネイサンと四男のサミュエルと共に先回りし、2人の息子にアドバイスし、複数の銃を森の中にあらかじめ仕込んでおき、長男を引き連れたイギリス軍をたった3人で壊滅させて長男を救出できたからである。
 だからクライマックスのカウペンスの戦いでアメリカ軍とイギリス軍が対戦する際に、例えば、織田信長が1575年の長篠の戦いにおいて試みた「三段撃ち」をしないことに違和感を持つのである。「三段撃ち」はオランダ総督のマウリッツ (オラニエ公)が行なった軍事革命の一つでもあるのだが、約200年後の独立戦争でどうして「三段撃ち」を再現しなかったのか理解に苦しむ。
 しかしだからと言って、エメリッヒ監督の演出が悪いとも思えない。ベンジャミンがタヴィントン大佐を撃とうとした時に、背後で爆発があり、狙いが逸れてタヴィントン大佐を負傷させたが殺すまでに至らなかったという細かい演出が施されているからで、つまりヒーローが映えるためには、巧みな戦略を忠実に再現するよりも多少の「稚拙さ」がなければならないということなのである。


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『ヘイトフル・エイト』

2016-03-06 00:08:19 | goo映画レビュー

原題:『The Hateful Eight』
監督:クエンティン・タランティーノ
脚本:クエンティン・タランティーノ
撮影:ロバート・リチャードソン
出演:サミュエル・L・ジャクソン/カート・ラッセル/ティム・ロス/ジェニファー・ジェイソン・リー
2015年/アメリカ

「正義」と「西部の正義」の違いについて

 さすがタランティーノ監督作品だけあって上映時間168分の、ほとんどがミニーが営む小屋の中のシーンだけで成り立っているにも関わらず、観客を飽きさせないダイアローグが素晴らしい。
 絞首刑執行人のオズワルド・モブレーが語る「正義(justice)」と「西部の正義(frontier justice)」の違いが興味深い。本来、被害者こそが加害者を罰するべき(=西部の正義)ではあるのだが、それでは憎しみの連鎖が止まらない。そこで第三者として絞首刑執行人が間に入って被害者に成り代わって被害者を処刑する(=正義)のである。
 しかしそれはあくまでも事件を客観的に見られる場合に限られるのであって、ラストの新任保安官のクリス・マニックスやマーキス・ウォーレンとデイジー・ドメルグとの銃撃戦の最中、「正義」について考える余裕など全く無いまま何らかの決着をつけるしかない。
 だから「正義」というものが存在するとするならば、例えば、マーキス・ウォーレンが持ち歩いていたエイブラハム・リンカーン大統領の私信のように、いかにも「かのように」というもっともらしさの中にしか存在しないのである。


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「Born Free」 M.I.A. 和訳

2016-03-05 00:05:28 | 洋楽歌詞和訳

MIA - Born Free (OFFICIAL AUDIO)

 『ディーパンの闘い』(ジャック・オーディアール監督 2015年)を観ていたら、

M.I.A.が2010年にリリースした「Born Free」のミュージックヴィデオを思い出した。

以下、和訳。

「Born Free」 M.I.A. 日本語訳

人間が権力を作り出し
(バベルの?)塔のようにますます高く屹立し周りを見回す
あなたは高みに行けば行くほど気分は落ち込んでいく
私が人目につかないようにいられることの限界が迫ってきた
地面に鼻を近づけると私は自分が発している音が分かった

私は明日のインタヴューを自分自身に問いかけた
私は安物のジャケットで身を覆った

車が動かないから私はここから出られない
私は明日のために生きたくなんかないの
私は今日に自分の人生を注ぐ
私があなたに会う時は
これをあなたの顔に投げつけてやる
私があなたを見つけたならば
このくだらないものをあなたの顔に投げつけてやる
だって私には言わなければならないことがあるのだから

私は何にも囚われずに生まれてきた
私は何にも縛られずに生まれてきた

あなたならばもっと幸せになれる方法を見出す努力ができるはず
あなたは結局エチオピアのどこかに落ち着くことになるのかもしれない
あなたは考え方次第で野望を抱くこともできるけれど
ユートピアを発見するまでには至らないだろう
人生を“一かじり”すれば人生は活性化する
退屈な毎日が“超現実的”になる

だから私は厄介な問題を調べてみる
だって私は想像以上に生意気なのだから
そして(チェコスロバキアが“チェコ”とスロバキアに分かれたように)
私は小切手(=“チェック”)を切るのよ

私は明日のために生きたくなんかないの
私は今日に自分の人生を注ぐ
私があなたに会う時は
これをあなたの顔に投げつけてやる
私があなたを見つけたならば
このくだらないものをあなたの顔に投げつけてやる
だって私には言わなければならないことがあるのだから

私は何にも囚われずに生まれてきた
私は何にも縛られずに生まれてきた

私はお金の話をしたくはないの
だって私はお金を持っているのだから
私は娼婦の話をしたくはないの
だって私がそうなのだから
私はあんな詐欺師になりたくはないけれど
あなたには詐欺ができるんでしょう?
模造者たちよ
正直に言いなさいよ!

神よ
あなたが誰であろうと
どこにいようと表に出てきて
奴らに説教しなさいよ!

私は何にも囚われずに生まれてきた
私は何にも縛られずに生まれてきた


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『ディーパンの闘い』

2016-03-04 00:45:28 | goo映画レビュー

原題:『Dheepan』
監督:ジャック・オーディアール
脚本:ノエ・ドプレ/トーマス・ビデガン/ジャック・オーディアール
撮影:エポニネ・モメンソウ
出演:アントニーターサン・ジェスターサン/カレアスワリ・スリニバサン/カラウタヤニ・ヴィナシタンビ
2015年/フランス

ラストカットのヒロインの左手について

 主人公のディーパンはスリランカの内戦で反政府の兵士として戦っていたが、完敗の憂き目に遭い、拾ったと思われるある家族のパスポートに合わせるように、イギリスに住む親戚を頼るために出国したいと思っていたヤリニを「妻」に、内戦で両親を失っていた9歳のイラヤルを「娘」に見立ててフランスへ移住する。
 この疑似家族を引き連れてディーパンはパリの郊外で団地の管理人の仕事を得て、ヤリニは高給の見返りにある男の身の回りの世話をするようになり、最初はいじめられていたイラヤルも学校に慣れてきた頃に、団地を牛耳っていた麻薬の密売人たちの抗争が激しくなってくる。
 そしてついにヤリニがその抗争に巻き込まれ、ディーパンに助けを求めた時に、元兵士だったディーパンが本気になり、「本物」の兵士の前ではただのチンピラでしかなかった麻薬の密売人たちが簡単にやられてしまうその呆気なさが面白い。
 ところでラストシーンなのであるが、ディーパンとヤリニは2人の間に生まれたと思われる赤ん坊も連れて、家族でパーティーに呼ばれている。そしてラストカットではディーパンの頭に置かれているヤリニの左手が映されるのであるが、その薬指には指輪がないのである。それはあくまでも自分たちは「疑似家族」であり、疑似家族だからこそ家族として上手くいっているというアイロニーと捉えるべきであろう。


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「This Must Be The Place」 Talking Heads 和訳

2016-03-03 00:37:24 | 洋楽歌詞和訳

Talking Heads - "This Must Be The Place" (1983) (Official Vinyl Video)

 トーキング・ヘッズ(Talking Heads)が1983年にリリースした「This Must Be The Place」

というシングルのヴィデオ・クリップを観た人が何人いるのか定かではないが、たまたま

デヴィッド・バーン(David Byrne)のソロコンサートのヴァージョンを動画で観てみたら

映像を観た後に全員で演奏するというヴィデオ・クリップの内容を上手くアレンジして

パフォーマンスしていたので、相変わらずのセンスの良さを感じた次第である。以下、和訳。

「This Must Be The Place」 Talking Heads 日本語訳

僕が居たい場所は家なんだ
僕を元気づけて回復させて欲しい
僕は何も感じない
心臓が弱いままに生まれてきた
僕は楽しまなければならないと思うんだ
僕たちは言葉を交わすことが少なくなればなるほど
ますます上手くやっていけるようなんだ
大地を踏みしめて
空の方を向けば
悪いことなどなくなると僕には分かっているんだ

僕にはたくさんの時間があり
君の瞳は輝いて
君は僕の隣に立っている
僕は時が経つことを愛している
決してお金のためではなく
いつも愛のために
身を覆っておやすみを言う

僕が居たい場所は家だけれども
僕は既に家にいるんだ
僕は家に帰ってきて彼女は翼を広げた
この場所に間違いないと思う
僕は次々と言葉が出て来ない
僕が君を見つけたの?
それとも君が僕を見つけたの?
僕たちが生まれる前から時間はあった
もしも誰かが訊ねるならば
ここが僕の居る場所だと答える

僕たちは当て所なく漂流する
あらゆるタイプの人たちが僕に向かって歌ってくる
君は賢く見える
僕は家では裸でいる
ほんの少しだけでも同じ場所を共有しよう
僕の心臓の鼓動が止まるまで君は僕を愛する
僕が死ぬまで君は僕を愛する
光輝く瞳が君をじっと見ている
穴が開いている箇所を覆って
僕の頭を殴って目覚めさせて欲しい

Talking Heads - This Must Be the Place (Naive Melody) (Official Video)


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「Kids」 Kylie Minogue & Robbie Williams 和訳

2016-03-02 00:05:04 | 洋楽歌詞和訳

Kylie Minogue and Robbie Williams - Kids (Official Video)

 カイリ―・ミノーグは日本では「懐かしい」ミュージシャンになってしまったが、海外では

相変わらずの人気で、ここではロビー・ウィリアムズとのデュエット曲「キッズ」を和訳しておく。

「Kids」 Kylie Minogue & Robbie Williams 日本語訳

私は泡のように儚いものではないの
僕はタバコの吸いすぎでタール塗れだ
私はあなたがいる場所までゆっくりと進んでいく
君と僕が親しいことをはっきりさせておくよ
だって君はなかなか戻ってこないから
私は『バック・イン・ブラック(Back in Black)』を聴くようになってから
性に目覚めている
(AC/DC とカイリー・ミノーグは同じオーストラリア出身)

僕たちは完璧に仕上がるまで着実に描いていくけれど
子供たちのためならそうすることは気にならない
だからここに来て
ボードを踏み台ににして時流に乗ろう
(あなたなら大丈夫)
ボードで踏み出せば高揚感を得られる
だって子供たちは心配いらないのだから

あなたは噂の人
それは試してみることができると思う
あなたは取締役会長と一緒に踊っている
僕の12のシリンダーの音の調和に乗っていこう
でももしも君が他に予定があるのならば......
女性の目的は彼氏を愛することなのよ

僕は僕の全ての愛を捧げるよ
僕の全ての愛を取りまとめてね

天井から降りてきてよ
僕はこんなに高揚するつもりはなかったのに
私の唇が渇いている間は
私は自分がしたいことができなかった
君は僕の元から立ち去ることはできないよ
僕はバンドのヴォーカルなんだ
私はドラマーが好きだからあなたは私のタイプではないのよ

僕の肩書きは“1974年生まれのショーン・コネリー”
独力で一財産を築いた数少ない男
レコード会社が僕をクビにする機会さえない
マスコミは僕がゲイかどうか訊ねてくるけれど
そんなことは知らないよ
たぶん僕は一途な一夫一婦婚を求めているんだ
ビリー・コノリー(イギリスのミュージシャン)のようには見えない鳥もいるけれど
今の僕は鳥類学者として名前が載っている
(カイリー・ミノーグが1980年代に彼女の身なりから
“歌うセキセイインコ(= Singing Budgie)”と呼ばれていたから?)
君の双眼鏡を持って
僕の後についておいでよ


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