MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『エヴェレスト 神々の山嶺』

2016-03-14 00:46:53 | goo映画レビュー

原題:『エヴェレスト 神々の山嶺』
監督:平山秀幸
脚本:加藤正人
撮影:北信康/村口徳行
出演:岡田准一/阿部寛/尾野真千子/ピエール瀧/甲本雅裕/風間俊介/佐々木蔵之介
2016年/日本

「エベレスト」と「エヴェレスト」の違いについて

 既に昨年11月に事実を基に丁寧に描かれていた『エベレスト 3D』(バルタザール・コルマウクル監督 2015年)と同じネタの作品を間隔を置かずに敢えてこの時期に公開してくるということは、かなりの自信がなければできないことだろうからと期待して観に行ったのであるが、別の意味で驚かされる作品ではあった。
 孤高の天才クライマーと呼ばれている羽生丈二が無謀にも単独で無酸素でエヴェレスト登頂を試みるのであるが、恋人だった岸涼子の指示も聞かずに登っていく羽生丈二は気が狂っているようにしか見えない。しかしそれはシェルパとして一緒に登っていた岸文太郎を事故で失い、ネパールに不法滞在している時点で頭がおかしくなっているという言い訳はつく。問題は羽生を追いかけて登っていった山岳カメラマンの深町誠の行動である。
 深町まで酸素ボンベを携えずエヴェレストに登ってしまう理由は、重装備で顔を覆ってしまうと岡田准一が主役をしている意味が無くなってしまうだろうから百歩譲るとしても、羽生の遺体を見つけた深町は羽生の声が聞こえるようになるのだが、深町が最も興味を持っていたジョージ・マロリーが所有していたフィルムの在りかを羽生に教えられてもどうでもよくなっており、だからと言って羽生の遺体を背負って下山するわけでもない。そして羽生が伝えるように「足がダメなら手で、手がダメなら目で、目がダメなら心で進め」という精神論を学んで下りてくる。これでは感動とは程遠いオカルトでしかないのではないだろうか。


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