原題:『夜叉』
監督:降旗康男
脚本:中村努
撮影:木村大作
出演:高倉健/田中裕子/田中邦衛/大滝秀治/小林稔侍/寺田農/下條正巳/いしだあゆみ
1985年/日本
見かけでは分からない「本物の夜叉」について
言われているほどストーリーが悪いとは思えない。主人公の修治は冬子と結婚するために15年前にヤクザ稼業から足を洗い、冬子の父親の勧めで大阪のミナミから日本海の小さな村へ引っ越し、漁師として働くことになり3人の子供にも恵まれ、幸せな暮らしを送っていたのであるが、その村に螢子という女性が呑み屋を開いたことから村の雰囲気が変わってくる。
螢子には矢島という「ヒモ」がおり、矢島が賭けマージャンを始め、覚醒剤を村の漁師たちに売り出したのである。矢島との関わりから、やがて修治は螢子と不倫の関係に陥ってしまう。そんな時、覚醒剤の代金の未払いでヤクザに捕まった矢島を救うために修治がかつて関わっていた組に乗り込み、弟分だったトシオの手助けもあって矢島を救い出すのであるが、矢島はトシオに刺されて殺されていた。生活していくためには兄弟の契りよりも組織が優先されるという現実に修治は驚きを隠せない。15年という年月の中でヤクザの仁義が変わっていたことに修治は全く気がつけなかったのである。
だからそんな修治が、父親の啓太が病気であることを知って村に戻って来た彼の息子の秀夫に対して、そんなことで帰ってくるなと叱ったり、ラストで東京の新宿のレコード店に勤めだした秀夫から「毎日が楽しくてしかたがありません。青春は素晴らしいと思いました」という手紙を啓太を介して受け取るシーンは強烈な皮肉として効いていると思うのであるが、本作において決定的に物足りないことがある。それは修治を演じた高倉健と螢子を演じた田中裕子のラブシーンである。堅気になった修治が敢えてミナミに戻った理由は、螢子を愛してしまったためであるが、2人のラブシーンにおいて修治の螢子に対する愛欲が全く感じられないのである。はっきり言うならば下手なのは高倉健の濡れ場の演技であり、矢島の子供は流産してしまったが、その代わりに何も言わず息子と共に村を去る電車の中で修治の子供を身ごもったことを知りほくそ笑む、田中裕子が演じた螢子こそ「本物の夜叉」だったのである。