あの頃ペニー・レインと
2000年/アメリカ
‘活字’から‘映像’へ
総合
80点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
1973年、15歳の主人公のウィリアム・ミラーはローリングストーン誌の記者として彼の敬愛するロックバンド、スティルウォーターのツアーに密着取材することになる。そこでウィリアムはペニー・レインと出会い、密かに恋心を抱くようになるが、ペニーはバンドのギタリストであるラッセル・ハモンドと付き合うようになる。
本作のテーマとなるのは、ロックバンドを追いかけているペニー・レインのような女の子たちの立ち位置である。もちろん一般的にはグルーピーと呼ばれ、固定観念で理解されてしまうのであるが、本作では自分たちのことを「バンド・エイド」であると主張する。彼女たちにしてみれば、ただメンバーと肉体関係を持っているだけではなく、バンドを支えているという矜持がある。原題の「Almost Famous」は「ほとんど知られている」という意味であるが、逆に捉えるならば、まだ知られていないことが残っているというニュアンスが含まれている。つまりいくら記事を書いてみても彼女たちの想いの全てを捉えることは難しい。
作品の冒頭で、出演者たちの名前が手書きで書かれ、ラストはポラロイド写真の羅列であることを鑑みるならば、本作は活字ではこぼれ落ちるものを映像ですくい上げる試みであると見做せるのである。
「愛犬の遺骨壊された」 作家蜂谷涼さんが外交官を提訴(朝日新聞) - goo ニュース
蜂谷涼という人は小樽市在住の女性作家のようだが、それにしても記事を読むだけでは
全く意味の分からない出来事である。知人から紹介された外交官から「本を出版したい」との
相談を受けて自宅に招いたところ、突然、火葬後に自宅に祭壇を設けてペットだった犬の
遺骨を入れて保管していた箱をその外交官は拳を振り下ろして箱ごと骨を砕いたという
のである。抗議に対して、外交官は「中国では骨を砕くのが供養だ」「何でそんなに怒るのか
分からない」と繰り返し、日本酒などを飲んでおり、しばらくすると眠ったというのであるが、
自宅に招くなり拳で箱を壊したり、いつから外交官が日本酒を飲んでいたのか余りにも
途中経過をはしょりすぎており、これほど何がなんだかさっぱり分からない話も珍しい。
モンスター・ホテル
2012年/アメリカ
118年後の世界
総合
0点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
子供向けの作品だと分かった上で、敢えて一言言及しておくならば、主人公ドラキュラが一人娘のメイヴィスの、人間に対する好奇心に対して異常に神経を尖らせ、人間世界を偽装してまで人間社会と関わりを持たせなかった理由は、1895年に城が人間たちに襲われた際に、妻が殺されたためなのである。しかし人間の側からするならば、19世紀のドラキュラはリアルな恐怖の生き物であったが、21世紀には既に‘キャラ’として愛される対象になっているのであり、だからのジョナサンはドラキュラを怖がらないのである。しかし当のドラキュラが人間の街を飛んでいる時に、人々が手を振って歓迎している意味に気がついていないように見えるのは、人間以上にドラキュラの方がより深刻なトラウマを抱えていたからなのかもしれない。
嵐・相葉雅紀と黒木メイサが2度目のベストジーニストを受賞(マイナビニュース) - goo ニュース
今年のスギちゃんの活躍を勘案するならばベストジーニストに選ばれてもおかしくはないと
思うが、ベストジーニストに選ばれるためにはただ普段からジーンズを身につけていれば
いいというものではなく、ジーンズが似合わなければならないという条件があるために、
スギちゃんにジーンズが似合っているかどうかは微妙な問題なのである。その上、ワイルド
スギちゃんはジーンズをビリビリに引き裂いているために業界からの印象があまり良くなく、
さらにはスギちゃんみたいに見えると言われるためにジーンズが最近敬遠されているという
噂もあり、実は日本ジーンズ協議会はスギちゃんの存在はありがた迷惑なのかもしれない。
NYタイムズ論説に反論=尖閣で「中国の立場に同情」―日本総領事館(時事通信) - goo ニュース
相変わらずニコラス・クリストフの発言が中国寄りなのは、妻が中国系アメリカ人三世の
シェリル・ウーダンだから仕方がないとしても、一応米紙ニューヨーク・タイムズの著名な
コラムニストなのだから、尖閣諸島をテーマとして扱うのであるならば、「日本が1895年に
戦利品として事実上、中国から島々を奪ったことを示す」記述があるという、台湾出身の
研究者が集めた当時の日本政府の文書だけではなく、日本の研究者が集めた資料なども
参考にしなければ、偏向報道の謗りは免れない。クリストフの家庭事情を知っている人など
ほとんどいないのだからいちいち反論を投稿しておかなければならないことが面倒。
六本木暴行死 組特隊が情報収集 不良グループ、人違い襲撃か(産経新聞) - goo ニュース
東京の六本木のクラブ「フラワー」で金属バットなどで武装した9人の男たちに殴られて死亡
した飲食店経営の男性が、もしも本当に人違いで撲殺されたのだとするならば、気の毒と
しか言いようがないのであるが、そもそも犯人の数人が事件後1週間以内に東南アジアや
ハワイに出国しているくらいなのだから、敵対するグループのリーダー格を殺す決意を
することは、かなりの覚悟がいるはずなのだが、襲おうとする人物を確認しもしないで、
殺してしまう知性の低い人たちが不良グループとして六本木を拠点に活動できてしまう
ところが、いわゆる“ゆとり世代”の厄介なところである。
エージェント・マロリー
2011年/アメリカ
アクションシーンについて
総合
40点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
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ビジュアル
0点
音楽
0点
主人公のマロリー・ケインを演じたジーナ・カラーノはムエタイを基礎にした技を持つ総合格闘家で、アメリカ女子格闘技界で一番の実力と美貌を誇るらしい。監督のスティーブン・ソダーバーグによると「たまたまテレビのチャンネルを変えているときに彼女のファイトを見て、釘付けになった」らしく、「もし彼女を偶然テレビで見なかったら、この映画は存在しなかった」とインタビューに答えている。
確かに脇をユアン・マクレガー、マイケル・ファスベンダー、マイケル・ダグラス、アントニオ・バンデラスとベテランで固めており、舞台も、バルセロナ、サンディエゴ、ダブリン、ニューヨーク、ニューメキシコと移すものの、ストーリーが単調である上に、肝心のジーナ・カラーノのアクションシーンが地味である。ソダーバーグ監督はノースタントのジーナ・カラーノのアクションを過信しているようだが、本人がアクションを演じれば良い映像が撮れるというものではなく、やはりアクションに対する演出力が不足していると、『エージェント・マロリー』と似た設定の『コロンビアーナ』(オリヴィエ・メガトン監督 2011年)の、工夫が施されたアクションシーンを観た後では見做さざるを得ないはずである。しかしアメリカの映画批評家たちには評判が良いのが謎である。
ハンガー・ゲーム
2012年/アメリカ
感情の‘貧しさ’について
総合
0点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
パネムという国家はキャピトルという裕福な都市と12の貧しい地区から構成されている。74年前の反乱戦争の罰としてキャピトルは各地区の12歳から18歳までの少年少女の中から男女一人ずつを選出し、殺し合いをさせる‘ハンガー・ゲーム’を科し、それをテレビで生放送することで12の地区の住人たちの感情のコントロールを試み、反乱を未然に防いでいる。
妹の身代わりとして、第74回ハンガー・ゲームに第12地区の女子代表として出場することになる主人公のカットニス・エバディーンのある行動を取り上げてみたい。カットニスは第11地区から選ばれたルーという黒人の少女と共に行動することになるのであるが、ルーはマーベルに殺されてしまう。その後、カットニスはルーの亡骸の周囲を花で埋め尽くして弔い、それをテレビで見ていた第11地区の住人たちが暴動を起こし、異例となるゲームのルール変更のきっかけ作りになるのであるが、つまりそれまで73回も行われているハンガー・ゲームにおいて敵対する相手を弔うことをする人物が一人もいなかったということになる。勿論12の地区の住人たちの感情も‘貧しい’という設定であるならば問題は無いのであるが、ゲームが始まるまでの長い人物描写にそのようなニュアンスは感じられず、結局、1人しか生き残れないと分かっていながら腕力のあるケイトーが数人と同盟を組むという不自然さと共に、登場人物たちの感情が上手く捉えられない。その上、カットニスやピータ・メラークに戦い方を教えるために、過去のハンガー・ゲームの優勝者であるヘイミッチ・アバーナシーが指導者として2人につくのであるが、勇者の面影は無く、戦いのトラウマによるアルコール依存症を患っているようで、カットニスでなくても勝ち残る意義が分からない有様である。
しかし続編があるようなのでそこで明かされるはずの詳細に期待を込めて評価は控えておきたい。
改造内閣が本格始動=田中文科相「尊敬される人つくる」(時事通信) - goo ニュース
田中真紀子文部科学相は「教育でどう人づくりをするかが全てのベースだ。尊敬される
日本人をつくる」と強調しているが、残念ながら世界で尊敬されている日本人のほとんどは
日本の教育制度の枠に収まらなかった人たちであることを新文部科学相は理解していない。
だから尊敬される日本人をつくるために文部科学相が出来ることがあるとするならば、
有能な人間を無理やり日本の教育制度の枠に押し込めようとして、才能を潰さないように
することだけなのであるのだが、自分の思い通りにならない人間を許さないのが田中真紀子
の気質であることを勘案するならば、ここも人選間違いであることは明らかである。
イラン、米アカデミー賞への映画出品見送りへ(読売新聞) - goo ニュース
やっぱりイラン政府は頭が弱いと感じるのは、敢え“敵国”の最高権威であるアカデミー賞
を受賞することで、自分たちの言い分を世界に知らしめる機会を自ら放棄してしまうことに
映画製作者たちは別としても、当人たちが気がついていないところである。別にイランが
アカデミー賞をボイコットしたところでアメリカのアカデミー賞が困ることはなく、他の国の
作品から選べばいいだけの話だし、イスラム教預言者を侮辱する内容の映画を作る
映画監督はイランがボイコットしようがどうしようが作る時は作るのである。