文芸評論家の加藤典洋さん死去 「敗戦後論」で論争巻き起こす
加藤典洋氏死去=文芸評論家、早稲田大名誉教授
文芸評論家の加藤典洋さんが死去 71歳
大塚英志の『感情天皇論』(ちくま新書 2019.4.10.)は理解しにくいものだった。大塚は本書の手法として以下のように書いている。
「その手法としては、まず時代として、明仁天皇夫妻が結婚した一九五九年前後と退位を控えた二〇一八年前後を扱う。彼らの始まりと終わりを重点的に考えようと思う。その間を『平成天皇の時代』として考えてみる。なぜ、一九五九年に『始まる』のかは本書の中で明らかになるだろうが、彼らの結婚とともに昭和天皇の退位が語られた事実も大きい。無論、それは大きな声にならなかったが、そういう声とともに彼らは『始まった』のである。
そして分析の対象として用いるのは、もっぱら文学者によって書かれたテキスト、あるいは映画などが描き出した表現である。天皇家の人々のことばは原則としてこの序章以外では引用しない。論じる作品の中には天皇を扱ったものもあるし、そうではないものも含まれるが、それらの作品は、最終的には『私たち』の問題にブーメランのように跳ね返ってくるからである。そうでなくては、なんの意味もない。
つまり本書は文学や映画を通じて天皇をめぐる時代精神を抽出していくオールドスクールな『批評』という方法を選択する。」(p.48-p.49)
手法がどうであろうとそれが「批評」であるならばかまわないと思うのだが、「天皇論」と謳われているにも関わらず、第一章は1959年の皇太子夫妻の成婚パレードで夫妻が乗る馬車に駆け寄った「投石少年」の話、具体的に言うならば投石少年と皇太子妃の話なのである。例えば、何故「投石少年」は山口二矢のように名前を公表されないのか三島由紀夫や石原慎太郎(第二章では大江健三郎)のテキストを使って論じられているのだが、実害が無く、名前を出したら少年に危害が及ぶからという配慮が働いただけであろうし、さらに何故皇太子ではなく皇太子妃を論議の俎上に乗せているのか、「天皇論」としては論点がズレている。彼らが正田美智子に関心を示したのは、ただたんに若かった彼らが「俗情と結託」しただけだと思う。
驚くべきなのは結論である。大塚は「感情天皇制」を終わらせるためには天皇家の「バチカン化」が必要だというのである。大塚はまんがの原作者でもあるらしいから、まんがとしてなら面白いと思うが、本書をどうにか読了したとしても天皇家の「バチカン化」は荒唐無稽としか言いようがない。
仮に天皇家の「バチカン化」を目指すとするならば、例えば、金日成主席を崇拝する北朝鮮国民くらいに、むしろ日本国民は天皇に対して過度の感情を持つ必要があるだろうが、その前にバチカンをナメていると思う。大塚は加藤典洋に対して「批評家の劣化とはこういうことか、と自戒だけはしよう。(p.227)」と書いている。確かに加藤も酷かったが、ページを多く割いて書いている割には結論がぶっ壊れているという点で大塚も加藤同様に十分に劣化しているのではないだろうか? 何故誰も大塚を批判しないのか不思議なのだが、黙殺ということならば納得はできる。