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MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『ザ・スクエア 思いやりの聖域』

2018-06-10 00:56:22 | goo映画レビュー

原題:『The Square』
監督:リューベン・オストルンド
脚本:リューベン・オストルンド
撮影:フレドリック・ウェンツェル
出演:クレス・バング/エリザベス・モス/ドミニク・ウェスト/テリー・ノタリー
2017年/スウェーデン・ドイツ・フランス・デンマーク

「シリアス」と「冗談」に挟まれる男の苦悩について

 タイトルの「ザ・スクエア(The Square)」とはスウェーデンのストックホルムにあるX・ロイヤル・ミュージアムの新しい作品名であるが、「正方形」とはこの作品のみならず、例えば、主人公でその美術館のキュレーターであるクリスティアンの住むアパートの、上から映される螺旋階段や、地面の四角い煉瓦なども暗示しており、「正方形」である限り「信頼と思いやりの聖域で平等の権利と義務が分配される」という「ザ・スクエア」のコンセプトは共有されるはずである。
 そのような「聖域」に重要な役割を果たすのがモダンアートのパフォーマンスである。例えば、本作の最初の方でクリスティアンが暴行事件を装った3人の万引き犯人たちに携帯電話と財布を盗まれる(カフスを取られたというのは本人の勘違い)のであるが、これはモダンアートのパフォーマンスと捉えることもできる。シリアスに捉えるか冗談に捉えるのかで同一のものが正反対に解されるのである。
 あるいはパーティー会場でモンキーマンを演じたオレグ・ロゴジジーンは「冗談」として演じていたはずなのだが、いつの間にか「シリアス」になってしまっており、対照的にその直後にクリスティアンが投函した脅迫状のせいで家族に泥棒扱いされたことに抗議をするために彼のアパートを訪れた少年がクリスティアンに邪険に扱われた後に、「助けて」とどこかで叫ぶのであるが、2つの違ったトーンを織り交ぜながら叫ばれるその声はまるでテープレコーダーに録られた音声が流されているように聞こえるために、「シリアス」だった出来事が「冗談」だったように見えるのである。
 後日、クリスティアンは2人の娘たちと共に、少年が住むアパートを訪ねて彼に謝罪しようとするのであるが、最初に訪ねた男によれば少年は家族と共に引っ越してしまっており、さらにその男はクリスティアンが投函した脅迫状に心当たりがないという証言から、果たして少年が「シリアス」だったのか「冗談」だったのか確かめようがないまま娘たちと立ち去るしかなかったのである。

「ここではアイロニーは二重になっている。『思いやり』という単なる『正しさ』の提示が『アート』になるというアイロニーと、ほんとうはそんなことを誰も信じてはいないというアイロニー。いや、それも込みで『アート』として機能し受容されてしまうのだから三重のアイロニーというべきか。オストルンド監督の意図はアートの世界を舞台にして人間の浅はかさを描くということだったのかもしれないが、この作品は結果的に現在形の『アート』の急所を鮮やかに抉っている。」(『すばる』2018年6月号 佐々木敦 「アートートロジー 最終回 一本の映画と三冊の本」 p.245)

 同じようなことを指摘していると思う、たぶん。


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