めし
1951年/日本
明言が避けられる根本問題
総合
100点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
この作品は上原謙が演じる岡本初之輔と原節子が演じる岡本三千代の夫婦が結婚5年目にして倦怠期を迎えた頃をユーモアを交えて描いた物語として認識されているようであるが、本当にそのような単純なものであるのならば傑作と呼ばれるはずはなく、2つのモチーフが効果的に使用されていることを指摘しておきたい。
1つ目のモチーフは岡本初之輔の兄の岡本隆一郎の娘の里子が大阪の2人の家を訪ねてきたことから起こる初之輔と三千代の‘不協和音’であるのだが、最初は観客は何故三千代が夫と姪の仲の良さに嫉妬のようなものを感じているのかが分らない。しかし後に里子が岡本隆一郎の実の娘ではないことを知ってようやく観客は三千代の気持ちを察するが出来る。
2つ目のモチーフは作品の冒頭に、三千代の家の近所に住んでいる、早朝に学校へ向かうために家から出て直ぐに転んでしまう男の子を登場させて、途中で三千代の友人で、戦争で夫を亡くした子持ちの未亡人を登場させて、クライマックスで東京でばったり出会った初之輔と三千代のそばを子供神輿が通り過ぎるようにして暗に示される三千代の‘不妊’の問題である。既に言及したように岡本初之輔の兄の岡本隆一郎にも実の子供はいないし、三千代の妹の村田光子の夫婦にも子供はいないが、妹夫婦は共働きであるために三千代のような倦怠期は存在しない。つまりこの作品は三千代夫婦の倦怠期ではなく、自身と夫の不妊の家系と、それに対する若い健康な女性の里子という存在の‘襲来’がサスペンス調に描かれており、その絶妙な演出が『めし』を傑作にしているのである。
1951年に、結婚して5年になる夫婦に対して誰も子供のことを訊ねないことが却って不自然なのではあるが、唯一子供のことを言及していると思われるところは三千代が初之輔に書いた手紙である。しかしその手紙の内容はついに明かされないままラストで三千代自らの手によって破り捨てられることになり、それまで迷っていた三千代が子供がいないままで夫婦仲良く生きていくと決心したことが感じられる。
残された疑問はこの三千代の‘不妊’の問題が演出のために敢えて伏せられたものなのか、あるいは当時の時代の‘空気’が明白に言えない雰囲気であったのかということである。
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