MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

大江健三郎と村上春樹の関係について

2023-06-27 00:56:56 | Weblog

 『大江健三郎の「義」』(尾崎真理子著 講談社 2022.10.18)には驚いた。大江健三郎の小説は平田篤胤と柳田国男と島崎藤村に多大に影響を受けているというのである。全く気がつかなかった、というか平田篤胤と柳田国男など全く読んでいないのだから仕方がないのだが、今まで大江作品の何を読んできたのかという思いしか残らない。しかし例えば「昭和五十四年の長編『同時代ゲーム』は肯定と否定を含めてさまざまに評価されながらもその真価が認められることはほとんどなかった。一方で十万部を越すという文学作品としては稀な『実力』を示しながらもこの文学史に残るべき傑作は日本の文学風土からかけ離れていたため、伝統とのつながりを見出すことのできなかった人びとによって誤解され、それはこの作品にとって名誉なことであったかもしれないが、あいにくそれらの誤解が文学の衰弱に拍車をかけた。」(「新しい自己照射の試み」 筒井康隆『文學界』1986年3月 『ダンヌンツィオに夢中』収録)という文章も残っているように、当時は誰も大江の小説と平田、柳田、藤村との関係を見出していないようなのである。

 ところでやはり気になるのは大江健三郎と村上春樹の作風の違いなのだが、例えば、尾崎は大江作品を以下のように端的に説明している。

「大江は、篤胤の幽冥思想や柳田の固有信仰と、ダンテ、ブレイク、イェーツ......選び抜いた西欧文学の巨人にして神秘主義者たちがそれぞれの作品の中に描き残した霊魂の世界とを、それがキリスト教の信仰に基づくものであるにしろ、何とか地続きの、人類共通の死生観としてつないでみることを試みた。それが大江の言っていた『魂のこと』という仕事であり、これこそ独創的な、『想像力の組み替え』ではなかっただろうか。」(p.268-p.269)

 尾崎は村上春樹の作品に関しても以下のように説明している。

「『懐かしい年への手紙』と同じ一九八七年に発表された村上春樹の『ノルウェイの森』、吉本ばななの『キッチン』は、今を生きる自分と仲間だけで完結する物語で、登場人物たちは都市伝説はリアルに語っても、先祖どころか親からも、職場や学校といった集団からも切れ、ましてや国への帰属意識など持つはずもなく街を漂っていた。その疎外感、所在なさが欧米でも共感を得て、途方もない部数が刷られ続けた。」(p.113-p.114)

 個人的に思うことは、晩年の大江の小説の主人公の名前が「長江古義人」とあるように、デカルトの「コギト・エルゴ・スム(我思う、故に我在り)」(p.236)を引くまでもなく、大江が描写する登場人物は自分の存在そのものは疑っていないが、村上が描写する登場人物は「井戸=イド(id)」という自我そのものにこだわっているところである。

gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/entertainment/kyodo_nor-2023031301000617


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