現在、東京上野の国立西洋美術館では『ハプスブルク展 600年にわたる帝国コレクションの歴史』が催されているのだが、結局、一番印象に残ったのは女帝と言われていたマリア・テレジア(Maria Theresia)を初めとする、絵画よりも絵画に描かれている人物の方だった。マリア・テレジア(上のイメージの一番左)は後継者を確保するために16人も子供を産んでいるのであるが、この執念が凄い。
『フランス王妃マリー・アントワネットの肖像』マリー・ルイーズ・エリザベト・ヴィジェ=ルブラン
(『Archduchess Marie Antoinette of Austria, Queen of France』
Marie Louise Elisabeth Vigee-Lebrun)1778
そのマリア・テレジアが1775年、38歳の時に産んだのがマリー・アントワネットなのだが、調べてみるとマリー・アントワネットが処刑されたのは1793年、37歳の時で、てっきり「パンがなければお菓子を食べればいいじゃない」と言ったことで民衆から顰蹙を買って処刑されたのだとばかり思っていたのだが、そのような事実は記録にないようである。
もう一人気になる人物がマルガリータ・テレサ・デ・エスパーニャ(Margarita Teresa de España)で、マルガリータは1651年生まれ、1673年に亡くなっているから、マリア・テレジアの世代とは一世紀違う。
これだけ言われてもマルガリータのことはよく分からないが、マルガリータはディエゴ・ベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez)の『ラス・メニーナス(Las Meninas)』で有名なのである。レオポルド1世との見合い用にベラスケスは3枚描いており、上のイメージは8歳の時のマルガリータである(『青いドレスの王女マルガリータ・テレサ(Infant Margarita Teresa in a Blue Dress)』1659年)。
しかしマルガリータ・テレサはマリア・テレジアのように出産が上手くいかず、娘を一人残して21歳で亡くなっている。