原題:『美しい星』
監督:吉田大八
脚本:吉田大八/甲斐聖太郎
撮影:近藤龍人
出演:リリー・フランキー/亀梨和也/橋本愛/中嶋朋子/佐々木蔵之介/羽場裕一/友利恵
2017年/日本
宇宙人という「素人」について
三島由紀夫の有名なSF小説を原作とし、吉田大八が監督を務めるならば面白くない訳がないと思い観に行ったのではあるが、なかなか微妙な出来だった。
SF小説が原作なのだから、例えば、番組ディレクターを無視して事前に自前のテロップを用意して自説を説く、主人公で気象予報士の大杉重一郎がすぐにクビにならないような細かい設定のおかしさをあげつらうつもりはない。
あるいは重一郎と自友党の参議院議員の鷹森紀一郎の意見は「地球温暖化」という問題点においては一致しているのだが、何故か重一郎は鷹森の急かせている。しかし鷹森はソーラーパネルの設置など自然エネルギーに関する具体策を講じており、首相でも大臣でもない一議員にはそれ以上を求めても仕方がないのである。ここは原作においては「核戦争の危機」を問題視していた重一郎が映画版では「地球温暖化」に問題意識を移したことに対する齟齬が生じているようにも見えるが、そもそも重一郎は「地球温暖化」にさえ関心がなかったようにも見える。
それでは重一郎がテレビで大騒ぎしていた理由は何かと勘案するならば、作品冒頭で描かれているレストランの誕生日会のように自分の家族がバラバラで、なおかつ黒木克己という謎の男に騙された息子の大杉一雄、竹宮薫という謎のストリートミュージシャンに孕ませられた娘の大杉暁子、そして出所の分からない和歌山の「美しい水」を騙されて売らされていた妻の大杉伊余子たちを自身の最期までに立ち直らせて絆を取り戻そうという試みだったのではなかったのか。
だから「あの世」に向かう直前に重一郎は4人の絆が取り戻せているかどうか確認したかったのであろうが、それまで重一郎の「グダグダ」な有様が上手くはまっていたリリー・フランキーの演技に切迫感が感じられない。テレビドラマ『怪奇大作戦』の岸田森を彷彿とさせる佐々木蔵之介のクールな演技とつい比較してしまうと、やはり「素人」俳優の限界を感じるのである。ラストはキメて欲しかったがカルト作品であることは間違いない。