MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『青春の海(1967)』

2014-06-22 20:53:01 | goo映画レビュー

原題:『青春の海』
監督:西村昭五郎
脚本:三木克巳
撮影:姫田真佐久
出演:吉永小百合/渡哲也/和泉雅子/川地民夫/和田浩治/山内賢/笠智衆
1967年/日本

 実は「ドキュメンタリー映画」である可能性について

 当時21歳の吉永小百合と25歳の渡哲也を主演に迎えた本作は、不思議なことにカップルになり損ねるという展開をたどる。
 吉永小百合が演じる教師の三宅杏子は左遷された地方の漁師町で、渡哲也が演じる山崎次郎と出会うのであるが、それは一緒に乗っていた列車の真向いの席で、お互いに第一印象は最悪だった。次郎の実家は長男の宏一が山崎歯科を営んでいた。一方、次郎は東京でチンピラになっていたのであるが、実は次郎が歯科医院の開業の資金を出していたり、幼い頃に家計を支えるために天草獲りで海に潜っていた母親の命綱を託されていながら母親の溺死を防ぐことが出来なかった後悔の念に苛まれており、だんだんと杏子はそんな次郎に惹かれていく。
 ところが2人の関係が街中で噂されるようになったために東京に戻る次郎を追いかけて、一緒の列車に乗り込んだ杏子に次郎は次のように言う。「先生と向かい合って食事をする時に、何の話をするのか。喧嘩の話。博打の話。指をつめた時の話。女をひっかけた時の話」。次郎の話を聞いた杏子は何故か素直に納得してしまい、次の駅で降りてしまう。そして疼いていた奥歯を宏一に抜いてもらい、抜いた歯を海に捨てると共に次郎の思い出を忘れることにしてしまうのである。メタファーとして解釈するならば、次郎は山崎家にも杏子にも「イタい奴」として見捨てられたことになり、通常であるならば、その環境の違いを克服するために努力しようとするものだと思うが、愛し合っているはずの次郎と杏子にそのような情熱が全く感じられないのである。
 何故このような異様なストーリー展開になったのか邪推するならば、『愛と死の記録』(蔵原惟繕監督 1966年)で初共演し、実際に交際するようになった吉永小百合と渡哲也のプライベートの問題が反映されており、中平まみの著書『小百合ちゃん』(2011年9月)に拠るならば、2人はこの時点でまだ交際していたはずであるが、つまり表向き2人の交際を否定するために無理に脚本が書き換えられ、だから本作は、おそらく改稿が不本意で、やがて渡との別れが現実と化した吉永の意向によって一度もビデオ化やDVD化されていないのだと思う。


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