MASQUERADE(マスカレード)

 こんな孤独なゲームをしている私たちは本当に幸せなの?

『キカイダー REBOOT』

2014-06-05 22:48:17 | goo映画レビュー

原題:『キカイダー REBOOT』
監督:下山天
脚本:下山健人
撮影:小林元
出演:入江甚儀/佐津川愛美/池田優斗/高橋メアリージュン/鶴見辰吾/長嶋一茂
2014年/日本

日本の「スーパーヒーロー映画」の惨状について

 『X-MEN』や『スパイダーマン』や『アベンジャーズ』などのいわゆる「スーパーヒーロー映画」はもちろんハリウッドの独占物ではないのであるが、例えば、『CASSHERN』(紀里谷和明監督 2004年)、『デビルマン』(那須博之監督 2004年)、『ガッチャマン』(佐藤東弥監督 2013年)、『タイガーマスク』(落合賢監督 2013年)など日本のスーパーヒーローが映画化されると何故か惨状を呈するものが少なくない。本作も御多分に洩れず酷いものだった。
 例えば、「ARKプロジェクト」の主任研究者だった光明寺信彦が事故で亡くなった後に、「光明寺ファイル」の内容を知ろうとする者たちによって、娘の光明寺ミツコと息子の光明寺マサルが襲われ、高層ビルの屋上に連れていかれた際に、ジローが2人は救出しようと現れた時に、2人は銃殺されようとしていたのであるが、「光明寺ファイル」の内容を知る前に殺してしまっては2人を拉致した意味がないと思う。
 そのジローの体には光明寺博士によって「良心回路」が取り付けられており、闘う際にジローの枷になっている。それは例えば、『ロボコップ』(ジョゼ・パジーリャ監督 2014年)ならば「ドーパミン」に相当するはずなのであるが、「良心回路」が作動しているのかいないのか分かりにくいために、ジローが本当に強いのか弱いのか全く分からない。
 ジローのアコースティックギターをエレキギターに変えてしまい、プロフェッサー・ギルとハカイダーを一緒にしてしまったためにギルの笛も省略されてしまい、オリジナルにあった物悲しい情緒が無くなってしまっている。要するにこれは「キカイダー世代」の大人が観賞するものではなく、「仮面ライダー」のように子供が観て喜ぶようなものであるのだろうと思わなければ、わざわざ「リブート」した意味が分からない類のものであるのだが、「キカイダー世代」でも笑えなかったのに、今の子供たちがドリフターズのギャグで笑うだろうか?


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