ビッグ・フィッシュ
2003年/アメリカ
現実と嘘の狭間に宿る物語について
総合
70点
ストーリー
0点
キャスト
0点
演出
0点
ビジュアル
0点
音楽
0点
息子のウィリアムに幼少の頃から自分の人生をお伽話のように語り続けたエドワード・ブルームの話は、当初はウィリアムも喜んで聞いていたのであるが、何度も聞かされ、それを友人に話して嘘つきと言われるとだんだんと疑心暗鬼になってきて、ジョセフィーンと自分の結婚式のスピーチにおいても相変わらず同じ話をされたことでついに3年前に父と息子は口をきかなくなった。
しかし父親の病状が悪化したことを知らされたウィリアムは身ごもっている妻と故郷のアラバマに帰郷し、スペクトルという街に関する資料を見つけて、訪ねてみると父親が話していたジェニファー・ヒルと出会う。
既に魔女の瞳に映った自分の死に際を知っているエドワードは自分は驚くような死を迎えると息子の話していたのであるが、実際病院のベッドの上で死に臨むエドワードを見守っているウィリアムはただ床に臥せっている父親を複雑な思いで見つめている。何と父親は息子にどのように父親が死ぬのか語らせ、その父親の期待に応えようとウィリアムは父親の話を思い出しながら必死に父親の最期を飾ろうと試みる。確かに結果的には父親の言う通りに父親は驚くような死を迎えられたのである。父親の葬儀の日、父親は多少オーバーに話していたものの、父親の話に登場していた人物たちが次々と姿を現し、ウィリアムは父親は嘘をついていたのではなく、ただ人生を、ウィリアムが父親の死に際に施したように‘脚色’していたことを知るのである。
父親の‘ホラ話’に抵抗を感じた息子が現実を追求するジャーナリストになるという設定は理解出来るものの、ジャーナリストであるならば父親の話の真偽を調べることは簡単に出来るはずで、そこに本作の甘さがあるが、現実と嘘の狭間にこそ心踊る物語が宿るということは分かる(しかしそもそも父親の人生が破天荒過ぎる嫌いはある)。この点を踏まえて私が『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』(アン・リー監督 2012年)に抱いた違和感は改めて書くことになる。
ソニー、MDプレーヤー事業終了へ 最後の機種も3月で出荷終了(産経新聞) - goo ニュース
ついにこの時が来たという感じである。一度、ソニーのデジタルミュージックプレーヤー、
いわゆるMP3を購入したものの、その余りの音質の悪さに再び使っていたポータブルMDを
引っ張り出し酷使している有様である。確かにイコライザーやサラウンドなどの機能はついて
おり、いろいろと試行錯誤してみたものの、どうにもそのペラペラな音質が良くなることが
なかったし、あのイヤーピースも耳に馴染まなかった。若い人ならその音で慣れてしまって
いるから気にならないのかもしれないけれど、レコードやCDで音楽を聴き続けてきた人は
MP3の音質に満足出来ているのだろうか あるいはもう音楽そのものを聴いていなの
かもしれないが。