ケンのブログ

日々の雑感や日記

十月二十三日

2019年10月23日 | 日記
即位礼正殿の儀が無事終わって
今朝のラジオではそのことが話題になった。
浜村さんは国民の代表である安部総理大臣の
挨拶を一段高いところで受けた天皇陛下のことを
法のもとには人間は平等であるはずなのに
天皇が平民の代表の挨拶を高いところで
受けるのはおかしいということを言う人があるという
話を紹介した。
そして「もう、いろんな意見をとりいれて
どこをどういじっても、それでもなにか文句を
言う人は必ずいるもんです」という趣旨のことをおっしゃった。
本当にその通りだなと思った。
なにをどういじっても必ず批判は受けなければならない。

この世にただ誉められるだけの人はいないし
またただ非難されるだけの人もいない。
これは現在、過去、未来のいずれにも通用する真理である。
とお釈迦様のおっしゃるとおりだなと思う。

何はともあれ昨日は無事に終わって本当によかったな
と改めて思った。






即位礼正殿の儀

2019年10月22日 | 日記
即位礼正殿の儀ということで祝日。
町へ出ると確かに祝日という感じ。
なんか普段の祝日よりも道行く人に
祝典的な雰囲気が漂っているように思える。
普段の祝日よりも町に高校生の姿が
多いように思う。
僕の想像なのだけれど
こういう特別の祝日は一日祝日を儲けたような気持ちになって
友達と町に繰り出したくなるのではないだろうかと思った。
夕方になってネットで即位礼正殿の儀の動画を見た。
天皇 皇后両陛下、無事式を終えられて本当に
よかったと思った。
皇后陛下の今日の写真がネットに出ていたので
見ると全部ロイター通信の配信になっている。
それは写真がロイター通信から配信されて
全世界の新聞に載るかと思うと
緊張だろうなと思う。
それにこれは全世界に配信されるばかりでなく
50年100年、いやもっと長い間残ることが
ほぼ今の段階から間違いのない写真でもあるわけだし。
天皇家ともなると儀式の持つ意味が
平民のそれとは全然違うなとしみじみと思う。
僕のいとこがそりゃあ皇族はいいわよ
と口にしたことがあったので
どうして
と聞いたら
だって子供ひとり生んだって私たちとは
全然意味が違うじゃない
という答えが帰ってきたことを懐かしく思い出す。
まあ、意味が違うからこそ緊張感も平民とは
違うようにも思うのだけれど。
今ごろはほっとしておられるだろうと思いきや
調べるとこの時間は饗宴の儀が約三時間半続くと
出ていた。

一連の行事がおわったらしばらくはゆっくりしていただきたいものだなと思う。

十月二十一日

2019年10月21日 | 日記
日付を書いて十月のお大師様の日かと思う。
毎月二十一日は弘法大師の縁日ということになっている。
だからどうというわけではないけれど。
ちょっとここ二日くらいある人と京都の東寺の話をしていたから
そのことを思い出した。
先日、小池東京都知事がオリンピックのマラソンが
札幌開催の流れになっていることについて
北がよければ北方領土でやれば
というようなことを言ったと新聞でも話題になっていた。
この事に関して今朝のラジオでは
小池知事は東京から札幌にマラソンを移すことについて
一言も相談を受けていなかったので
怒りぷんぷんになってあのようなことを言った可能性が
高いとのことだった。
まあ、そうであるならばあの人は気に入らんと
怒って話にならんから、小池に話をするのは
事後にしようということになったのかもしれない。
あくまで僕の想像だけれど。
そういうのって会社でも政治の世界でもかなりありうることだと
思った。
僕の勤めていた会社であの人は会議に必要ないけど
会議によばんと怒って面倒だから
というような理由で会議に呼ばれていた人がいた。
しかしその人はなんだかんだ言っても
定年までつとめてさらに嘱託として
3年延長雇用されて会社をやめた。
特に偉いさまになったわけではないけれど
最低限の役職はもらっているという感じだった。
その人の場合、意地を張っただけの成果は会社で出たのかも知れないと
思った。
人間その立場立場や
持って生まれた性格によって降るまいかたも変わってくるものだなと思う。




人生の嵐

2019年10月20日 | 日記
今日は隣の町の芸術劇場に
隣町の音楽家協会に属する方々の
演奏会を聴きに行った。
プログラム前半の最後に連弾で
シューベルトの人生の嵐という曲が演奏された。
なんか素晴らしいと思った。
曲の中間で音楽が静かになるところは
神秘的で天国的な美しさ。
これは素晴らしかったと思って
家に帰ってきて調べると
交響曲第9番のドイッチュ番号が944で
人生の嵐のそれが947。
シューベルト晩年の作品であることが
推測される。
モーツァルトもケッヘル番号が
500を越えてくると
作品の透明感が高くなってくる。
シューベルトも晩年はそうなのだろうと思った。
シューベルトやモーツァルトのように短い生涯でも
晩年の作品はなんか霊的に高いものになってくる。
それは不思議と言えば不思議だな思う。

マラソンは札幌か

2019年10月18日 | 日記
東京オリンピックのマラソンの会場が東京から札幌に
移るという話がでていると最初に聞いたとき
それはいいことと思った。
東京のような暑いところで一年で一番暑い時期にマラソンを
するより札幌の方がそれはいいだろうと。
今朝ラジオでその話題が出ていた。
パーソナリティはスポーツというのは暑さとかそういう条件とも
戦うものであって暑いから涼しい場所というのは
どうかというような趣旨の橋本五輪大臣の意見を
紹介して僕も安易に暑いから札幌というのは
賛成できないというようなことをいっていた。
東京でもマラソンの暑さ対策で工事にすでに
かなりお金を使っているし
出場する選手も東京の暑さを想定して
それなりに出費もして練習をしてきている
ここにきて札幌に変更というのは選手の
ためにも必ずしもいいとは言えないという話も出ていた。
それに暑さで過酷な競技はなにもマラソンだけではないとも。
そういわれればそんな気がしてくる。
パーソナリティは結局、放映権を持つ人が
マラソンをどういう出し方で放送したいのかという
ことで話が進んでいる可能性もあると示唆していた。
そしてその利権の中核にあるのは
アメリカであるという話も出ていた。
もう日本はアメリカのポチと言われてます。
戦争に日本は負けたから
外国からの圧力に日本は本当に弱い
いまだに負けを引きずっているというような
話もパーソナリティはしていた。
なんか聞いているとそういわれればご道理ごもっとも
という気持ちになってくる。

でも、本当にこんな話になってくると
日本のように蒸し暑い国でなぜよりによって一年で
一番暑い時期にという気持ちにもなってくる。
前回の東京オリンピックは秋だったのに。
もちろんいいオリンピックになることを祈っているけれど。

新聞には小池東京都知事が
涼しいところというのであれば北方領土でやったらどうか
と発言したと書いてある。
その真意を問われ
突然の札幌で北の方だから選ばれたと言うことだったので
一案として申し上げた と述べたと出ている。
新聞は前後の文脈はすべて切り取って
この発言を出している。
しかし出ている限りの発言を読むと
めちゃくちゃ嫌みで性格悪い感じのなおばちゃんのような
発言になってしまっている。
いつか選挙の時に小池さん
不用意に「排除する」という言葉を出してしまって
一気に支持を失ってしまったことがあったと記憶している。
要所要所で新聞にこういう取り上げかたをされるって
小池さんに運がないのかそれともそういう人だから
そうなるのか。
新聞を読んだだけではわからないけれど、、、。
涼しいところがいいというのであれば北方領土という言葉を読んだときに
いつか会社の上司と食事にいって注文の時に
僕が「とりあえず最初は炭水化物をとって腹をふくらせます」といったら
「炭水化物ということであればこのおにぎりセットとうどんと
焼きそばにしたら」
と言われてむっとしたことを思い出した。
炭水化物なら何でもいいと思っているわけではないと。
涼しいから選ばれたという言い方は
その部分だけとりあげると札幌という魅力的あふれる町にたいして
あまりにも失礼であるように思える。