ケンのブログ

日々の雑感や日記

初夏もだんだん深まって。

2019年05月17日 | 日記
何日か前の新聞の人生相談に
30代の女性から
死ぬということを考えると
なんとも言えない気持ちになるというような相談があった。
みんなそういうことをどうやり過ごしているのかと。
回答は考えても仕方のないことを考えないこと
という趣旨でかかれていたように思う。
僕もやがて自分も死ぬんだなと思って
なんともどんよりした気持ちになることはある。
最初にそれを経験したのは小学校一年か
二年くらいの時だった。
ずっと死んだらどうなるんやろうとか
そういうことを考えていて
なんかどんよりした気持ちになった。
たまたま学校で席が近かった女の子に
「死ぬの怖くない?」と聞いてみたことがある。
その子はしばらく考えて
「うん、でもみんなと一緒に死ぬんなら怖くない」と言った。
その答えを聞いて僕はまだ子供だったけれど
それはすごくまっとうな考え方だと思った。
みんなで死ぬなら怖くないという感じかたは
とてもありうることだと思った。
僕の人生であのときほどまともに
誰かに死ぬの怖くないときいたこともないし
あのときほど明確な答えが帰ってきたこともないなと思う。
二回目は中学生のころ死んだらどうなるんやろうと思ったら
とても落ち込んで休み時間も落ち込んでいて
冗談をいってふざけあっている友達を見て
生きている時間はどんどん短くなっているのに
みんなよくのんきに冗談なんか言ってられるわと思った。
今はなにかといろんなことにとりまぎれて
死んだら、、と思うことは
その時に比べるとなくなったけれど
それでも時々ふっと心のすきま風が吹くように
死んだら、というか死ぬときはどんな感じなんだろうと思うことがある。
どんな感じなんだろうと思っても
死んだらこんな風だったよと実際に死んでみて
語ってくれる人がだれもいないので
うーんどんな感じなんやろうと思うだけになってしまう。
小中学生の頃のように死んだらどうなるんだろう
という思いは減った。
その代わりに死ぬときはどんな感じどんな思いなんだろう
と思うことが多くなった。
僕はこれでも若い頃は
勉強して名が残るような
有名な人になりたい
とか名が残るような実績を残すような人になりたいと思ったことがある。
もうこの年になって
有名にもならず、これと言った実績もなければ
知名度、実績という点では
だいたいこの程度で僕も人生も終わるのかな
と思ったりすることがある。
そう考えるとうーん、いざ死ぬときになって
もっと実績をあげとけばよかったと後悔したり
しないだろうかとか思うことがある。
しかし、還暦近い年になって
今さら実績とかあせってもそれはそれでしんどいし
無名なら無名の気楽さもあるしと思うと
いよいよ考えが堂々巡りになってしまって
あかん、お念仏をとなえて
余計なことを考えないようにしないとという流れになってしまう。
金光さんの本に
いざ死ぬというときになってうろたえないように
日頃から信心しておくことが大切という趣旨のことが
書いてある。
僕自身もそういう金光さんの言葉を
ほんとうに体得しているとは言いがたい。
ただ、最近できれば楽に安心して死ねますように
と祈ることもひとつの祈りの要素かなと思うことがある。
お釈迦様の言葉にお互いにやがて
自分が死ぬことを意識していたら
この世の争いはかなり静まるという趣旨のことが
書いてあるけれどそれはほんとうにその通りだなと思う。