ここ数日ぐっと寒くなったけれど
今日はまたに日中は暖かいお天気になっている。
ラジオではまた過ごしやすさが戻ったといっていたけれど
あまり暖かいとまた来年に大きな台風になったりするのではないかと
逆に心配になってくる。
台風は熱帯低気圧で暖かい空気で勢いが増すというようなことが
どこかに書いてあったような気がするので、、、。
青少年センターに来ている高三とおぼしき女の子が先日
友達とこんな話をしていた。
「ヒロトとはな、中学の時は仲がよくて塾でもいつも
一緒やってん。でもな、高校になったら全然、話しなくなってな。
それで二年以上過ぎてもうてん。
3ヶ月くらい前にほんまに久しぶりにちょっとだけ話してな、
それから、少しだけ話するようになったけど
今、もう一回ヒロトと話ができるようになるためのリハビリ期間やねん。
ちょっと練習せんと、もう一回話できるようになれへんわ」と言っていた。
まあ、僕にも高校生の時というのはあったので
こういう感覚は自分がその年齢だった頃にさかのぼれば
なんとなく理解できる。
本当に人間の十八才くらいの時の感覚
それに感性というものは独特のものだなとしみじみとおもう。
この年齢の時を逃したらきっともうこの感性は
戻らないと思う。
自分の経験上、、、。
一昨日自宅近くのR八幡宮に紅葉を見に行った。
ちょうど木の半分くらいが紅に染まった状態で
一本の木のなかに緑から紅のグラデーションが綺麗に出ていた。
こういう状態の時の紅は
まだ染まりはじめの紅だからかなり明るい色をしている。
紅でありながらなんかそこに光があるように思える。
今にも散りそうな葉の深い紅もいいけれど
光をたたえた紅はもっといいかなと思う。
僕にとってはまさに見頃という感じだった。
いつか京都の紅葉の名所のお寺に行ったら
そこに観光客から電話がかかってきていた。
紅葉が見頃かどうかの問い合わせの電話だった。
お寺の住職は本当に答えにくそうにして対応しておられた。
それはそうだと思う。
一口に見頃と言っても人によって感じ方が違う。
それでもHK電鉄の駅に出ている沿線の紅葉だよりのポスターを
見てみると多くの場所で見頃と表示してあった。
それは、妥当な判断だと思った。
お宮の境内の木が倒れていたりほこらも
倒れているものが一部あったので
宮司さんの奥さんとおぼしき方に聞いてみると
今秋の台風でやられたとのことだった。
でも木がほこらの間に倒れたので
ほこらの被害は最小限で住んだ。
やはり神様のものはそういうところで守られるのかと思った。
と宮司さんの奥さんはおっしゃっていた。
影ながら復旧を祈っておりますと僕は言ったけれど
あとで考えてみたらお宮の境内は宮司さんの家族にとって
自分の家の庭のようなものだから
庭の木が倒れるような台風が来たら
生きた心地がしなかっただろうなと思った。
それでも参拝客には早い復旧に努めますので
ご不便おかけします、と言わなければならないので
宮司さんの家族もそういう点は大変だなと思う。
昨日は大阪でマラソン大会があったらしく
ラジオのリスナーの方から
「昨日はじめて一度も途中で歩かずに完走できました。
でも今日は足が痛くて階段をまともに降りられません」という
お便りが来ていた。
タイムは二の次で、まず一度も歩かずに完走。
それが初心者の達成感になるのはマラソンをやったことのない
僕にもなんとなく想像がつく。
みんな、それぞれの段階に応じて目標があるのだと思う。
今、ロビンソンクルーソーという小説を読んでいる。
子供の頃、少年少女向きに抄訳したものを読んだことはあるけれど
大人向けの完訳を読むのははじめてだ。
この小説にロビンソン・クルーソーが、自分の境遇に
ついてプラスの側面とマイナスの側面を
書き出していく場面がある。
無人島にひとりですむことになったのはマイナスかもしれないけれど
船が難破したのに自分だけ生き残ったのはプラスだった。
無人島での暮らしがきつい点はマイナスだけれど
幸い難破した船からいろいろ生活用品を持ち出すことができたので
それは実に幸運でプラスの側面だ。という具合に。
そうだな、こうやって自分の境遇について
プラスの側面とマイナスの側面を書き出すことは
自分の境遇のなかで何がおかげさまなのかを
知る上でとても大切なことだなと改めて考えさせられた。
今日はまたに日中は暖かいお天気になっている。
ラジオではまた過ごしやすさが戻ったといっていたけれど
あまり暖かいとまた来年に大きな台風になったりするのではないかと
逆に心配になってくる。
台風は熱帯低気圧で暖かい空気で勢いが増すというようなことが
どこかに書いてあったような気がするので、、、。
青少年センターに来ている高三とおぼしき女の子が先日
友達とこんな話をしていた。
「ヒロトとはな、中学の時は仲がよくて塾でもいつも
一緒やってん。でもな、高校になったら全然、話しなくなってな。
それで二年以上過ぎてもうてん。
3ヶ月くらい前にほんまに久しぶりにちょっとだけ話してな、
それから、少しだけ話するようになったけど
今、もう一回ヒロトと話ができるようになるためのリハビリ期間やねん。
ちょっと練習せんと、もう一回話できるようになれへんわ」と言っていた。
まあ、僕にも高校生の時というのはあったので
こういう感覚は自分がその年齢だった頃にさかのぼれば
なんとなく理解できる。
本当に人間の十八才くらいの時の感覚
それに感性というものは独特のものだなとしみじみとおもう。
この年齢の時を逃したらきっともうこの感性は
戻らないと思う。
自分の経験上、、、。
一昨日自宅近くのR八幡宮に紅葉を見に行った。
ちょうど木の半分くらいが紅に染まった状態で
一本の木のなかに緑から紅のグラデーションが綺麗に出ていた。
こういう状態の時の紅は
まだ染まりはじめの紅だからかなり明るい色をしている。
紅でありながらなんかそこに光があるように思える。
今にも散りそうな葉の深い紅もいいけれど
光をたたえた紅はもっといいかなと思う。
僕にとってはまさに見頃という感じだった。
いつか京都の紅葉の名所のお寺に行ったら
そこに観光客から電話がかかってきていた。
紅葉が見頃かどうかの問い合わせの電話だった。
お寺の住職は本当に答えにくそうにして対応しておられた。
それはそうだと思う。
一口に見頃と言っても人によって感じ方が違う。
それでもHK電鉄の駅に出ている沿線の紅葉だよりのポスターを
見てみると多くの場所で見頃と表示してあった。
それは、妥当な判断だと思った。
お宮の境内の木が倒れていたりほこらも
倒れているものが一部あったので
宮司さんの奥さんとおぼしき方に聞いてみると
今秋の台風でやられたとのことだった。
でも木がほこらの間に倒れたので
ほこらの被害は最小限で住んだ。
やはり神様のものはそういうところで守られるのかと思った。
と宮司さんの奥さんはおっしゃっていた。
影ながら復旧を祈っておりますと僕は言ったけれど
あとで考えてみたらお宮の境内は宮司さんの家族にとって
自分の家の庭のようなものだから
庭の木が倒れるような台風が来たら
生きた心地がしなかっただろうなと思った。
それでも参拝客には早い復旧に努めますので
ご不便おかけします、と言わなければならないので
宮司さんの家族もそういう点は大変だなと思う。
昨日は大阪でマラソン大会があったらしく
ラジオのリスナーの方から
「昨日はじめて一度も途中で歩かずに完走できました。
でも今日は足が痛くて階段をまともに降りられません」という
お便りが来ていた。
タイムは二の次で、まず一度も歩かずに完走。
それが初心者の達成感になるのはマラソンをやったことのない
僕にもなんとなく想像がつく。
みんな、それぞれの段階に応じて目標があるのだと思う。
今、ロビンソンクルーソーという小説を読んでいる。
子供の頃、少年少女向きに抄訳したものを読んだことはあるけれど
大人向けの完訳を読むのははじめてだ。
この小説にロビンソン・クルーソーが、自分の境遇に
ついてプラスの側面とマイナスの側面を
書き出していく場面がある。
無人島にひとりですむことになったのはマイナスかもしれないけれど
船が難破したのに自分だけ生き残ったのはプラスだった。
無人島での暮らしがきつい点はマイナスだけれど
幸い難破した船からいろいろ生活用品を持ち出すことができたので
それは実に幸運でプラスの側面だ。という具合に。
そうだな、こうやって自分の境遇について
プラスの側面とマイナスの側面を書き出すことは
自分の境遇のなかで何がおかげさまなのかを
知る上でとても大切なことだなと改めて考えさせられた。