●第五章 奴隷―「党生活者」結婚の資格
多喜二は「党生活者」のに「性」の〈犠牲〉を見てはいたが、「家庭生活」の〈犠牲〉は見えていなかったのだろうか――。そうではない。以下に多喜二の回答がある。
―「ヨシちゃんはまだか?」
私は頬杖をしながら、頭を動かさずに眼だけを向けて訊いた。
「何が?」
伊藤は聞きかえしたが、それと分ると、顔の表情を(瞬間だったが)少し動かしたが、
「まだ/\!」
すぐ平気になり、そう云いった。
「革命が来てからだそうだ。わが男の同志たちは結婚すると、三千年来の潜在意識から、マルキストにも拘らず、ヨシ公を奴隷にしてしまうからだと!」
と須山が笑った。
「須山は自分のことを白状している!」
と伊藤はむしろ冷たい顔で云った。
「良き同志が見付からないんだな。」
私は伊藤を見ながら云った。
「俺じゃどうかな?」
――伊藤と互角で一緒になれるような同志はそんなにいまいと思っている。彼女が若し本当に自分の相手を見出したとすれば、それはキット優れた同志であり、そういう二人の生活はお互いの党生活を助成し合う「立派な」ものだろうと思った。――私は今迄こんなに一緒に仕事をして来ながら、伊藤をこういう問題の対象としては一度も考えたことがなかった。だが、それは如何にも伊藤のしっかりしていたことの証拠で、それが知らずに私たちの気持の上にも反映していたからである。
「責任を持って、良い奴を世話してやることにしよう。」
私は冗談のような調子だが、本気を含めて云った。が、伊藤はその時苦い顔を私に向けた……。
ここで多喜二が「わが男の同志たちは結婚すると、三千年来の潜在意識から、マルキストにも拘らず、ヨシ公を奴隷にしてしまう」とマルキストであろうと、「ヨシ公を奴隷」にする旧態依然とした生活態度があることを指摘している。「三・一五」の冒頭での「ローザを知っているか」という問いかけも多喜二の女性への視点を象徴的に示している。ローザとは、虐殺されたドイツ共産党の女性革命家のローザ・ルクセンブルグのことだ。
―私たちは「エンコ」する日を決め伊藤が場所を見付けてくれることにした。いよいよ最後の対策をたてる必要があった。
「あんた未だなす?」
伊藤が立ち上がりながら、そう訊いた。
「あ。」
と云って、私は笑った、「お蔭様で、膝の蝶ちがいがゆるんだ!」
伊藤は一寸帯の間に手をやると、小さく四角に畳んだ紙片を出した。私はレポかと思って、相手の顔を見て、ポケットに入れた。下宿に帰って、それを出してみると、薄いチリ紙に包んだ五円札だった。
〈伊藤〉は綺麗な顔をしていて、経済的に困っている佐々木に五円をみついだり、よごれたシャツをみつけ新しいシャツをプレゼントしてもくれるなど気配りがゆきとどいている。そればかりか、未組織のオルグとして有能な稀有な活動家だ。佐々木の気を惹くには十分な女子力をもっている。佐々木にとっては、その女子力と美貌がオルグとしての能力の前提でもあるらしい。
〈伊藤〉が、「良い奴を世話する」という佐々木に、苦い顔をむけたというのは、〈伊藤〉は〈笠原〉と同じように佐々木に好意以上のものを持っているということを意味する。一度は「俺じゃだめかな?」と〈伊藤〉の気をひきながら、この言葉を「冗談」だととりさげるなど佐々木の告白はズルイ! 佐々木は〈笠原〉より、〈伊藤〉にも男性としての好意を示している。しかし、この小説の範囲では「好意」の告白以上のものではない。
――最近ビラや工新の「マスク」が、女の身体検査がルーズなために女工の手で工場に入っていると見当をつけて、女工の身体検査が急に厳重になり出している。それで当日は伊藤が全責任を持ち、両股がゴムでぴッしりと強く締まるズロースをはいて、その中に入れてはいること。彼女は朝Sの方からビラを手に入れたら、街の共同便所に入って、それをズロースに入れる。工場に入ってからは一定の時間を決めて、やはり便所を使って須山に手渡す方法をとる。ビラは昼休に屋上で撒くこと。それらを決めた。
〈笠原〉は〈伊藤〉になる可能性はあったか?〈笠原〉は想像の産物だったか?〈伊藤〉は想像の産物だったか? 多喜二にとって、女性が自覚的に立ち上がることなくしては、全労働者階級の団結を獲得することも、労働者と農民の同盟を図ることも(「不在地主」の労農同盟の先頭にも女性たちがいた)ないことは、多喜二の作品を少しでも読むものにとっては理解されることだろう。平野謙のように「党生活者」の〈笠原〉への佐々木の態度の一面だけで、「『党生活者』に描かれた〈笠原〉という女性の取り扱いを見よ。目的のためには手段を選ばぬ人間蔑視が「伊藤」という女性とのみよがしの対比のもとに、運動の名において平然と肯定されている。そこには作者のひとかけらの苦悶さえ泛んでいない」(「ひとつの反措定」」『新生活』 四六年四、五月合併号)と批判することは、誤読というだけではなく、多喜二とその作品を誹謗・中傷する目的で意図的に書かれたとしか思えない。
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