霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

霊は、なぜのりうつるの?

2012年02月13日 | 心霊現象
地上人が被害妄想的に言えば、このように言ってしまうのだ。
つまり、霊界の彼らに「なぜ、のりうつるの?」と。
彼ら霊界から言わせれば、こうなる。
「なぜ、我々を呼ぶのだ!それも、毎度毎度・・」と。
前にもご紹介したが、地上人の念が、霊を引き寄せるという事だ。(悪い場合が多い)

それぞれが、自分の立場でしかものを言っていないことになる。

しかし、結論からいえば「救われる」ためである。
今いる霊界から解放されるか、あるいはより高い霊界へ行かせてもらうためである。
肉体ある地上の生活で、やるべきことをやらなかったからである。
中途にして終わらざるをえなかったがゆえに、以後継続してほしいゆえである。
やるせない想いを、果たしたかったゆえである。そしてまた、消しようのない怨念を昇華してほしい
からである。
過去人の時代背景は、様々である。そして「のりうつる」人の魂の叫びは一様に切々たるものがある。
しかし、いかなる時代に生きたにせよ、いかなる想いがあったにせよ、真理を知らず、天法を知らず
「人の道」を生きなかった人間の霊(魂、心)は、それぞれの霊界の場所に留まって、ひたすら
救われることを願い、待ちわびている。
その出入り口を私は「霊界の門」と呼んだ。

まだまだ死ねなかった人達の、地上での未練が、我々地上人をして達成させようという理(ことわり)
である。
では、のりうつられた地上の人間は、それを知っているか。
否、ほとんど知らない。全く知らないで、日々忙殺されている。
自分の守護霊の存在すら、知らない人が多いのだ。いや、霊そのものの存在さえ、否定しかねない。
自分の人生は、自分一人で何もかも切り開いたと思い込んでいるのだ。
先祖の力、守護霊の力、霊界の力なぞ、くそくらえなのだ。
自分にそんな力が働くわけがない!・・・左脳の力は、そのような縁をいっさい否定する。
「まてよ、ひょっとしたら・・・」と思わせるのは右脳の力だ。が、ほんとうにわずかな部分しか
占めていない。

例えば、大病をする、破産する、愛する人を失う、不慮の事故、一家離散等々。
占いでいえば「凶」と出るこの事実を、あなたは何と分析するか。
思いもよらないこの大不幸が、わが身にふりかかったとき、何と思うか・・・。
道は二つに分かれる。(左脳的と右脳的といってもいい)
一つは、お定まりの「お祓い」である。地上人はたいがい、悪霊にでもとりつかれたかと、
「お清め」や「除霊」へと走る。必死になって取り除こうとする。
もう一つは、何かの意味を探ろうとする。
あながち悪い作用というわけではなく、今の自分に何かを知らせようとしているのではないか、
と考える。
親との死別、兄弟離散、婚約の破棄、故郷を去る・・・と、どれひとつとっても、望まない事だ。
しかし、右脳はそれを、否定しない。肯定するのだ。
その現実がどこから来たのかは、今はわからない。
しかし、もっと自分の生き方を変えるか、修正すれば、何かが見えてくるかもしれない、と
考えたら・・・。
それがもし、本当に「悪霊のたたり」だとして、この作用をした「悪霊」が救われるのだ。
地上人の謙虚さと、深い考えによって救われていく。結果的に「良いこと」を生み出したから
である。

以前私がご紹介した「守護霊」との会話は、霊界からの「しくみ」を主に説明した内容
で占められている。
地上人の「今」が、のっぴきならない事に陥っているその意味を、知りたがったから、教えたに
すぎない。今を早く良い方向にむけるのもまた守護霊の勤めといえば、そうなるからだ。
せっかくのチャンスを、違う角度から問うたら、何と答えただろうか・・・。
つまり、「真理」や「天法」や「神」や「罪」のくわしい説明を乞うたらどうだったのか、という
事である。
今になってこんな事を言うのも何だが、私は「聞き出しっ放し」を恥じている。
彼らが、一生懸命に対してくれた心に比べれば、地上人はその時のがれの、心ない有様であったと
反省している。


救う手立てを示さずして、地上人の勝手を優先してしまった「罰」を甘んじて受けなければ
ならない。
彼らが知りたがった「真理」「天法」「神」「罪」「人道」を、この場をかりて書き続けている
のもまた、このブログの目的でもある。
守護霊達と一緒に、日々精進するつもりでいる。
私が教えてやるのではない。
彼らが知りたいと思う事が確実にある場所へ、彼らが私を導くであろう、と思っている。
そこへ私が行く。どこへ行って、何を聞いたかは、必ず報告する。
おかしいと思った内容は、必ず言う。彼らが知っていることであれば、わかるように私を導いて
くれ、と願う。私の祈りは「会話」だ。形ない者に対してではあるが、はっきりと、克明に語る。
結果は待つ。形にはとらわれない。どんな方法でもいい。
夢、絵画、読みかけの本、TVドラマの中の誰かの台詞等々・・・。
一度は電車の中の、おばちゃんたちの会話の中にヒントがあった。
実にみごとに答えがくる。こうして、今の私がある。極端に言えば、死なずに生きている。
一度、みなさまもその身を預けてみたら、わかりますよ。誰に?霊界に、です。

この「運命共同体」の形こそが、霊界と地上界の救いのポイントと申したら、おわかりいただけますでしょうか。「もちつ、もたれつ」「ギブ、&テイク」といったら、軽すぎますかしら・・・。


「のりうつり」という言葉が、おどろおどろしていると嫌う方は、「協力」「共助」「協助」等
と呼ばれてもいいでしょう。
どんな言い方をしても、守護霊は血統的につくものであることには、変わりはありません。
そして、その心根が一番近いとみた者(同性)に共生します。
つまり、あの夢の中の「中国の女」のように、『あなたは私であり、私はあなた』だと。
形も重さもない守護霊ですが、どうぞ常に意識することをお忘れなく、日々お暮しになってくださいますよう、私からもお願いいたします。