霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

霊感の強いあなたへ「霊感商法」って何?  2

2012年02月26日 | 心霊現象
そうだ、その昔「免罪符」というのがあった。
日本の事ではない。西洋の歴史だ。

 『中世末期、カトリック教会が財源確保のため、行ったという「免罪符」。
  金を出して罪や責めをまぬがれようとしたという。
  これがルターの「宗教改革」の発端となったということだ。』

ものの本には、このように解説する。

部外者からみれば「現代版免罪符」にも見える。
本当のからくりは、わからない。意図が見えない限り、悪とも善とも言い難い。
「救い」は、どんなところにあったか、もう一度守護霊の言葉を探してほしい。
切に救いを願った「彼ら」が、何をしてほしいと願ったかを、もう一度思い起こしていただきたい。
答えは、そんなところからでも、導き出せる。

霊感商法は、「信仰」あるいは「救われたい」という人の心をうまく利用したといえば、そうなる。
この救いの手法は、今でもあちこちにある。
「お賽銭箱」がそれだ。といったら、石が飛んできそうだ。
あたりまえのように、日本では「賽銭箱」にいくばくかの金を投げ入れる。
それが言い方は悪いが、免罪符といえばそうなる。符を買わないだけだ。
私達が投げ入れる金額からいえば、「免罪符」というよりも、「あいさつ料」くらいになる。
「お参りに来ましたよ~、よろしく」といったところか・・・。
金額がかわいいものには、目くじらはたてない。日本の風習にも、怒りはしない。
では霊感商法すれすれなのに、なぜ、笑って終わるのか?
やはり金額だ。そして、その「霊界のたたり」を押し付けるその手法。
そこに原因がある。争いごとになる原因の一つは、また霊界の怒りがある。日本の霊界の怒りだ。
「霊界はそんなんじゃ、ない!」という怒りだ。

霊界は全てを見破っている。と、申し上げる。
どんなに偉い人が、どんなにありがたい「おことば」を発しようが、霊の世界はその心を見て、
知っている。少なからず、守護霊や善霊といわれる霊たちにおいては、である。
「被害者友の会」?とかいう会員の人から話を聞かされたことがある。

 「水子がいると言われても、よくわからない。先祖が、と言われても、聞いたこともないし・・
  先立った夫がといわれても、よくわからない。
  親戚をみれば、一人や二人は死んでいる。そんなこと言われたってね・・」

結局、あの世のことを話題にされたら、勝負にならないのだ。
なぜ?いままで、何も知らなかった?・・・いや知ろうとしなかった?
自分の過去性や先祖を聞かされても、実感がないのだ。
この事をよくとれば、今この時に呼び出して、先祖が語ってくれたと思えばいい。
また今後ともよろしくと、言っているのかもしれない。
いままでの「あなた」の怠慢と無知がそうさせた、ともいえる。
そして、わからないから、また、と出直せばよかったのに。でも買ったんじゃ仕方ない。
高い授業料を払ったと考え、反省したか?・・しなかった。「騙された」の被害妄想になった。
とまあ、買い手にまわった「その人」の言い分は、山ほどある。
しかし、やはり原因は自分にもある、と思わなければならない。

そして、「売り手」のほうが見えてくる。
本当に霊界はそうなっているんですか?という事を詰める必要がある。
そうでないと完全に「人の弱みに漬け込む」、という悪事が成立する。
人の無知に付け込む「悪事」だ。これはもう「救い」ではない。

霊感の強いあなたへ、問う。
水子ってたたるんですか?
先立った夫が地獄にいるって、なぜわかるの?
血統や先祖、そして「その人」の霊的背景がすぐわかるのですか・・・?

いろんな質問を投げられる人は、まだいい。
言いくるめられて、一瞬その気になって、弱さもあり、とうとう買ってしまった。
ということは、充分考えられる。

大人が、破格な金額で売買しょうとする事に、ちゃちは入れたくないが、話を聞いているうちに
だんだんと腹がたってきた。
「どいつも、こいつも」(言葉が悪いのは承知の上だ)、霊界を「だし」にして!!
失礼、千万ではないか!と。
売り手も売り手だ、どのくらい正しく「その人(買い手)」の背景を知っているのだ。そして、
どのくらい祈ったの?・・・、買い手の先祖が泣くくらい、心をこめて・・・。

先祖を知らない者と、売ることが先に立った者との、「心」無き小競り合いである。
結論はここにある。(またまた、「喧嘩両成敗」だとでも?と言われそうだが)やはり
神を先に担いだ者のほうが、罪は重い。
時代劇ではないが、「やっつけ仕事」の「急ぎ働き」まがいの下品さが、見え隠れする。
神の世界も、救いの世界も、そんなところには、無い。

しかし、霊界からのお叱りを日本中が、その時頂いたと思えば、実に必要なありがたい事だった
のだ。全国の札束が飛び交い、怨嗟の声も飛び交った「あの時」を、忘れてはいけないのだ。

「それ」をいいチャンスとして、自分の先祖や血統や過去性に、もう一度改めて目を向けた人が
いたとしたら、あなたの勝ちだ。
あれだけの「渦」の中から不死鳥のように蘇った人が、もしいたら、その「あなた」に喝采を送ります。結果、「霊感商法」も捨てたもんじゃない・・・と。



霊感の強い「あなた」の答えが、是非聞きたいものです。
論評でもいい、感じたことでもいい。
「霊感商法」って、何?と問われたら、自分だったら、何て答えるかなぁ~という事です。
コメントも送ってください。楽しみにして、待っていますから・・・



霊感の強いあなたへ「霊感商法」って何?  1

2012年02月26日 | 心霊現象
またまた今日も、「霊感の強いあなた」への問いかけです。
世の中に起こっている事象、現象を、どのように見ておられるのか。
これも、先に問うた「マインドコントロール」のように、一つの問題提起だと思ってください。
私から、「あなた」への問いかけです。

直接関係がなかった方も、考えてみてくださいね。
「私なら大丈夫。そんなのに、引っかからないから・・」とおっしゃる方。
「騙(だま)すなんて、とんでもない事をよくするわねぇ~」と、目を吊り上げる方。
皆様は、どっち?
時々、こんな応用問題が出ると、自分の霊感が客観的に見られて、いいでしょう?
「売り手」でもない、「買い手」でもなかったあなたでしたら、冷静に、事を分析出来るかも
しれません。
もし、「その」どちらか一方に一役かっていたとしたら、また違った分析をする事でしょう。
私がこれから何を書こうとしているかは、そのどちらでもないから書けることと、霊界という
ものを「仲介」とした事によって生じた「あの世」と「この世」の絡み合いの奥を、考えてみる
という事です。


私の「分析」は、あくまでも私の思いです。皆様の思いからくる分析を大事にしてくださいね。
こんな「宿題」?が出ると、考えることになり、自分と向き合えるチャンスともなって、案外
整理ができていいのでは?(私の勝手な思いでしょうか・・・)


今現在は、鳴りを潜(ひそ)めたが、ひところは大変だった。
報道が騒がしかったこともあるが、国中にその「被害者」が続出した事で、また驚かされた。
「霊感商法」とはよく言ったものだ、と感心する。ネーミングが意味シンなのにも、関心する。
ただ、売り手の「悪意」だけは、しっかりと伝わってくる。霊感商法は、「詐欺」ですよと、
言っているのだ。ネーミングと、報道の勝ちだ。
霊感商法を定義づけるのは、難しい。いや、言葉を代えれば、「そのたちの悪さ」は、信仰という
目に見えないものが間に入るからだ。
神や仏が「仲介」にならなければ、「詐欺」の一言で片づけられる。
しかし、神がかり、仏がかりでは、この「商法」ばかりは手が出せない、となる。

一つは、その当事者、つまり買い手(今は自ら被害者といっている)が、その時点において、
信じたという経緯がある。
有無を言わさず、刃物を突きつけ、脅迫して物を買わせたのであれば、間違いなく「犯罪」だ。
しかし、一瞬でもいい、信じたのだ。
売り手の口がうまかったから? 言い訳は何とでも出来る。しかし信じた一瞬が、救われたい
先祖の思いだったら、どうだろうか。
その気になった一瞬をキャッチして、霊界から先祖が降りてきた、とも考えられない事もない。
しかし、全てはその結果、結論にある。
途中で気が変わり、変更することを思うその心を、相手(売り手)は許してくれない(くんで
くれない)となる。
手法がどんなに「りっぱ」でも、事が成らなかったものは、神も仏も取らない。
救われる事が、売り物であり、また買い物であれば、「心から喜んで」という事が条件になる。
その人は、気が変わって止めます・・・と、はっきりとそう言いきっているのだ。
売り手は、買い手になにもすがりついてまで、救われる人を募(つの)ることもない。

商売にする以上、物をやったり、取ったりするのだろう。前者の「物」は、それらしい物であればいいし、後者の取ったりするものは、もちろん「お金」だ。
その「物」は、形あるものに、「付加価値」をつけての「代物」である以上、この世の目で計って
はならない鉄則がある。「救い」という見えないものの付加価値がついてのやり取りだ。
これは日本人がとっても好む風習でもある。
初詣や厄払いの名所は、どこも満員である。○○神社の銘菓も、有名なものは、ご利益がありそうな
錯覚をおこす。いや、信じた人には、錯覚ではなくなるだろう。
伊勢神宮の「赤福もち」は、有名だ。あれはどうか・・・。
無理に買わせようとしないからか、赤福もちが「霊感商法」だとは、誰も言わない。
そういう意味から日本をみれば、神社仏閣はある意味で、霊感商法すれすれ作戦、ともいえる。
例えば、初詣で買ってくる「破魔矢」。これはどうだ。
「おみくじ」は? そして「お守り」もある。
広い意味で言えば、みんな霊感商法だ。しかし、騙した、騙されたで訴える人はいない。
「おみくじ」に「凶」が出ても、怒らない。笑って帰る。
信じていないから、といえばそれまでだ。お遊びの一つになってしまったのかも、しれない。
破魔矢だってそうだ。安くはないものだが、一年たってみて、「ろくな年じゃなかった」といって
文句を言いにはいかない。力をいっぱいこめて、矢を折って捨てれば、おしまいになる。

しかし、「あの世」の話を間に置いて、売買を成立させる事と、それが、破格な金額であること
が、問題を起こすのだ。
そして、その内容は「救い」。先祖の救いだ。信じた分の代価だ。
ありがたいことだと納得すれば、「億」という単位のお金も惜しくはない。
そんな話を、以前にこのブログでご紹介しました。
「神さまのためなら、何をしてもいいの?」という「タイトル」だったと記憶している。

東京、東銀座「歌舞伎座」(今は改築中)のすぐ後ろにある一等地。物件はそこにある。
時価9億円。その土地とビルをそっくり、「救い」の代価にしょうとした娘の話だった。
娘の依頼で霊能者K氏は、親と親族の説得を手伝うハメになった。
親(母)の大反対が、一番の難関だった。
K氏は、全員の守護霊を降霊するつもりで、出向いたのだ。が、霊視のあと、計画を変更した。
母親の守護霊が「春日の局」とわかったことも、その一因ではあるが、何かが、潜んでいたと
後でもらしていた。それは、計略、策略のたぐいからくる霊界の気配だったと・・・。
息子の守護霊は「老中、堀田正盛(ほったまさもり)」。
ひととうりの作業が終わって、k氏は座を辞した。
原因は、先祖の霊界の反対である。
守護霊がかたる、「・・、時として罪になる」という言葉だった。
そのような事は、時として「罪」になると、守護霊が教えるのだ。
(くわしくは、ここでは略す)

「守護霊の言葉を本人に預ける」、そこまでの自分ですと、k氏は「その件」から手を引いた。
その後どうしたかは、氏も私も知らない。



<次につづく>





「あの世への準備」してますか?

2012年02月25日 | 心霊現象
道行く人や友人に、いきなりこんな事を聞いたら、ひっぱたかれそうですね?
「あの世にいく準備」と言えば、まだ聞こえはいいかもしれないが、「死ぬ準備」などと問えば、
間違いなく「縁起でもない」と、ぶん殴られるだろう。
日本人はなぜ、「死」とか「9」とか「4」が嫌いなんでしょう。
それ以上しつっこく問えば、「私に死相でも出ているの!」と、完全に気分を害して、終わりとなる。
ああ、やっぱりこんな事は、話題にするもんじゃないんですね。
でも私は「この」ために生きてきた。
雪崩で「今、死ぬ」という時、死にきれなくて、もがいた。結果、運がよかったのか、生きて
このブログを書いている。
「死ぬ」その時から、私の「あの世」へ行くという準備は、間違いなく時を刻みながら進行して
いる。(と思っている)


今は、円高だとか、治安がよくなったとかで外国へ行く人が、また多くなりました。
日本ならまだしも、外国だけは、準備なしで行ってはいけない。
まず、「パスポート」がいる。お金があると?、いやそれを見せても、国から出ることも、国へ入ることも出来ない。これは、常識。
いえ、経験するか、経験者から聞いて、わかる事なんです。初めての人には、旅行代理店とか、
搭乗員が説明するでしょう。間違いなく、希望の「目的地」まで案内されて、何の心配もなく
行くことが出来ます。
成田空港の広い中を、迷わずに進んでいけるのも、案内人がいるからです。

では、人生一度っきりでありながらも、「あの世」への案内人って、誰?
それより、私にも、あなたにもいるの?・・・ということになる。
さあ、誰なんでしょうね~。
多分、若い方なんか特に考えたこともないでしょう。

 『若いから死なないって、誰が決めた!』と、死神の台詞(せりふ)

あの時の私は、ブルっちゃいましたねぇ。岩棚にぶら下がって、しみじみ「本当だよなぁ・・・」
と、納得していたんですから。

では、何をもって、準備とするかですよね。
それが実に大きな問題なんです。
まず、誰でも頭をかすめるのは、遺産分与とか、遺言状とか、お墓とか葬式の規模等々。
それはすべて、「この世」のもの。それは私から言えば、準備ではありません。
この世の名残、未練がまだこの世を支配したいという、欲念なんです。
それは「人」がやってくれるもの。よしんば、無一文の人であっても、生きている誰かが、何とか
してくれるものです。そんな時でしょう、いい国に生まれたと、思うのは・・・。
この世を去るのに、「物」はいらない。通用しないと言ったほうがいい。
では、何?
手ぶらでいいの?いいんです。あの世は、霊界ですよ。
いっさいの肉体的五感は、通用しないのですから。・・・考えてみてください。
そうしてみると、いかに自分が分かっていなかったかが、分かります。

そこで、生きて知る「あの世」を、私が機会あるごとに、力説しています。
宗教だとか、霊能者とか、占いとか、金を積むとか・・・、みな「この世」の発想から出てきます。
私の場合は、「死ねない!」という叫びの奥にある、「無知からのおののき」が、出発点でした。
「無知」を克服すれば、安心して死ねるか・・・、そう言っても、その時になってみなければ、
分かりません。が、「死」に対する「恐怖」の一つは、払拭できると思いました。

そこで、「人間とは、何?」というテーマにぶちあたります。
越えられない大きな高い壁が、立ちはだかりました。
人間を説く真理は、何?。どこへ行けばいいの?。誰に聞くの?・・・。

そして、今に至っているのです。
なぁんだ、いつでもいいじゃないかって。自分の死ぬ日、死に方がはっきりされていないから、
生きていけるといえば、そうなります。が、行く先が、もう否応なしで宿命として与えられている
のに(霊界)、のんびりしているんですか?
ただね、これも人間がマヒした結果です。何もかも分からなくなった、つまり人間始祖から始まった
「無知」は、日々精進しなければ、自分のものとはなりません。
その人生は、多分に物質的というよりは、精神的に重点を置いた生活になることは、明らかです。
その結果、何を得るかです。

ある意味で(充分感じているんですが)、これって、すごく「おせっかい」なことなんですよね。
「いいじゃん、人のことなんて!」
今の日本は、こんな感じでしょうか。

霊界の門。行ってみなければ、わからない?
行くって、死ぬことかもしれない。往復出来ないから、この世で、教えてくれる人(守護霊)
がいれば、教わります、ということです。
霊界は、鉄則があるという事もわかりましたね。
皆様もこの世で、基礎教育を時間をかけて教わったのですから、今度はあの世の教育も、同じくらい
の時間をかけて、この世以上に熱心に学ぶ必要があるという事です。
時間の長さから言えば、比べものにならないくらい、「あの世」に住むほうが、長いんですから。
(時間の感覚自体、大きく違うんですがね)

さて、誰に案内されて「行ったことのない霊界」へ入るんでしょうか・・・。
そこでまず、第一に浮かぶのが、守護霊。当たりです。
よく聞く「三途の川」で、死んだ身内が迎えてくれるという話。
これも、あり得るでしょうね。でも、胎内から地上、そしてこれからの霊界と、三形態に渡って
お付き合いしてきた「第二の自分」のような存在に、案内されたいと思いませんか。
そのためにも、ご自分の守護霊が誰かを、知る必要があります。
心からいっても、常に通わせることの出来る唯一の味方が、誰かを知りたいと思うでしょう。

中には、「イエス・キリスト」がいると、おっしゃる。それもいいでしょう。
釈迦?日蓮?弘法大師?他エトセトラ・・・。
しっかりと、案内人をお持ちの方は、日々強い「絆」を結んでおいてください。
霊界の門は、ある程度スイスイと、フリーパスで進んで行くでしょう。
そして、その止まった所で先がまだある時、地上で学び足らなかった自分を反省して
地上の誰かと「二人三脚」をして、また先を目指してください。

・・・とまあ、こうなるんですけど。
いかがでしょうか。
「霊(心)」が、分からないと反応すれば、その門は通りぬけることは出来ません。

霊の世界(霊界)において、自分が何ものであるか、という事は大切な事柄です。
霊界の門のどこを通過して、どこに留まっているかも、知るべき重要な内容です。
そして、その先「どこ」を目指しているのかも、はっきりと認識することが霊界で通用する
ということです。
守護霊は、そんなところを知ったうえで、私たちを見守っています。

こんな事を、さらに深めるためにも、今後お互いに学びあいましょう。


私ごとですが・・・。
もう少ししたら、また「もう、いいかい~」って聞こえますからね、そしたらまた、
「まーだだよ~」って言うしかない。
いつになったら、「もう、いいよ~」と、死神に笑って言える私になれるんでしょうか。






地震と日本   2

2012年02月24日 | 心霊現象
今こそ、宗教者は「生きる神」と対話し、それを伝え、人を正しく導く必要がある。
使命を果たす時は、今だ!

地震は、「なまず」や、「動物」や「雲」や「風」に予知させるものではない。
人間の心(心霊)が、神からの声を聞くことによって、予知できるものである。
本当に「預言者」が、今のこの時にいたら・・・。
「気違い」とあざけられようと、日々その体に鞭うって「数寄屋橋」で、あるいは電柱の張紙で
叫び続けた「赤尾 敏氏」のように、「今様預言者」として姿を現すはずである。

そのような人物さえも、輩出出来なかった日本の現状であれば、間違いなく、日本は海の底に
あっけなく沈んでいくであろう。
皇紀2600年だの、「美しい日本」といったところで、沈んだら何もならない。


~大和は くにのまほろば たたなずく

    青垣山こもれる 大和し うるわし  ~

と、唄われた、はるかな万葉の時代から、いにしえの奈良を見続けた天津神は、今どこから、何を語られるのか?

そんな「日本」が、いつか「おとぎ話」のように語られる運命にならないとも限らない。

  昔、「黄金の国」といわれ、また「ジパング」とも呼ばれた小さな陸地がありました。
  今は海の底に沈んでいます。
  その国民は、実に徳高き人たちであり、和をもって尊しとして、国を興した民族では
  ありましたが、ある時の、神のお心を計り損ね、無惨にもこの世から消えました。
  ただ、「ニホン」「ニッポン」という記録が、文献に残っています。
  という事は「その国」があったという事実を伝えています。


・・・と、こうなったら。

「ムー大陸」や「ポンペイ」という都の名前を聞いたことがあるでしょう。
そして、ローマ。
人類の遺跡とか遺産とかいわれる「物」の中には、かって栄えた国や都市、そしてそこに生きた
人々の姿があった事実を知れば、「栄枯盛衰」とか「時の運」などと人事(ひとごと)のように
悠長なことは言っていられない。
「歴史に学べ」という言葉がある。
どの歴史から、何を学ぶんでしょうか・・・。

今日は、地震に対して、右往左往しながら、そのための「グッズ」を店に買いに走る人々を
見ながら、視点を変えて、「地震」を考えてみました。




霊感の「強い」そして「正しい」方々が、今こそこぞって、この国の命運を賭けて
是非、神に問いかけてみてください。

私?・・・、困ったことに「私の神」は、沈黙したままなのです・・・。 

地震と日本   1

2012年02月24日 | 心霊現象
今日も地震がありました。もう毎日のように揺れていますね?

歳がわかっちゃいますが、私は「新潟地震」を体験し、はっきりと今でも思い出します。
地鳴りとともに、縦揺れがきました。そして歩けないほどの横揺れ。(昼間の一時すぎ)
みるみるビルの壁に亀裂が走る。
「ドーン」という音とともに、火柱が空に上がる。
「昭和石油」の貯蔵された石油が全部火を噴いた。もうもうと上がる黒煙。
そのために、晴れた空が、夜のように真っ暗になり、雨雲となって、降りしきり、風を起こす。
昭和石油の火だねは、風と雨で、その勢いを増して、空を覆う。
目の前の女性が、気絶した。地面は横に激しく揺れ、地割れを起こし始めた。

まさしく「そこ」にいた私ですから、そのごとくに書いています。
これは、「まるで見てきたように物を言い」ではない、事実です。
新潟という、まあ言わば小さな地方都市の地震でもこのくらいなんですから、いざ「東京」となると
想像を絶するでしょうね。
これから申し上げることは、「地震と日本、そして神」と題したほうがよかったかもしれません。


ここ最近になって、TVを賑(にぎ)わせている話題は、地震の話だ。
30年のうちに来る!という大地震が、4年以内にくると、変わってしまった。
(その後、また変わったが)
さあ、大変だ、ということで、地震に対する準備をさかんに、国がかりで進め始めた。
富士山が噴火するとか、しないとか・・・。
以前にもあった。「天中殺」?とか何とか言ったが、その日付まで公表した。
さあ、大変!・・・しかし、噴火はなかった。
占いか何かは、知らないが、「その見立て」がはずれたら全てを否定されてしまう。
風呂敷をたたんで、逃げ出すしかない。
私はその占いをくわしくは知らないから、何を根拠に日付まで出たのかは、知らない。

しかし、この度の地震予知は違っている。
科学的な見地から出された結果だという。それも、「東大」という人心には絶対の信用をもつ
ところ(機関)からの発言だ。
信じて備えるに値する内容だと、マスコミも一役かう。
偶然は起こりえない。全て必然だと説く宗教者は、何と言う?
これに対して、「神の意図」を説く者は、どこにいる?
4年以内という時間を与えて、神は「日本の民」に何を求めているのか・・・を、示そうという
宗教家はどこにいる?そして、それは誰だ?
 『神がこうおうせになる』
これこそが、国民全員が聞きたがる「真実」であったはずである。
しかし、何も聞こえてこない。
ただ、人の心にも問題はある。苦しいときの、神だのみだ。
都合のいい時や、幸せな時は神など見向きもしない。
『神がこう、おうせになる』と、たとえ正しい内容を「誰か」が伝えたとしても、いったい
何人がその「預言」を聞くだろうか?
結婚だ、受験だ、新築だと、一応の形をとれば、心の安心が得られると、神社仏閣に詣でる。
が、この手前勝手な「信仰心(?)」で、日本の大事(厄災)が遠のくわけではない。

「このままでは、日本は亡びます」と、春日大社宮司の葉室氏は、ことあるごとに言っていると対談
でもおっしゃる。が、よほどの機会に恵まれるか、耳を「ダンボ」のように大きくしていない限り
その言葉を聞くことは、ない。
たら、れば、の話はするな、と言われるが、東京大地震と富士山の噴火が重なれば、「日本」は
終わるだろう。
日本の象徴である一つは都市、一つは山。
この二つを「壊す」という事態に人は「神の意図」を見ないのだろうか・・・。
いや、どっちが先か?
日本人の心が、形を壊してしまうまでに破壊されている今だからこそ、日本人の心の象徴である
山と、都が崩れていくのかもしれない。
形を失えば、気が付くとでも?ときとして、そこで終われば「いい教訓」にはなる。
しかし、もうそんなところで終わらない最終段階を迎えたとしたら、気が付いた時はもう遅い。
「あとのまつり」だ。
世界の中で、都が崩れ亡び、大陸が海に沈んだ例だってある。
人間で、長い歴史を生きて、自分の目で全てを見ることは、出来ない。
ましてや、日本と世界、つまり地球上の出来事を、一人で全部見ることは、どだい無理なことだ。
しかし、この人間の歴史を、見続けてきた神は、歴史の流れを知っている。

なぜローマが亡びたかもご存じだ。
大英帝国がなぜ斜陽になったか・・・。全て歴史の背景に「神の真理」という「ものさし」があった。つまり、それにかなわなかった結果が、「それ」だった・・・と。


<次へつづく>