そうだ、その昔「免罪符」というのがあった。
日本の事ではない。西洋の歴史だ。
『中世末期、カトリック教会が財源確保のため、行ったという「免罪符」。
金を出して罪や責めをまぬがれようとしたという。
これがルターの「宗教改革」の発端となったということだ。』
ものの本には、このように解説する。
部外者からみれば「現代版免罪符」にも見える。
本当のからくりは、わからない。意図が見えない限り、悪とも善とも言い難い。
「救い」は、どんなところにあったか、もう一度守護霊の言葉を探してほしい。
切に救いを願った「彼ら」が、何をしてほしいと願ったかを、もう一度思い起こしていただきたい。
答えは、そんなところからでも、導き出せる。
霊感商法は、「信仰」あるいは「救われたい」という人の心をうまく利用したといえば、そうなる。
この救いの手法は、今でもあちこちにある。
「お賽銭箱」がそれだ。といったら、石が飛んできそうだ。
あたりまえのように、日本では「賽銭箱」にいくばくかの金を投げ入れる。
それが言い方は悪いが、免罪符といえばそうなる。符を買わないだけだ。
私達が投げ入れる金額からいえば、「免罪符」というよりも、「あいさつ料」くらいになる。
「お参りに来ましたよ~、よろしく」といったところか・・・。
金額がかわいいものには、目くじらはたてない。日本の風習にも、怒りはしない。
では霊感商法すれすれなのに、なぜ、笑って終わるのか?
やはり金額だ。そして、その「霊界のたたり」を押し付けるその手法。
そこに原因がある。争いごとになる原因の一つは、また霊界の怒りがある。日本の霊界の怒りだ。
「霊界はそんなんじゃ、ない!」という怒りだ。
霊界は全てを見破っている。と、申し上げる。
どんなに偉い人が、どんなにありがたい「おことば」を発しようが、霊の世界はその心を見て、
知っている。少なからず、守護霊や善霊といわれる霊たちにおいては、である。
「被害者友の会」?とかいう会員の人から話を聞かされたことがある。
「水子がいると言われても、よくわからない。先祖が、と言われても、聞いたこともないし・・
先立った夫がといわれても、よくわからない。
親戚をみれば、一人や二人は死んでいる。そんなこと言われたってね・・」
結局、あの世のことを話題にされたら、勝負にならないのだ。
なぜ?いままで、何も知らなかった?・・・いや知ろうとしなかった?
自分の過去性や先祖を聞かされても、実感がないのだ。
この事をよくとれば、今この時に呼び出して、先祖が語ってくれたと思えばいい。
また今後ともよろしくと、言っているのかもしれない。
いままでの「あなた」の怠慢と無知がそうさせた、ともいえる。
そして、わからないから、また、と出直せばよかったのに。でも買ったんじゃ仕方ない。
高い授業料を払ったと考え、反省したか?・・しなかった。「騙された」の被害妄想になった。
とまあ、買い手にまわった「その人」の言い分は、山ほどある。
しかし、やはり原因は自分にもある、と思わなければならない。
そして、「売り手」のほうが見えてくる。
本当に霊界はそうなっているんですか?という事を詰める必要がある。
そうでないと完全に「人の弱みに漬け込む」、という悪事が成立する。
人の無知に付け込む「悪事」だ。これはもう「救い」ではない。
霊感の強いあなたへ、問う。
水子ってたたるんですか?
先立った夫が地獄にいるって、なぜわかるの?
血統や先祖、そして「その人」の霊的背景がすぐわかるのですか・・・?
いろんな質問を投げられる人は、まだいい。
言いくるめられて、一瞬その気になって、弱さもあり、とうとう買ってしまった。
ということは、充分考えられる。
大人が、破格な金額で売買しょうとする事に、ちゃちは入れたくないが、話を聞いているうちに
だんだんと腹がたってきた。
「どいつも、こいつも」(言葉が悪いのは承知の上だ)、霊界を「だし」にして!!
失礼、千万ではないか!と。
売り手も売り手だ、どのくらい正しく「その人(買い手)」の背景を知っているのだ。そして、
どのくらい祈ったの?・・・、買い手の先祖が泣くくらい、心をこめて・・・。
先祖を知らない者と、売ることが先に立った者との、「心」無き小競り合いである。
結論はここにある。(またまた、「喧嘩両成敗」だとでも?と言われそうだが)やはり
神を先に担いだ者のほうが、罪は重い。
時代劇ではないが、「やっつけ仕事」の「急ぎ働き」まがいの下品さが、見え隠れする。
神の世界も、救いの世界も、そんなところには、無い。
しかし、霊界からのお叱りを日本中が、その時頂いたと思えば、実に必要なありがたい事だった
のだ。全国の札束が飛び交い、怨嗟の声も飛び交った「あの時」を、忘れてはいけないのだ。
「それ」をいいチャンスとして、自分の先祖や血統や過去性に、もう一度改めて目を向けた人が
いたとしたら、あなたの勝ちだ。
あれだけの「渦」の中から不死鳥のように蘇った人が、もしいたら、その「あなた」に喝采を送ります。結果、「霊感商法」も捨てたもんじゃない・・・と。
霊感の強い「あなた」の答えが、是非聞きたいものです。
論評でもいい、感じたことでもいい。
「霊感商法」って、何?と問われたら、自分だったら、何て答えるかなぁ~という事です。
コメントも送ってください。楽しみにして、待っていますから・・・
日本の事ではない。西洋の歴史だ。
『中世末期、カトリック教会が財源確保のため、行ったという「免罪符」。
金を出して罪や責めをまぬがれようとしたという。
これがルターの「宗教改革」の発端となったということだ。』
ものの本には、このように解説する。
部外者からみれば「現代版免罪符」にも見える。
本当のからくりは、わからない。意図が見えない限り、悪とも善とも言い難い。
「救い」は、どんなところにあったか、もう一度守護霊の言葉を探してほしい。
切に救いを願った「彼ら」が、何をしてほしいと願ったかを、もう一度思い起こしていただきたい。
答えは、そんなところからでも、導き出せる。
霊感商法は、「信仰」あるいは「救われたい」という人の心をうまく利用したといえば、そうなる。
この救いの手法は、今でもあちこちにある。
「お賽銭箱」がそれだ。といったら、石が飛んできそうだ。
あたりまえのように、日本では「賽銭箱」にいくばくかの金を投げ入れる。
それが言い方は悪いが、免罪符といえばそうなる。符を買わないだけだ。
私達が投げ入れる金額からいえば、「免罪符」というよりも、「あいさつ料」くらいになる。
「お参りに来ましたよ~、よろしく」といったところか・・・。
金額がかわいいものには、目くじらはたてない。日本の風習にも、怒りはしない。
では霊感商法すれすれなのに、なぜ、笑って終わるのか?
やはり金額だ。そして、その「霊界のたたり」を押し付けるその手法。
そこに原因がある。争いごとになる原因の一つは、また霊界の怒りがある。日本の霊界の怒りだ。
「霊界はそんなんじゃ、ない!」という怒りだ。
霊界は全てを見破っている。と、申し上げる。
どんなに偉い人が、どんなにありがたい「おことば」を発しようが、霊の世界はその心を見て、
知っている。少なからず、守護霊や善霊といわれる霊たちにおいては、である。
「被害者友の会」?とかいう会員の人から話を聞かされたことがある。
「水子がいると言われても、よくわからない。先祖が、と言われても、聞いたこともないし・・
先立った夫がといわれても、よくわからない。
親戚をみれば、一人や二人は死んでいる。そんなこと言われたってね・・」
結局、あの世のことを話題にされたら、勝負にならないのだ。
なぜ?いままで、何も知らなかった?・・・いや知ろうとしなかった?
自分の過去性や先祖を聞かされても、実感がないのだ。
この事をよくとれば、今この時に呼び出して、先祖が語ってくれたと思えばいい。
また今後ともよろしくと、言っているのかもしれない。
いままでの「あなた」の怠慢と無知がそうさせた、ともいえる。
そして、わからないから、また、と出直せばよかったのに。でも買ったんじゃ仕方ない。
高い授業料を払ったと考え、反省したか?・・しなかった。「騙された」の被害妄想になった。
とまあ、買い手にまわった「その人」の言い分は、山ほどある。
しかし、やはり原因は自分にもある、と思わなければならない。
そして、「売り手」のほうが見えてくる。
本当に霊界はそうなっているんですか?という事を詰める必要がある。
そうでないと完全に「人の弱みに漬け込む」、という悪事が成立する。
人の無知に付け込む「悪事」だ。これはもう「救い」ではない。
霊感の強いあなたへ、問う。
水子ってたたるんですか?
先立った夫が地獄にいるって、なぜわかるの?
血統や先祖、そして「その人」の霊的背景がすぐわかるのですか・・・?
いろんな質問を投げられる人は、まだいい。
言いくるめられて、一瞬その気になって、弱さもあり、とうとう買ってしまった。
ということは、充分考えられる。
大人が、破格な金額で売買しょうとする事に、ちゃちは入れたくないが、話を聞いているうちに
だんだんと腹がたってきた。
「どいつも、こいつも」(言葉が悪いのは承知の上だ)、霊界を「だし」にして!!
失礼、千万ではないか!と。
売り手も売り手だ、どのくらい正しく「その人(買い手)」の背景を知っているのだ。そして、
どのくらい祈ったの?・・・、買い手の先祖が泣くくらい、心をこめて・・・。
先祖を知らない者と、売ることが先に立った者との、「心」無き小競り合いである。
結論はここにある。(またまた、「喧嘩両成敗」だとでも?と言われそうだが)やはり
神を先に担いだ者のほうが、罪は重い。
時代劇ではないが、「やっつけ仕事」の「急ぎ働き」まがいの下品さが、見え隠れする。
神の世界も、救いの世界も、そんなところには、無い。
しかし、霊界からのお叱りを日本中が、その時頂いたと思えば、実に必要なありがたい事だった
のだ。全国の札束が飛び交い、怨嗟の声も飛び交った「あの時」を、忘れてはいけないのだ。
「それ」をいいチャンスとして、自分の先祖や血統や過去性に、もう一度改めて目を向けた人が
いたとしたら、あなたの勝ちだ。
あれだけの「渦」の中から不死鳥のように蘇った人が、もしいたら、その「あなた」に喝采を送ります。結果、「霊感商法」も捨てたもんじゃない・・・と。
霊感の強い「あなた」の答えが、是非聞きたいものです。
論評でもいい、感じたことでもいい。
「霊感商法」って、何?と問われたら、自分だったら、何て答えるかなぁ~という事です。
コメントも送ってください。楽しみにして、待っていますから・・・