霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

血統にこだわる「神」  3

2012年02月20日 | 心霊現象
血統にこだわりがない、と言えば、聞こえはいいが、先祖を気にしないという事でもある。
救いの「しくみ」がここにある事をしれば、霊界人は何と思うだろうか。
若者の結婚も、愛があればそれでいいのか。また、金があればそれでいいのか。
親の了解はとれなければ、それでいい。二人で縁を切って、駆け落ちすればいい。
そして「婚姻届」を出してしまえば、こっちのものだ。もし、お腹に子供がいればなおのこと、
早く形をのこせば、世間は納得してくれる。
そして・・・。
生活が始まってから、いろいろなことが、徐々に起こりはじめる。
それからでいい、因縁だ過去性だなどというのは。
都合が悪くなったら、分かれて、また人生をリセットすればいい。とまあ、こうなりますか・・・。

何と私は、意地の悪い言い方をしているんでしょう。
でも仕方がないんです。そういう教育をされてこなかったのですから。
それぞれの家庭に、それぞれの教育があります。「しつけ」といっても、いいでしょう。
ですから、よりよい血統を残すとか、よりよい子を産むなどという考えは、今の若者に、持て
といっても無理なんです。よりよい血統自体、何を意味するかもわからない。よりよい子にいたっては、親のいうことをよく聞く子供くらいに解釈するでしょう。
血統にたいする意識のない者に、より良いも、より悪いもない。
「よい子」もそうだ。そのような意識の中から、神の血統だの、神の子など、生まれてくるはずがない。

では、妻マリアと、夫ヨセフはどうだったのか・・・。
この二人の意識が大問題となるのです。視点をかえれば、イエスの十字架の原因は、ここにもあると
言われているが、この話はまた別のところで。


ここで、もう一度「七つの封印の巻物」を思い出していただきたい。
ヨハネという信仰者が、パトモス島でみた黙視。

  『ユダ族のしし、ダビデの若枝である方が、勝利を得たので、
   その巻物を開き、七つの封印を解くことができる』

                (ヨハネ黙示録第五章5節)

イエスの死後、次にくる歴史の代表選手は、血統的には「ユダ族のしし、ダビデの若枝」と呼ばれる人だという。その人物が巻物の封印を解き、歴史のアンカーとして走ることになる。
と、預言しているのだ。
それは誰だ?。そこは、どこだ?。そして、それはいつだ?。

あなたは、これを信じますか?という事だ。

今世紀最大の出来事は、聖書から言えば、あるいはまたクリスチャンの一部の人からいえば、再びくる「キリストの再来」「イエスの再来」を迎えるという事だともいえる。

神の血統がこの世に残らない限り、神は「失敗の神」で終わってしまう。
人間の幸せからみてみれば、「そのごとくに創造された人」であれば、そのごとくにならない限り、
幸せは、来ないともいえる。

長々とお付き合いいただきましたが、今日のところは、このあたりで。
おつかれさまでした。

そうそう、「歴史は繰り返す」ということは、もうお聞きになって、おわかりでしょう。
イエスの時代、何がおこったか・・・それを分析すれば、これから何が起こるかはわかるでしょう。
歴史のリベンジですね。
私もまた、父のリベンジをやっているようですから・・・。

血統にこだわる「神」  2

2012年02月20日 | 心霊現象
とにかく神の血統をもった者が、この世に誕生した。
その時代背景からいえば、「王の王」としてこの世に生まれた方だ。
だからある者は、夢を見、ある者は啓示をうけ、ある者は星に導かれてやって来た。
「悪代官」ならぬ時の王は、側近の占い師が教える「凶」の内容をもって、王の座を奪う者の到来
を、阻(はば)みにかかる。全土に追ってを差し向け、殺しにかかった。
「一歳未満の男の子は、すべて殺せ!」と。
王命が下った後は、全土に悲鳴と讒訴の声があがった。そんな時代に「神の子」が誕生した。
この子は無事に育つだろうか・・・。
素人?の私達でさえ、心配になるこの実態は、あってはならない事でもあろうが、目を転じれば、
「神の子」の宿命は、サタンから取り戻すという宿命も負っている。
何を・・・。
血統と、ことばと、愛と、全てを。
へび、あるいはサタンが最も恐ろしいのは、神の子の出現である。
ヘナチョコな者が、世に出てきたってどうってことない。
しかし手ごわい「神の子」は、血統書をかざして自分に挑(いど)もうとして来るのだ。
エデンの園から今まで、「神の子」の誕生は無かった。時間がとてつもなくかかった。
その間「へび」は、安心して「この世の王」、「この世の君」として君臨した。
しかし神の子が生まれたとなると、そうはいかない。
何よりもその血統だ。逆立ちしたって、かなわない。言い方をかえれば、エデンの園のアダムが
再びこの世に蘇(よみがえ)ったということになる。
だからアダムの身代わり(二代目アダム)は、「へび」からの唆しや、危険から完全に勝つ必要
がある。
へび・サタンの試練はしつっこく、何度も何度もその手の内を代えながら、イエスに挑み続けた。
ある時は弟子に、またある時は父や母に、そしてある時はイエス自身に直接。

戦国の世、城攻めにつかわれた方法を思い出す。
あの「大阪冬の陣、夏の陣」などそうだ。
城をいきなりは攻めない。まず、外堀を埋めることからだ。そして次は内堀だ。
そしていよいよ「裸」同然になった本丸を攻めるのは、たやすいことだ。
イエスを城とすれば、まず周りを落とせばいい。最後はイエスを裸同然にすれば・・・。
知恵ものサタンの思うことは、私達にだって分かる。そして当然イエスもわかっていた。
戦国時代、城主の血統が絶えるということは、御家断絶を意味していた。
直系であれば一番いい。赤子でも、「バカ殿様」でもいい。
いない時は、「ご落胤」を探した。
そして現代も「皇室」においてはそうだ。直系の血統にこだわり続けるのだ。
血統を軽んじ、甘く見て「どうでもいい」と言っている人達は、平等とか、こだわらないという
美辞麗句をそのままに受け止めて、目をそらされているだけのことだ。
「血統」はこだわらなければ、いけないんです。
神の法則(霊界の法則)の一つが、ここにあります。
血統が何でもよかったら、神はイエスの誕生を待たずに、次の手を打ったでしょうし、地上に
条件などを要求することなく、誰でも人を選んで事を進めたでしょう。
しかし、それはなかった。神が血統にこだわったから。
待って、待って、待ち続けたのです。神が。
人間もまた耐えて待った。
貧しい奴隷の時あり、しいたげられた民族の時もあり、がまんにがまんして待った「一人の存在」
を中心に歴史が流れた。時がながれた・・・。


歴史の一コマ一コマは「歴代選手」がいかに苦労したか、その背景に何がしくまれていたかを、暗に
物語っています。が、その記述は時として「暗号文」であったり、「たとえ話」であったり、ベールをかけて見え隠れにしたり、いろいろな趣向をこらして、歴史の真実を何とか今日まで伝えようとしたのが、「聖書」といえます。
この摩訶不思議なものが、いままでに消えて無くならなかったのは、奇跡ともいえますが、
その表現方法にあったともいえるでしょう。
「解けない巻物」として、解く者が来るまで待たせたその意味は、サタンに手の内を明かさない
ためだとも、言われています。だから、聖書が難解な代物になった理由だと、聞いています。
この全人類の代表選手こそが、「メシア・キリスト」だったということになります。
頭がいいとか、生まれがいいとか、技能にたけているとか、そういうことではない。
神の血統として生まれる、これが第一条件でした。
霊界も地上界も血統にこだわるのですよ。

日本の現状をみるとき、あきらかに血統にこだわらなくなったと、いえます。
結婚がそうです。身分にこだわれとはいいませんが、血統を無視したところからの弊害を、
声を大にしてきた私でもありますから、この先が、危ぶまれます。
結婚に今は「仲人」はいらないんですね。インターネットで知り合って、条件が合えば、本人同士
がまず顔を見せあいます。「ネット」で何万回会っても、会ったことにはなりませんものね。
私の姪も、インターネットで相手を見つけて、「結婚」しています。
お互いの条件が充ちたのでしょうね。
この先、何が起こるんでしょう・・・。




<次につづく>





血統にこだわる「神」  1

2012年02月20日 | 心霊現象
いままでのブログで私は、「血統」ということを、何度も何度も言ってきました。
霊界の様相も、そうなっているという事をご説明したつもりです。
これが、霊界の「おきて」(掟)であり鉄則であれば、その奥に何がひそんでいるのでしょうか・・。
「神」こそが血統にこだわった、ということです。
何の血統か?・・いわずもがな、「神の血統」にです。
エデンの園のアダムとイブは、ある時までは確かに、生まれながら「神の血統」でした。
それは「人間」だから?・・それも理由の一つでしょう。
「人間」を形でみれば、神の現身(うつしみ)という意味で、あたっています。
もう一つは「霊」です。霊の世界でも神の血統だった。
その霊が、血統から外れた。つまり罪を犯したという時点から、神の血統ではなくなった。
では、誰の血統になったのか?
「へび」から始まる「罪人」の血統に、です。それを元返さなければならない。
これが「親」としての「神」のこだわりであり、人間にとっては「宿命」となった、ということです。

『どの木から取って食べてもいいが、善悪知るの木からは取って食べてはいけない。
 死んではいけないから・・・』

と、神は念を押している。
しかし、アダムとイブは取って食べた。が、死ななかった。(肉体的にはということ)
「へび」もそう言って、そそのかした。
『食べてもいいんですよ。死ぬことはない。ただ、目が開けて神のようになれる』と。
食べた後、二人は死んだでしょうか。いえ、死なないで生き続け、二人の子供を産み、その後
また一人の男子を生んでいる。それが「セツ」だ。
ではなぜ神は、「死ぬから」と言われたのか。それは肉体のことではなく、霊のことだったと、先に
申し上げたと思う。
霊的に、死にますよ!と。結果、二人は完全に死んだ。
つまり、生きる道が分からなくなって、ボケ人間と化した。もちろん、「神」への認識も薄れて
いったでしょう。

神?・・何それ。・・・そんな状態になった人間。
現在の状況をみれば、一目瞭然だ。
霊的に「神の血統」を失ったことが、よくわかります。
では、そのままでいいのだろうか?
いえ、神は親としてその責任上、いや親の情、つまり「愛」から出発させた人間創造の全目的を
この世に完成させるべく、霊も肉も取り戻す作戦を開始された。
それがエデンの園から始まって、ノア、モーセ、イエス、現代と「血統」を求めて続いてきた
ということです。

歴史に焦点をあてるとしたら、その一つは「血統」だということです。
もちろん、「ことば」だと言うことも出来ます。
失った神の「ことば」を探しての歴史だと、前に申し上げたとうりです。
教義、経典、教え。これを捜し求めての人類歴史が、それに行き着いたとき、つまり「真理」に
たどり着いたとき、何が元に戻ったか・・・。
はたして神の血統が元に戻ったか・・・。答えは否です。
血統を戻すということは、人と人の「血」の交わりによって、正しく正統に元へ戻る道を踏む、
ということです。
神官と神官が結婚すれば、その子は「神の血統」になれるでしょうか。
またクリスチャンとクリスチャンが結婚して生まれた子どもは、神の血統になれるでしょうか。

あなたは、どう思いますか?

イエスの出生が、長々と記されているあの「新約聖書」。
私もアダムから始まって、イエスまでの血統書を書き出してみました。
長い長い実に難儀な時間と、実に多い人の数を経て生み出されは「一人」が、なぜ「神」の血統
なのかは、その中に語られています。
文字や言葉ではなく、血統がそうであるとことを、我々に示しているのです。
名刺をもって「神の子」を証明できますか?自分や他人の言葉で「神の子」を語れば、人は信用
するでしょうか。
前にも書いたように、ペットにはあるのに、人間にはない「血統書」。
これが、今現在の実態なのですね。
なぜ、大工のこせがれが「神の子」なのか・・・。
くわしくは、牧師等々、その道の先達にお聞きください。
そうでなかったら、私のように「イエス」の血統書を作成してみてください。

ならば、その父と母は、間違いなく神の子を生み出すだけの背景(血統的背景)を、持っていた
という事になる。
ここで、「マリア」が母ならば、父は誰だということになる。
聖書では「処女マリア」が産んだといういう事になっている。しかし、それはウソだ。
というよりは、神により身ごもり、天使がそれを伝え祝福したと、まるでこの世のものでは
ないですよ、と神ががりな出来事として印象づけているが・・・。事実は一つだ。
「男」と「女」によって、つまり精子と卵子によって誕生した以外のなにものでもない。
たとえ「神の子・イエス」といえども、その誕生に例外はない。
イエスを神格化したい気持ちはよくよく分かる、が、人の誕生は人を通してくる。
私の父がこれを聞いたら、泣いて喜ぶだろう。(しかし、あの世での話だ)

その「からくり」は、人間的にみたら(聞いたら)きっと腰を抜かすだろう。
今はふれないでおく。
そして「イエス」という、血統的に天も地も認める男子が誕生した。
その後の彼の人生(半生)は、ほぼ、記録されているとおりだろう。
「霊的な方々」は、あの世(霊界)のイエスから聞き出している。
その内容を書いた本も出ているから、もっと知りたい方は、読まれてもいい。



<次へつづく>