霊界の門 ・見えないものの力

霊界や因縁から、現在の自分をみつめ、「見えないものの力」を味方にしましょう。

天使が見たい!  2

2012年02月16日 | 心霊現象
天使を見せて!と、連日祈った。
時として、脅迫めいた祈りになった。が、見なければ信じない私は、「実際に見る」事に賭けた。
エデンの園の「へび」。確かに論理的には、つじつまが合う。
ではその天使とやらは、何だ。
本当に見た人が言うように、「羽」があるのか・・、全身が光り輝いているのか、絶世の美男子なのか、はたして、空を飛んでいるのか・・・。
しょせん、人の話だ。私にとって、わからないものは、わからない。
来る日も、来る日も「見たい!見せろ!見せてくれ!」の祈りを続けた。

ある日、アルバイト先で、階段から落ちた。
来客の後、その器をさげようと事務所の二階へ上っていった。湯呑茶碗をお盆にのせ、階段を降り
たやさき、足を踏み外したのだ。階段の数は13段ある。(不吉な数だと、この時知る)
転げ落ちれば、確実にケガをすることは必至だ。打ちどころが悪ければ、再起不能だ。
とっさに私は、抵抗することをやめ、落ちることを頭に描いた。
まず、手に持っている全ての物を手から離した。いや、「ぶん投げた」、といったほうがあたっている。階段からお盆と、湯呑が落ちていく。すぐに湯呑の割れる音、そしてお盆がころがったあとに
壁にぶつかる音が続いた。
ガチャーン。ごろごろ、ドスーン。
私はその音を聞きながら、空いた両手を階段の両脇の板に、せいいっぱい広げて落下の速度をゆるめるべく、身を支えるのにつとめた。

その時だ。
時間が止まった。いや、その動きが「スローモーション」で動き始めた。
ゆっくりと、実にゆっくりと時は流れてゆく。
その間も私の体は、きっちりと動く。
夢ではない、かなしばりなんかでもない。現実に、時間の流れのスピ-ドが半減している。
よし、いまのうちに体勢を直そう。と、階段を走るように2、3段降りた。
その時、時間が戻った。時間の進む速度が通常になったといえば、いいだろうか。
残りの5、6段は足の裏には、さわった記憶がない。そのまま、床に落下した。
ドスンと、鈍い音をたてて、私は床の上にうずくまった。痛くはなかった。
ケガの具合を追ったが、たいした事はなさそうだった。

狭い会社の中、その響く音に誰も出てこなかった。「ガッシャーン」(茶碗の割れた音)「ドスン」(私が落ちた音)「カラカラカラ」(お盆が回る音)。
あれ?誰も部屋から出てこないぞ。
「今の音は、何だ!」とも、「大丈夫ですか!」とも、誰一人出てこなかった。
不思議といえば、これもまた不思議なことだった。
私は起き上がって、転がったお盆と、割れた茶碗を集めて、そーっと、事務室をのぞいた。
なあんだ、みんないるじゃないか・・・
「騒がしくて、スミマセンでした」私は何事もなかったかのように、誤った。
「はぁ?何かありましたか?」と問われて、むしろ私のほうがあわてた。
(えっ、聞こえてないのか。すぐ脇で、茶碗が割れ、お盆が宙を飛んだというのに。私だって落ちた
のに)
「いえー、何も。どうも失礼しました」私はそう答えるしかなかった。
私のケガは、少しのかすり傷だけだった。

あんな事、連日しつっこくねだるから、罰があったたんだ。もうやめとこうか・・・
そう思った。
さてその晩、私はケガが軽かったことを、御礼し、無理難題は言いませんからと詫びをいれて、休んだ。
布団に入ると、すぐに「夢」が来た。
夢を見るのではない。「夢」のほうから、待ってたぞ、といわんばかりに「来た」というのがあたって
いる。
その夢は・・・

頭から、全身がびしょ濡れになるほどの「シャワー」を浴びせられている夢だった。
何だ、いきなり!(まだ、罰の続きか?)
しかしその水は、熱くはなかったし、冷たくもなかった。
丁度いい温度の、気持ちいい水(お湯)だった。ただ、びしょ濡れは気にいらない。
そして、びっくりした。その水に色がついている。金だ。
それは「金色の水」のシャワーだったのだ。
「何じゃ、こりゃ」。周りは真っ暗だ。その中で、輝くばかりに光る金の水を浴び続けていた。
シャワーは途切れることなく、続いていた。
そこで、目がさめた。体は?全然濡れていない。嫌な気はしなかった。


この夢が何を意味しているのかは、わからなかった。
その後「なでしこジャパン」の映像を、TVで目にする度に思った。
彼女たちは「世界一」の栄誉を讃えられて、金色の紙ふぶきの中にいた。
「金の紙ふぶき」か・・・。
私は称賛される事は一つもないが、「金色のシャワー」もあながち悪くはないのかも知れない。

天使を見るというこだわりは、捨てた。
その後、もちろん天使は見ていない。こだわる私への叱責だったのだろう。
階段落ち(「蒲田行進曲」じゃあるまいし)、そしてスローモーションと金色のシャワー。
時がくれば、きっと何かを教えてもらえるのかもしれない。



こんなこともあるんですよ~というお話でした。
「天使」を見た話かと思った方には、まことに肩透かしでしたね。ごめんあそばせ!

これは、後日談になります。
『もうすでに、天使以上のものを見ているではないか!!』と、声がしました。
何を言いたかったのでしょうか。
後日ようやくわかりました。
「天使」以上のものを見る・・・皆様にはもうおわかりですね。
おわかりにならない方には、宿題として、残しておきましょうね。


天使がみたい!   1

2012年02月16日 | 心霊現象
私は、天使を見たという人の本を2、3冊は読んだと思う。
この世には、天使を見た人が結構いるものだと、驚かされる。
それはやはり、外国人に多い。それもキリスト教圏、あるいはクリスチャンに多いようだ。
さもあらん、と思う。
では、日本人は仏教国ではあるだろうから「飛天」を見たかといえば・・・?わからない。
神官は「天津神」を見たのだろうか。私はあまりその話を、聞いたことがない。
それとも、おくゆかしい日本人は、そんな事はあまり人に語らないのだろうか・・・。

そうだ、一人いた。
「飛天」を見たという人を、私は知っている。
彼は、自ら「破戒僧」だといっている。それくらい全てにとらわれていない。
いい意味でも、悪い意味でも、である。
どの部所?に属するかとか、どの衣を着るかとか、いっさい自分の身分を形にはめようとはしなかった。
自由三昧の生き方が、いいか悪いかは、その世界にいない私には判断できない。、
その「破戒僧」の彼が、百日の修行に挑(いど)んだ。
彼によれば、その修行は結構厳しく、その苦しさに耐えられずに途中で逃げ出す者も多いという。
「方丈記」にあるような、実に小さな庵で、百日間すごす。
戸を全部閉めて、外界との接触を断つ。
水はのむが、食事は断つ。時々届けられる(庵の玄関に置いてゆく)「おかゆ」のようなものをすすって、百日間すごすのだ。黙々と、読経と祈りの日々を続けるのである。

そんなある日、暗闇の中に現れたのは、まず「幽霊」だったと、その僧はいう。
頭の半分無い者、首のない者、顔が崩れている者、見るもおぞましい、無惨な霊達が、くる日もくる日
も出現したという。
重い空気と、吐き気をもようす空間は、耐えがたいものがあったらしい。
そして何日かたって、(最初はまだ、壁にしるしをつけて、日数を追っていたが、次第に意識が
薄れ何もしなくなったらしい)気がつくと、天井に動くものがいる。
また幽霊か・・と思ったが、雰囲気が違った。見ると形がまるで違う。
「美しい!」。目に飛び込んできた第一印象だった。これが「飛天」か。
話には聞いていたが、まさか自分が直に見れるとは!
かって、絵でみたそのとおりの姿で、目の前をひらりひらりと舞いながら行き来していた。
肩には、薄い、美しい「羽衣」にでてくる布をかけて、部屋を狭しと、飛んでいる。

とうとう、「あの世」にきたか、と一瞬思ったそうである。
複数の飛天は、何も言わず無言のまま、飛んだり、舞ったりしてから消えた。
「胡坐(あぐら)」を組んで、祈る自分の姿を見て、ああ、生きて飛天を見ていると感じた彼は
全身に喜びが湧き出てきたそうである。
この「破戒坊主」の自分にも、飛天を見せてくださった「仏の慈悲」が、しっかりと伝わってきた
という。
そして、何日かして戸を叩く音がした。
ああ、百日が終わったのだと、ようやく知った。
戸はすぐには開けてはいけないと、固く申し渡されていた。

暗闇からいきなり光を見ると、目をやられるからだ。
やっと、声が出た。「待っててください」
よろけながら、自分で目隠しをして、「もういい」と声をかけた。
二人ががりの僧に、庵から引き出されるようにして、「百日修行」が無事に終わりを遂げた。

その後、彼は偉くなったわけではない。
次に用意された「位」を固く断り、自由の身を選んだ。そのスタイルは、今までとは少しも変わらない
。光る袈裟や、上等の衣を着たりはしない。薄汚れた、着古しの「作務衣」を着て、どこへでも行く。
一目見れば、そのごとく「破戒僧」だ。しかし、「飛天」を見た者だけが知る、仏の世界を
彼なりに会得したかもしれない。
百日間の修行は、「念珠」の房がボロボロにちぎれ、その玉もすり減っていた。
「いるんなら、あげるよ」と言われて、私はその「念珠」を頂いた。

それは、ついこの間までは、私のところにあったが、今はない。
その僧にあやかるようにと、「ある人」に差し上げた。
ある人とは、最もそれを持つにふさわしい人、つまり「幸せではない人」のことである。
その人は、その「念珠」をまた次の人に渡しているかもしれない。それでいいのだ。
その念珠が、一つの思惑を持って、行きたい所へと旅をするころ、一人そして一人と、今よりは
幸せに近づいてくれればそれでいい。
今の私は、それがなくても大丈夫ですよ・・・と、つぶやいている。


前置きが長くなってしまったが、話をまた、「天使」に戻そう。



<次へつづく>